>>239
> 動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。

だから、生体システム上での現象だけでなく抽象概念を記号化して表現していることがどう学術的に検証されたか研究成果を提示してくれ、と言ってるんだがまだか?
他方で言語が抽象概念の記号化表現であることは記号論の分野で論理的に説明されている

> そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。

状況証拠に過ぎないとしたら、言語は抽象概念の表現記号であるのではなく単なる意味を持たない音ないし模様に過ぎないということになるが、それでは再現的に言語コミュニケーションが成立することを説明できない

> 動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、

これらは別に抽象概念を記号化しているかどうか不確かだね
恐怖反応というのも痛覚とかと同じく命名の問題でしかなく、
その反応が恐怖という抽象概念の記号化表現であるかどうか不確かじゃん

> それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を意味無く否定するのならば、

人間いがいにおいてもそれらの物理現象が抽象概念を伴うことが示されてないじゃん

> ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。

既に言ったはずだが、能記が虚偽か真実かというのは関係ない
ここで問題にしているのは記号表現であるなら所記が存在するということと、記号といえないならば所記が存在するといえないということには差違がある、ということ

> それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
> という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。

「動物に抽象概念があることをいうために、動物のそれらの物理的振る舞いが抽象概念の記号化表現であることの説明をせよ」、と問うているのに対して
「それらの物理的振る舞いは記号化表現であるから、抽象概念もある」というのは循環論証でしかなく説明として機能していないぞ
論理的に頼む
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだから省くね