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こん!
0001Anonymous垢版2017/11/03(金) 11:33:11.37ID:Gs/QdxH4
よっこら
0017予言者アイザック ◆Ayq2dhIjvk 垢版2021/11/26(金) 01:15:22.92ID:4MTw+Uz2
マタイの福音書の1章17節に注目
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8%201&;version=JLB
14代・14代・14代と「14代ごとに歴史の転換点や偉人の誕生、壊滅的な出来事が現わされる世界」が神様により作られている

次に以下のサイトを参照しながら富士山噴火の歴史に注目
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#%E4%B8%80%E8%A6%A7%E8%A1%A8
https://sites.google.com/site/auroralrays/hayamihyou/tennou
一度目の噴火である864年に発生した貞観大噴火は、14+14+14+14=56代目天皇の時に起きた
二度目の噴火である1707年に発生した宝永大噴火は、14+14+14+14+14+14+14+14=112代目天皇が上皇陛下として存命だった時期、113代目天皇の時に起きた
そして現在の令和天皇陛下は、14+14+14+14+14+14+14+14+14=126代目

さらに富士山が噴火する時はいつも現在のように「咳の出る肺病」が大流行している
0018予言者アイザック ◆Ayq2dhIjvk 垢版2021/11/26(金) 01:26:23.86ID:4MTw+Uz2
感染症と大規模災害が同時に発生する複合災害は、過去何度も起きている。
例えば平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ・インフルエンザ)の流行が続いていた。
『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。

5年後の貞観地震(869年)のときもまだ咳逆病は収まっていなかった。
そこで朝廷は、京都の祇園社(現・八坂神社)に祭られていて疫病を打ち払う神と敬われていた牛頭天王(ごずてんのう)と素戔鳴尊(すさのをのみこと)の祭り「祇園御霊会」を挙行。
当時の国の数に合わせ66本の鉾を立て巡らし、諸国の悪霊が宿るように仕向け、そこへ祇園社の神を祭り、みこし3基を送り込んで諸国の穢れを祓い厄払いした。
以来、毎年7月30日が祇園祭として今日まで定着している。

江戸時代の南海トラフ地震ともいえる宝永地震(1707年10月28日)と、その49日後に発生した宝永富士山噴火(12月16日)のときもインフルエンザが蔓延していた。
100キロメートル離れた江戸でも、新井白石の自叙伝『折たく柴の記』に「夜に入りぬれば、灰また下る事甚し。『此日富士山に火出でて焼ぬるによれり』といふ事は聞えたりき。
黒灰下る事やまずして、十二月の初におよび、(中略)此ほど世の人咳嗽(しはぶき)をうれへずといふものあらず」と書かれており、降灰とインフルエンザ(咳嗽)で呼吸器疾患者が続出したといわれる。
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