■靖国神社宮司の「天皇批判」

 第4次安倍改造内閣が発足、社会保障制度改革、生涯現役社会、女性活躍社会の実現などを掲げているが、安倍晋三首相の“宿願”は、敬愛する祖父・岸信介元首相の遺志を継ぐ憲法改正である。

 改憲に関しては、下村博文・憲法改正推進本部長のもとで作業を進め、「自民党のリーダーシップで秋の臨時国会への改正案提出を目指す」と、言明した。

 改憲を支える一大勢力が神社界である。全国8万の神社を傘下に持つ神社本庁は、1969年、政治団体の神道政治連盟を発足させ、憲法改正に取り組んできた。

 また、田中恆清・神社本庁総長は、改憲の中核を担う日本会議副会長で、16年正月、初詣で賑わう各神社に署名簿を置かせ、「憲法改正1000万人署名活動」を主導した。
その神社界が、改憲作業を加速させる重要な時期を迎えて揺れている。

 『週刊ポスト』は、10月1日、靖国神社トップの小堀邦夫宮司が、6月に行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」の席上、「今上天皇は靖国神社を潰そうとしているんだよ」と、衝撃的な発言をしている事実を明かし、音声データを公開した。

 小堀宮司の苛立ちは、今上天皇が即位以来、一度も靖国を参拝していないところから発している。このまま、親拝(天皇の参拝)がなければ、その後も見込まれないとして、「今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」と、続けている。

 明治2年、官軍側犠牲者の慰霊顕彰のために創建されて以降、靖国神社は政治体制の移り変わりのなかで揺れ動いてきた。

 戦後、象徴天皇制のもと、昭和天皇は靖国にも距離を置くようになったが、なかでも靖国にA級戦犯が合祀(78年)されたことで、「だから、私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」という気持ちが、「冨田メモ(冨田朝彦元宮内庁長官が昭和天皇の非公開発言を記したメモ)」に、記されていた。

 今上天皇は、その意を受け継いだように靖国には参拝せず、戦没者慰霊は、サイパン、パラオ、フィリピンと現地に赴いて行なった。そのことに関し小堀宮司は、「どこを慰霊の旅で訪れようが、そこに御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論をし、結論をもち、発表することが重要やと言っているの」と語り、前述の「靖国潰す発言」が飛び出した。

■神社本庁総長の「開き直り」

小堀発言の裏にあるのは、身も蓋もない「天皇利用」である。

 改憲派にあるのは、象徴天皇制は護持しつつ、「天皇を崇敬することが日本の伝統を継承することにつながる」という思いだろう。その天皇が、参拝、合祀など様々に生じた論争のなかで選択した決断と、それによる行動を、損得だけで評価する小堀宮司の発言は、「靖国の宮司がその程度か」と、改憲派の保守層を落胆させた。

 小堀宮司は、大学院などを経て伊勢神宮に奉職。宮司を補佐する禰宜職に就いていた。任期途中で退任する徳川康久前宮司の後任として選ばれ、今年3月、着任した。
推薦したのは、靖国神社責任役員でもある田中・神社本庁総長である。

 小堀氏は、神道政治連盟会長の打田文博氏とも親しく、それが選定にも影響した。現在、神社本庁は就任8年目の田中総長が、打田氏を右腕に支配体制を築いており、靖国は神社本庁に属さない単立の宗教法人ながら、靖国にも影響力を及ぼしたといえる。

 だが、その田中氏も強権支配体制への批判が渦巻くなか、9月11日、思わず、「これ以上の批判は耐えられません。今日で総長を退かせていただきます」と、口走った。私は、この退任模様を、直後に配信した本サイトで記事化(『神社本庁で今なにが…? 強権支配を批判された「ドン」が辞意表明の怪』)、「朝日新聞」も9月17日、「辞任の意向を表明」と、「新聞辞令」を出した。

 しかし、2週間以上、経っても、一向に辞める気配を見せなかった。

 「神道政治連盟の打田会長を始めとした側近が、『辞めることはない』と、止めたんです。確かに、任期途中で外部から辞めさせられるシステムはないから、本人が前言を翻せばそれで済む。既得権を得ている側近や取り巻きは、“勝手”に辞められては困るんです」(有力神社神職)

 ただ、田中-打田体制の綻びは、既に、誰の目にも明らかだ。

 それは、富岡八幡の女性宮司殺害事件、全国八幡神社の総本宮「宇佐神宮」で起きた宮司退任要求の署名活動、利権追及の神社本庁元部長を有無をいわせず馘首し、訴訟に発展した問題などに表われている。

2につづく

現代ビジネス
10/4(木) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181004-00057816-gendaibiz-bus_all&;p=1