>>168
> それをヒュームの法則、というんだよ?キミが言ってるのはムーア。

逆だね
自然主義的誤謬というのはムーアの概念
俺が言ってるのはヒュームのギロチン
混同されやすいが別のお話

> 「価値観によって変わるガバガバな基準」は非認知主義とは云いません。

「価値観によって変わるガバガバな基準」の意味がわからないが、ひょっとして認知主義反実在論と非認知主義を混同してないか?それぞれどういうものと理解してるのか確認のために聞いてみるわ
説明してみてくれ

> 散々指摘してるけど、キミがそれを認識できないだけ、だね。

上記の質問に答えてみてくれ

> 「普遍的な正邪判断基準」が、重度障害者の場合は社会的理由で適用されなかったり、都合によってヒトとの血縁によって苦痛概念共通 し て な い 理由を説明できないまま、

そうなってしまうのは[「苦痛という概念」の有無]を線引きの条件にした場合の話だろ?
それを俺の主張かのように扱われても藁人形ですわ

> 「ヒト以外は苦痛の概念が無い」と決め付ける、というのは誤謬が有るというレベルじゃなくって、単に破綻した論拠を提示して、その帳尻を合わせる能力も無い、という事だけどね。

「ヒト以外は苦痛の概念が無い」と決め付ける、ではなくて 「ヒト以外は苦痛の概念があるという検証がない」といってる
科学は苦手か?

> ならば、「苦痛の概念」がキミの親に有って、キミには有る、という保証も無いワケです。親子でも「連続であるといえない、連続であるとするのは科学的に真でない」んだからねw

そうだよ?
「苦痛の概念」を血縁に紐付けてるのは俺ではないじゃん
俺は「苦痛の概念」はそれを意味する記号表現を用いること(さらに、それが偶然でなく再現性あること)で確認できると考えるし、
線引きの話はそれとはさらに別の話で、線引きは[「苦痛の概念」の有無]によって為されるのでもなく、個別の枠組みの恣意性で決まると言ってる