>>158
> ヒュームの規範論理は関係無い、と説明したはずだね

自然主義的誤謬の話ではないが

> 価値観によっては重度障害者を食ってもよい、とするならば、当然それは「普遍的な正邪判断」の基準たる倫理ではないので尚更ヒュームは援用できない

つまり倫理について非認知主義の立場を認めないという意味でいい?

> 「倫理」の意味を理解しないままのキミがこのハナシをする意味が無い

誤謬の指摘をしないままレッテルを貼るのも勝手だし対話をやめたければ勝手にしたらいいが
それではそっちが着いてこられないだけにしか見えないな

> そうではない、という証明もまた不可能なので、キミはそれを否定する事も出来ない

だから俺は「連続してない、不連続である」と主張してないよ
「連続であるといえない、連続であるとするのは科学的に真でない」と言ってる

> キミは「苦痛という概念はヒトにだけ有り、動物には無い」と言ってる

そもそもこれを俺が持ち出したのは「苦痛という概念」の有無で動物と植物を分けることができるという>>76からの文脈であり、
「苦痛という概念」の有無で線引きするなら科学的には動物と植物は同じ側に来るという指摘に過ぎないことは説明済み
これに対して人にもそれが有ると言えないという反論があり、俺は(クオリアにかかわらず)「苦痛」という記号に対応する抽象概念が存在することは明らかだ、といったわけだ
これは全て「苦痛という概念」の有無で動物と植物を線引きできないことの説明のために用いられているのは明白だろ?
で、その説明に対して「人について再現性のある形で抽象概念を記号表現することは歴史的に膨大な検証があるが、動物については植物同様そうでない」と一般論を提示したのについて、
「人についても一部には例外がある」という稀有な反例の提示は無意味だろう

> 今更それは時分の線引きでは無い、と言ってもハナシにならないね

認めたくなかろうが文脈を追えば「苦痛という概念」の有無で動物と植物を線引きできないということの説明としての、[一般論として人間に「苦痛という概念」があるとして、動物にそれがあることは確認されてない]という提示であることは明らかだろ

> 「倫理」のハナシなので、キミ自身が食うかどうかの基準に関しては一切関係が無い

「 同時にこれは俺に限ったことではないと思うけどね 」と書いてるように、倫理というのはそういうものだ、と言ってる