デイリースポーツ
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2024.08.23

自民党総裁選が話題になっています。総裁選は、事実上、日本の次期首相を選ぶ選挙であるという意味において、(「自民党は嫌い・興味無い」という方を含めて)すべての国民に影響があるといえます。

今回の総裁選は、派閥解消や自民党への逆風等を受け、従来の力学や方法とは異なる形で、勝者が決まる可能性があるかとも思われましたが、その一方で、直近の様々な動きを見ると、結局は、旧来の論理が強く作用していくようにも思います。

が、それはまた別の機会に触れることとし、今回は、この流れの一因でもあり、日本政治の根幹の問題ともいえる「政治とカネ」について、改めて考えてみたいと思います。

各種世論調査を見ても、この問題について、国民の不信感は依然として根強く、そして、ここに根本的に取り組まなければ、日本政治の真の刷新は難しいと思うからです。

論点が多岐に渡るため、(1)権力闘争とカネ(2)その解決策(3)真っ当な政治活動にかかるカネ(4)その解決策、といったシリーズで書いていきたいと思っておりまして、今回は(1)権力闘争とカネになります。

なお、本稿は、国民と政治の間の溝がどんどん深まり、国としてある種の危機的状況にあるようにも見える中で、かつて政治の世界に身を置き、今は民間で仕事をし、双方の気持ちが切に分かる者として、外からは見えにくい「政治の実相や特有の掟」を明らかにし、なぜそうなっているのか、どうすれば変えられるのか、より良き政治を実現するにはどうしたらよいのか、を前向きに考えることを目指すものであり、なんらかの「暴露」のようなことを目的とするものでは全くありません。

無責任に批判をするのではなく、もちろん擁護するものでもなく、「なぜ政治の世界はああだったのだろうか?果たして、どうしたら変えられるのだろうか?」という問いについて、その実相を経験し、忸怩たる思いを持つ者として、真摯に考えることが、己の責務ではないかと考えた次第です。

【ポイント】

「政治とカネ」(1)

<前編>

・国民の政治不信はおさまらない

・「権力闘争に使われるカネ」と「真っ当な政治活動にかかるカネ」

・「カネが幅を利かせる」要因

・なぜ、日本の政治は変われないのか?

<後編>

・権力闘争にカネが使われる具体的事例

・日本で女性総理が誕生してこなかった理由

■国民の政治不信はおさまらない

先の通常国会で、政治資金パーティー券購入の公表基準額の引き下げなど、政治資金規正法が改正されましたが、国民の政治不信は払拭されておらず、「うやむやのまま、総裁選や衆院選で誤魔化されたりしないぞ」という空気もあると思います。さすがに自民党内の危機感も大きいとは思いますが、いずれにしても、そもそも先の国会もメディアも「木を見て森を見ず」の議論で終わってしまったように思います。

どんな問題も、その原因を正しく分析することでしか、正しい解決策を導くことはできません。さらに「きちんと領収書を提出することにする」といったことにより「政治資金の透明化を図る」ことはもちろん必要ですが、ただ、より根本的な問題は、「そもそもなぜ、政治とカネの問題が起こるのか?」「一体、なににどのくらいカネがかかるのか?」といったところのはずで、その原因・背景を見極め、長年続いている政治特有の慣習や価値観を改めないことには、本質的解決には決して至りません。

「政治とカネ」の問題が出てくるたびに、国民の方々の間には「またか! なんで政治家って、みんな、ああなんだ!?」といった怒りや疑問が沸き起こっておられるのではないかと思います。

お気持ちはよく分かるのですが、ただなんというか、実相としては、よくイメージされる『政治家は、私利私欲、カネと権力の亡者で、ひたすら私腹を肥やしている』という単純で表面的なものではなくて、「日本を良くしたい、国民のために働きたい」という真摯な思いで政治の世界に入ってきて、資金繰りに苦しんでいる議員も結構います。

そもそも、①真っ当な政治活動自体が、世襲や富裕層出身者が議員になることを前提とした、相当コストのかかるものになってしまっていることや、②権力闘争やヤクザのみかじめ料のような、根深くおそろしい「人間の業の闇」が政治の本質として厳然と存在し、望まぬ場合も含め、巻き込まれざるを得ないといったことがあります。

もちろん、「だから仕方ない」という意味ではなく、「公正でクリーンな政治」を真に実現するために、(略)

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