9月8日夕、東京・帝国ホテルで開かれた国際会議。「乾杯!」と右手で小さなグラスを掲げ、笑顔で祝杯を交わすスーツ姿の二人の男性。ツイッターにアップされた一枚の写真には、森田健作千葉県知事(69)と米ウィスコンシン州知事の姿がある。

 その数時間後、台風15号が関東地方に上陸、大きな爪痕を残していった――。

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 社会部記者が語る。

「気象庁は8日午前の緊急記者会見で『今は晴れていても夜には一気に世界が変わって猛烈な風や雨となるおそれもある』と異例の表現で、記録的な暴風に対して警戒を呼び掛けました」

 ところが気象庁の注意喚起も“どこ吹く風”とばかり、台風の夜に森田氏が出席していたのが冒頭の国際会議だったというわけだ。

「日米の国際交流を図る会議で、経済団体や自治体関係者約300人が参加しました。森田知事は夕方から夜にかけて、日米合同常任委員会という会議と米側を歓迎するレセプションに出席しました」(千葉県庁秘書課)

 県内のほとんどの市町村は9日までに災害対策本部を設置。だが、県庁が災害対策本部を設置したのは、10日午前9時になってから。さらに災害救助法の適用や県職員の現地派遣も12日と、いずれも後手後手に。

 日を追うごとに深刻な被害状況が判明するにも関わらず、知事の動静は“平常運転”だった。

 10日は首都圏中央連絡自動車道建設促進県民会議に、11日は東京五輪関連の会議に出席、12日は姉妹都市の知事表敬訪問といった具合。被災地の視察は、実に台風が通過して5日後の14日になってからだ。

 さらに台風直後の県庁の体制は本来、総動員体制といえる「災害警戒体制」へ移行すべきだったが、その前段階に留まっていたことも小誌の取材で判明した。

 元鳥取県知事で、東日本大震災時に総務相だった片山善博氏は疑問を呈す。

「県の第一の役割は状況把握です。私が知事だった2000年の鳥取県西部地震の際には、地震翌日に防災ヘリで被災状況を視察に行きました。そうすると、どういう状況か手に取るように分かるのです。

『市町村から要請がなかった』とか『人が足りなかった』と千葉県は弁明しているようですが理解不能です。住民対応で混乱する市町村から要請なんて来るはずがありませんし、県庁も全庁的な態勢で初動対応していれば人は足りたはず」

2につづく

文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/14560