そもそも渡来人と稲作を結びつけた主張に全く根拠がない
「日本で稲が自生してた訳がない」
だけが唯一の根拠だが南太平洋横断できた縄文時代には東南アジアから稲を持ち帰るのは朝飯前
稲の原産地は東南アジアととっくに証明されている(当時の中国は東南アジアまで進出してないので無関係)
要するにこうだ
7000年前に狩猟と平行して日本では既に稲作が始まっていた←自生できないのは渡来説派が証明済みなので食べていた=稲作が始まっていた
それとほぼ同時期に中国でも稲作が開発されるが稲は別物、そもそも稲作は世界各地で発生している
3000年前には今まで弥生時代の風景と言われていた集落が出来上がっていた(菜畑遺跡)
2500年前に運のいい渡来人が僅かに日本へたどり着いたとされ(当時の技術的に100人も居ない)大陸との技術交換も始まる
因みに弥生と縄文で骨格が違うという写真は線対象を繰り返して作った偽造写真、縄文時代の墓からも弥生系は普通に出土している
1500年前にようやく朝鮮半島に稲作が伝わる
これは間違いなく大陸から伝わったものだろう、そして日本とは稲の遺伝子が全く異なる
即ち中国と日本の稲は別物という根拠でもある