我を忘れるほど人を憎しみ殺してやりたいと思った経験はありますか?今それを振り返ってどうお思いですか?
僕は小学生のごろよくクラスメートにいじめられました。文房具を取られて隠されてしまったり、教科書を踏みいじられてしまったり、上の階段からつばを飛ばされてしまったり、そのようなことがあったのですが、あの時はとてつもなく自分をいじめたクラスメートを憎んでいたのです。いっそそいつらを全員ぶっ殺してやりたくなったこともありました。
ですが、今から振り返ってみるとその憎しみはすでに朝の露のように消えていたのです。なぜならもう過ぎたことなんですし、どうしようもない。それにあの時のクラスメートのみんなさんはまだまだ10代に入ったばかりの未熟な子供なんですから、大人になった今ではまだそんなことを気にしては格好悪く感じます。
子供のごろにいじめられた記憶とその心から人をぶっ殺してやりたいという憎しみは今でも覚えていますが、それは悪いことではないと僕は思います。時々僕はそう思います。どうして小学生の僕はいじめられっ子になったのでしょうか。もしもう一度そういう状況(人に孤立され、軽蔑される状況)に落ちてしまったらどう対処すれば妥当であるのでしょうか。もし将来僕の子供がそのような状況になったら、どうやってわが子をその酷い遭遇とお恐ろしい憎しみから救いだすことができるのでしょうか。そう思いつつ、もうすでに消えていた昔の憎しみは将来の道を切り開く道具になったことを実感し、報われたような感じがします。
今から考えると、もしあの時僕が本当に僕をいじめたISFJを殺そうとする行為をしたら、今の僕はどんな人になったのでしょうか。そこで僕が分かったことが一つだけある。過去のつらい思いと憎しみに勝つことができたら、それがかえって未来へつなぐ道筋となる、と。