1830年に話を戻すと、セバスティアニ将軍に入閣してもらうという妥協案はあったらしい
ポリニャック公が拒否したので流れてしまい、そのまま革命に突き進んだが

マルモンの首相になるとかいう発言、セバスティアニはリベラルすぎて無理でも
自分なら中立だから保守派からも受け入れられるはずと考えたのだろうか
なるほど完璧な作戦っスねーッ 不可能だという点に目をつぶればよぉ~