自分は自認SFPだが何が好きで何が嫌いか急に聞かれても分からんな
実際やってみて自分がどう感じているか初めて知ることができる
感じることなんてその時によって違うからアイデンティティも時と場合により異なり一概に自分はこんな人間だなんて言えない、自分はその時の自分そのものが本物の自分であってそれをその瞬間以外に言葉を使って正確には説明できないと考えている
だからFiに関してよく言われてるような「自分の心情を〜」という文には同意できない
Aの意見に共感していた自分がすぐ後にはBの意見により共感する事だってあるしそれはどちらも真実であり「自分がよりAと感じるかよりBと感じるか」なんて分からない、アイデンティティに一貫性を持たせるために自分がどう感じるか一つに限定することは結果としてありのままの自分を否定することに繋がる

書いてて思ったんだがこれって自分の心情に共通項を見出せないだけであって認識自体は出来ていると言えるのかな