>>207
じゃあ>>195で書いたけど意味なくないね

195のどの部分に書いてある?

>まあ君が貼ったやつ読んでみるわ そこに「動物の生体システムが人間同様であれば、人間同様の概念が生じる」ことの検証があるとは思えないけど

私はそんな事は書いてないからw

それこそキミの言う「枠組み」によって否定される、というハナシだけど、それは倫理 外 のハナシだから。


> キミの生体システム・現実の科学事実を無視した疑義は、そのまま他者ヒト全ての苦痛実在までが疑義対象となる独我論に流れこまざるを得ない、という事なんだから。
>形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからどうでもいい話だが

もしも科学的事実としてある「生体システムの同一性や種の連続性」を基にした苦痛か苦痛の概念を否定するならば、キミの言う科学的な真偽の判断も形而下であっても否定され得る、と言ってます。


> 私は構わないよ?形而上では独我論を支持するのに抵抗は感じないのでw
>形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし

どうでもいいんじゃなくて、キミには出来ない、という事だね。論拠が全て白紙になるだけなんだからw


> 出来るし、現実の普遍ルール制定に関る種差別議論ならばそうしなければならない。独我論によって他者ヒトを含むルールが決められるかな?w
>何度もいうが、ルールというものは枠組みを超えて普遍的にはならない

人類普遍のルールが有る、という説明も連ツイに解説済み。それは或る制限事由によって「そうしなければならない」と決められる。先に言うが「ルール違反の実在はルールの非存在を意味しない」。キミはこれすら分ってなっさそうだからw


> 形而上では独我論は回避不可なので、キミの首が絞まるだけw
>形而上では回避の必要は特にない

ではやってみる?すぐに終わるよ?

>形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからやはりどうでもいい話だが

形而上ならば「全てがどうでもいい」の間違いだね。そして形而下ならばキミの云う事は自身の選好で「苦痛記号の表現」を基準としてるだけ、なので意味が無い。いつになったらそれがキミの恣意でしかない基準だと分る?


> キミが縋ってる「再現性」は確認の手段とはならない(形而上の疑義なので独我論で否定されるだけ)。
>形而下事実について科学が因果関係の真偽を判断する場合に再現性は必須だよ

その「再現」は「生体システムと種の連続性」否定との整合性が無いから選好でしかない、と言ってます。それを唯一の「苦痛の概念」の判定基準とする理由はいつ示せるの?


> 何度もしてる様に、恣意以外でキミが縋ってるのが形而下と形而上の条件をゴチャマゼにした「苦痛の概念有無」だから、だと言ってます。
>記号を抽象概念の表現に用いるというのは形而下事実

それが唯一の判断基準と成る、という根拠説明が無いから選好でしかない、と言ってます。根拠がないモノを絶対視するのは唯の宗教だなw


> それは形而下では規範とは呼べませんw
>法律にしろ社則にしろ家訓にしろ、形而下の規範は枠組みの恣意性で決まると言ってる「枠組みの恣意性で決まるということ」が形而下の規範だと言ってるのではないが、分かってるか?

私は種差別議論は形而下の規範でしか有り得ない、と言ってるよ?形而上のハナシに逃げたいのはキミの都合。そして枠組みに捉われないルールは有り得るが、キミが知らないだけだよ?そして規範とルールは勿論別だよ馬鹿w