>>162
> 「倫理」のハナシなので、キミ自身が食うかどうかの基準に関しては一切関係が無い
>「 同時にこれは俺に限ったことではないと思うけどね 」と書いてるように、倫理というのはそういうものだ、と言ってる

誰に 「 限 っ て も 」 私が言ってる通り、だよ?その者が食うかどうか?の基準は「倫理」とは云わない。
それは単に「キミの選好基準」でしかない。いつになったら辞書を引いて「倫理」の意味を調べるんだね?

>形而上の話をしてもいいが、したくないならしなくてもいい 形而下では動物にヒトと同様の苦痛が有る事は想像の範囲でしかなく、他方で人間の苦痛も同じだが


昼間も言ったが、形而上のハナシになれば、自分以外のヒトにすら苦痛が有るかどうかは確認出来ない。
そしてキミはその事すら理解してないので、形而上学的なハナシに着いて来れないのも判ってる。

そして「形而下」の意味が判ってれば、ヒト同様の生体システムを持つ動物に苦痛が有る事は想像ではなく 「 事 実 」 として扱わざるを得ず、

更に、そこに「他方で、人間の苦痛も同じだが」と繋いでるって事は、キミは形而下と形而上の違いと意味すら理解してない、という事まで明らかになったワケですw


>決定的に違うのは・「苦痛という記号を用いる人間は苦痛という記号に対応する概念を持っている」

違わない、と説明済み(形而下では、ねw)


>・「その概念がある程度の差違の範囲に収まる程度には収斂していることが言語コミュニケーションの成立という歴史的に膨大な再現性のある検証から明らか」という2点

ある程度、範囲、程度、膨大な…すべてキミの匙加減一つで伸び縮みする条件設定だよね。

「言語コミュニケーション」の段階で重度知的障害者や痴呆者・植物状態ヒトを切り捨ててるので、ド派手に一貫性が破綻してるよねw

動物が痛がってる様に見えるのを苦痛ではないとすれば、痛がるそぶりすら不明な上記一部ヒトは食用に殺して構わない筈だが、キミはその矛盾を「社会的な理由」でアジャストしようとするからガバガバでハナシにならない、と言ってます。


>この差違があるので、人間が苦痛という概念を持っているからといって動物が同様のものを有しているとはいえない

説明したとおり、それは差異ではない。単にキミの自己都合に合わせた言い訳です。


>動物が抽象概念としての苦痛を記号化して表現していることについて再現性のある検証がされた研究成果があるというならそれを教えてくれ それがあればこの件については俺の主張を潔く引っ込めるよ

それが線引き基準となる、という説明が全く為されていないので、その必要が無いね。
苦痛の有無は、形而下では神経等の生体システムの有無で判断されるだけ、だよ。記号化して表現しなければそれが存在しない、というのはキミの願望であって
「そこで線引きされなければならない客観的な根拠」が存在しない。記号化・表現、が必須である理由、キミには説明できないでしょ?


>「動物に人間同様に苦痛という概念が存在する」というのは科学的には未検証なんだから(上記の研究成果があるならその限りではないけど)、未検証なものを「ある」と主張するのは疑似科学、信仰の類いであって、科学的には虚偽だね


「苦痛」ならば、形而下では、人間同様に有る、というのが科学的事実だよ。それは生体システムの共通性・同一性で判ってる。キミが認めたくないだけだよw

「苦痛の 概 念 」でなければならない、というのもそれが必須である根拠は一切示せてないよね。そしてそれは一部ヒトでは確認されようが無い。だから「社会的な理由」で救済する必要が有るんだよね?w


> 規範、というのは「倫理」の別名であって、何度も言うけど「普遍的正邪の判断基準」なので、恣意の入り込む余地は無い
>メタ倫理学について勉強した方がいい 倫理について述べる立場は実在論者のものだけではない


メタ倫理・非実在論が共に 形 而 上 の議題だと、キミが勉強してくれたら、考えてもいいけど?w

倫理が伸び縮みする、というのはキミの都合でしかないし、キミが規範に関して何も知らないのを私は知ってるよ。