>>7
>>10の補足ですが、

> 「そういう考えが存在することは常識として知っている」としても「そういう考えが常識的なものとして存在する」かどうかは知りませんね
> いずれにせよそれが存在することと「植物は無機物であるというのは馬鹿な主張である」がレッテル貼りにあたるかどうかは別の話でしょう
> 「植物は無機物であるというのは馬鹿な主張である」がレッテル貼りにあたるか否かは調査してみなければ何ともいえないと思いますよ

の部分です
なぜ[それが存在することと「植物は無機物であるというのは馬鹿な主張である」がレッテル貼りにあたるかどうかは別の話]かというと、
あなたはレッテル貼りかどうかは主観によって決まると言っていますね?これは客観的には決まらない、ということです
ということは「レッテル貼りかどうかは、他の何事かと客観的な因果関係を持たない」ということです
従って「そういう考え方が存在する」こととも因果関係を持たないためです

また[「植物は無機物であるというのは馬鹿な主張である」がレッテル貼りにあたるか否かは調査してみなければ何ともいえない]というのは勿論「統計的な意味でレッテル貼りにあたるかどうか」ということですが、
そもそも主観によって定まるものを統計的に処理したところで、それは「どちらが多数派か」ということを明らかにはしますが、
それですら「植物は無機物であるというのは馬鹿な主張である」が客観的事実としてレッテル貼りにあたるかどうかを示すものではないことにご注意いただいた上で、
調査結果を出していただければ興味深く拝見させていただきます