「再開発に反対していることを記事にしていただけないでしょうか」。音楽家の坂本龍一さんから東京新聞に連絡があったのは3月7日、亡くなる3週間前のことだった。東京・明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求めるインタビューは同16日にウェブで先行公開、関連報道は今も続く。病床から伝えたかったメッセージは何だったのか。坂本さんが亡くなって、明日28日で1カ月となる。(森本智之)

◆望月記者通じ「力をお貸しください」
 ツイッター経由で、その連絡を受けたのは望月衣塑子記者だった。2人はツイッターでつながっていたが面識はない。それでも知り合いを介した方が少しでも早く記事にしてもらえる、と考えた。「坂本さんには時間がなかった」(関係者)。本紙を選んだのは「外苑問題を追う数少ないメディア」だったからだ。
 「子供たちに美しい日本の姿を残せない現実には忸怩じくじたる思いがあります。病床からでもできることはしたいと願っています」
 外苑の取材を続ける私は望月記者から転送されたメッセージを読み、緊張した。がん闘病中のため、マネジャーが代筆。対面取材も無理。だが、書面インタビューは受ける、とあり「お力をお貸しください」と結んであった。

回答でさらにたじろいだ。反対運動に参加するほどの体力が残っていないことを告白。「未来のことを考えた時、あの美しい場所を守るために何もしなかったのでは禍根を残すことになると思いました」「後悔しないように」と声を上げる理由を記していた。
 同僚は「まるで遺言じゃないか」と驚いた。
 東京生まれの坂本さんにとって、外苑一帯は思い出をはぐくんだ場所だった。周辺には親に連れられて現代音楽を聴いた草月会館があり、新宿高校時代には青山通りでデモに参加。プロになってからはビクター青山スタジオに通った。
 その外苑を、坂本さんはがん闘病の合間を縫って訪ねていた。樹木を眺め、外苑の中をわざと遠回りすることもあった。没後の取材で、関係者が明かした。
 書面インタビューでは最後にこんな言葉を残した。
 「自分たちが住む地域がどんな場所であってほしいか。それぞれがビジョンを持つことが大切だと思います。私は自然豊かな公園や墓地が好きですし、樹木の多い道を歩くのが好きです。皆さんはどんな東京に住みたいですか」

明治神宮外苑地区の再開発 秩父宮ラグビー場と神宮球場の敷地を入れ替えて建て替えるほか、190メートル、185メートルの超高層ビルを建て商業開発も行う。その過程で大量の樹木が伐採されることが判明。事業者は見直したが743本が伐採される見通し。事業は3月に着工しており完了は2036年。一帯は風致地区に指定され、神宮創建以来、100年近く景観が守られてきたが、節目になる。

◆気に掛けていた福島、原発…声を上げなかった理由は
 実は坂本さんには外苑の問題ともうひとつ、最後まで気に掛けていた問題があった。福島県の除染作業で集めた土の新宿御苑への持ち込みだ。ただ、声高に反対することはあえて避けた。「声を上げることで福島の方々を傷つけることになるのではないか」と、周囲にはその理由を話していたという。
 インタビューでは「驚いた」としながらこうつづった。
 「原発事故の問題は福島だけが背負わされるべきではないと思います。皆が福島を支え、汚染を広げるのではなく、できるだけ封じ込めることがなされるべきではないかと思います」

東京新聞
2023年4月27日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/246491