1939年10月、当時の副大統領アレクサンドル・ルツコイと最高会議長ルスラン・ハズブラートフが大統領ボリス・エリツィンと決別。
最高会議ビルを占拠し反エリツィン闘争を展開するも、国軍により制圧され、拘束。(10月政変)
その後彼らは安全保障会議書記、オレグ・ロボフらと共に教団に協力したとされる。
FSBは彼らの教団への協力を日本の転覆を支援し、親米国家から親露国家への転換、加えてそれが教団ロシア支部の拡大とエリツィン政権打倒を視野に入れたものでは無いかと懐疑。
特に後者を危惧、教団の核兵器開発に協力したと思われるアメリカ人科学者、マキシーヌ・ニシングストンへの過酷な尋問を行っていた。

マキ「そうね。残念だけどそれは違うわ」

マキ「私はただ核を弄りたかっただけ。これ、ニシングストン家の呪いなのよ」