神を意識しない瞑想は意味ないと言った自分だけど、
何か導かれるように、バカヴァットギータを読んだんだけど、
それにはこう書いてあった。
精神を統一して思考を静めて、神に心を向けると神との合一を果たせる、と。
これを読んで、自分の考えは正しいんじゃないかと思い直した。

ここのみなさんはそれは魔境になると言うけど、たしかに自分もそう思う気もするし、
最近主流のノンデユアリティも、自分という意識に意識を向けると教えてて、
神に意識を向けるようにとは教えてない。
想像だけど、ラマナマハルシ はヒンズー教の聖典バカヴァットギータを読んで、
違う解釈をしたんじゃないかと。
神であるクリシュナの私に心を向かうように、と本文であるけど、
これを自分の私に心を向かうように、と解釈して、それが派生してノンデユアリティになったんじゃないかと。
バカヴァットギータが仏教にどれほど影響してるかわからないけど、
仏教も仏に心を向けてマントラ唱えると悟り開けると教える。
つまりバカヴァットギータも仏教も、瞑想中に神仏に心を向けることが重要と説く。
そしてキリスト教も祈りの最中つまり瞑想中にやはり神やキリストを思いながら祈る。
この真実がどういうことか。この共通点はどういうことだろう。