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・・・それとも、彼は「物証が在る事」の意味が分ってないのかな?



「そう見えてるだけ」かもしれない「苦痛概念の記号表現」=状況証拠とは違う、生体システムとストレスホルモン放出という物理現象を伴う同一性

= 「 物 的 証 拠 」 が 在 る 事 、を「ヒトと動物を別けられない根拠」として扱えないのならば、彼の縋る「状況証拠」は尚の事根拠と出来ないし、

その物的証拠を以ってしても「ヒトと同様の苦痛が動物にも在る事」の証明と出来ないとすれば、同じ生体システム等を共に持つ「自己以外の他者ヒト」にも、

その者に「自己と同様の苦痛が他者ヒトにも在る事」の証明としては使えない事となる。アタリマエですねw



此処に「言葉での苦痛概念記号表現とその再現性」を以って「ヒトだけは違う」と強弁し続けた所で、>>262で説明済みの様に動物によるノンバーバル/苦痛回避行動や学習によって

「動物にも苦痛概念が有り、それは『過去加害ヒトへの威嚇や恐怖・逃避行動』によって記号として再現される事実」として、ヒトだけを特別扱いすべき根拠が消え失せてしまいます。

唯一残るは「言語を介してそれを行う事」のみですが、それが言語によって為されるのでなければ、「それのみ」でなければならない理由、というモノが存在せず、

それは即ち「動物はヒトの言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが感じまいが、ヒトと同様には苦痛を感じない」と省略可能なウンスジ付けた幼稚園児の謎理論・或る種神秘的なハナクソに還元されてしまいます・・・




いずれにせよ、成人とは考え難い程の浅ましい言い逃れを装飾して何度も塗り重ねる手間があったら、論理的一貫性の有る思考法を身に付けましょう・・・元がそれじゃあ、ムリだろうけどw



因みに、私が言う「或る事実を無視すれば、功利主義による種差別撤廃主張は普遍倫理基準と成り得る」というのは、その「或る事実(二つ有る)」が、一方は長々「無い事」とされ続けてきた所為で、

他方は「恐らくは、そうでない事を事実だと認識されてる=錯誤」か、意図的に流布されてる嘘、によって普遍足りえない、という理由から{或る事実を無視すれば}という但し書きが付いてるだけ、ですので

お猿の「概念」クンはその事に充分留意して、私の連ツイにある「全人類普遍の線引き根拠・ルールと出来る、或る理由」の説明を、なんとか覆すべく頑張ってみましょう♪



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