> キミの書き方が解り難くて私が逆に捉えた可能性は有るね。加えて云えば、キミは当為と事実の関連性を誤用してるようだ。

俺のせいにするのか…
まあ逆にとらえたのが君であって俺が逆に用いてたのでないと分かればいいよ

> 形而下では真偽は一義的に集約できる、というのが種差別議論を知れば判るよ。Pシンガー等の言う事は、キミのガバガバに比べて遥かに筋は通ってるから。

大雑把にいって形而下の倫理判断が一義的に定まらない、というのが非認知主義なわけですが

> それは「基準」ではないよね。種差別主張に関して云えば「苦痛(『の概念』は含まないw)の実在」だけで恣意性は排除される。形而下で苦痛や功利主義を否定するならば、ヒト含めた他者の痛みは一切気にする必要が無い、という立場の表明だなw

それは結局「人間である」を基準にしたり「生きてる」を基準にしたって恣意性を排除できる、と言ってるのと同じで
ある枠組みのなかでその規範が採用されたとしても枠組みを超えて普遍的なわけじゃないじゃん

> それを疑った時点で独我論の領域に入ります。記号表現が無ければ、苦痛概念が無い、というのはキミの憶測でしかなく、誰も証明してないし、「苦痛」だけでなくそれが必須である理由も誰も説明してない。

「記号表現が無ければ、苦痛概念が無い」と言ってないけどな
「記号表現があれば、苦痛概念がある」と言ってて、これは俺だけでなく記号論を学べばわかるはず
そして「記号表現が無ければ、苦痛概念があるといえない」とき科学的には未検証のものは無いと扱うべきだから
科学によれば「記号表現が無ければ、苦痛概念が無いと扱うべき」となる

> それはキミが恣意的選好的に選んでる判断基準でしかない、それが普遍基準たり得る、必須足りうる説明義務から逃げるな、と言ってます。

俺が「苦痛の概念」を線引き条件に選んでるわけではないんだぜ
それが線引きの普遍的な基準になるとも言ってない
俺は枠組みごとの恣意性で決まると言ってる

> キミは自分が自己都合で選んでるだけの基準を絶対としてるから、馬鹿なんだよw

という誤読(か曲解)から離れられない君

> 一々断らないが、これは種差別議論に於ける普遍倫理基準のハナシ、であって 撤 廃 の意味が分ればそれらとは違うと判るのでは?

その基準を用いることに種差別撤廃論者の枠組みを超えた普遍性は無いよね