ひとつ意図を図りかねているんだが

あきらが文学を捨てる勇気じゃなくて?って言ったのは
あきらにとって、モラルを捨てて追いはぎになる下人は、いままでしがみついていた夢を捨てた大人だったんじゃないか
一方近藤にとっては、下人はいまさらになって夢を追いかける恥ずかしい大人として映っている

んで近藤は、あきらの解釈に若さを見出して好意を向けている
けど、それって若者視点と大人視点では作品の解釈がすれ違ってるってことだよね