>>174
>自然主義的誤謬というのはムーアの概念 俺が言ってるのはヒュームのギロチン


私 が そう言ってるんだよ?キミが逆に書いてたからw

キミ、多分多くの部分を逆の意味にとってるんじゃないの?


>「価値観によって変わるガバガバな基準」の意味がわからないが、ひょっとして認知主義反実在論と非認知主義を混同してないか?それぞれどういうものと理解してるのか確認のために聞いてみるわ
説明してみてくれ


私は形而下での「普遍的な正邪判断」=倫理の基準は個々の価値観で収縮(=ガバガバな)しない、と言ってます。

キミ自身が理解してない形而上のハナシを、キミの時間稼ぎの為に私が説明しなければならない理由は?


>そうなってしまうのは[「苦痛という概念」の有無]を線引きの条件にした場合の話だろ?

それがキミの基準でないとすれば、私はキミの基準を知りませんよ?


> 「ヒト以外は苦痛の概念が無い」と決め付ける、というのは誤謬が有るというレベルじゃなくって、単に破綻した論拠を提示して、その帳尻を合わせる能力も無い、という事だけどね。

>「ヒト以外は苦痛の概念が無い」と決め付ける、ではなくて 「ヒト以外は苦痛の概念があるという検証がない」といってる 科学は苦手か?


キミが知らないだけで、生体システムを共有する動物のそれを否定出来るならば、他者ヒトの苦痛も「苦痛の概念が有るフリをしてるだけ」だと疑える独我論の領域になる、っと昨日から言ってます。
科学も形而上学も、キミよりは解ってると思いますw


> ならば、「苦痛の概念」がキミの親に有って、キミには有る、という保証も無いワケです。親子でも「連続であるといえない、連続であるとするのは科学的に真でない」んだからねw

>そうだよ?「苦痛の概念」を血縁に紐付けてるのは俺ではないじゃん
>俺は「苦痛の概念」はそれを意味する記号表現を用いること(さらに、それが偶然でなく再現性あること)で確認できると考えるし、
>線引きの話はそれとはさらに別の話で、線引きは[「苦痛の概念」の有無]によって為されるのでもなく、個別の枠組みの恣意性で決まると言ってる


キミの子にキミ同様の苦痛概念が共有されてるのならば、キミがそこで「基準としていない」筈なのに語ってる「記号表現」は要りません。つか、マジで意味が分らないの?w

「個別の枠組みの恣意性」で法律・ルールと成り得る倫理基準は決定出来ません。単にキミが自身の恣意で決めさせて欲しい、と言ってるだけ、だね。