>>74
> そういったものに対し「できるかわからない」といった不安から迷っていると私は位置付ける

だからそういう人というのは「事足りるか分からない人」だろう。
で、そういう人の後押しになるためには「あなたは事足りる人ですよ」ということを言わなければ意味がない。
それらの人にあなたの言う「事足りる人ならば、事足りる」という特殊論を主張したとして、「でも自分が事足りるか分からない」のは変わらないだろう。
だから、一般論であるなら(「あなたも事足りる人なんですよ」と言えるなら)意味があるが、特殊論では後押しとしては極めて無意味だ、と言っている。
そしてもし一般論であるなら、当然「なぜ『あなたも事足りる人だ』と言えるのか」について理由を一般論として説明しなければならない。

> 「なる」と「なれる」とは違うことがまだわからんようだな

ん?区別しているが?「なれる」は「ならないことも選択可能」であり、「なる」は「ならないという選択肢を切る」ということだ。

> そして
> 肉を食べない人=ベジタリアン
> ということでもない

まず私は「肉を食べない人⊆ベジタリアン」と書いたのだから、これを「肉を食べない人=ベジタリアン」にすり替えないで欲しい。
そして「肉を食べない人⊆ベジタリアン」が不成立だとすると、あなたの主張の根本である「肉を食べなくて事足りる、ならば、ベジタリアンになれる」が不成立、破綻するのでは?
「肉を食べなくて事足りる、であっても、ベジタリアンになれるとは限らない」となるのでは?


>野球ができるからといって野球チームに属する選手ではない

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「肉を食べなくて事足りる、ならば、ベジタリアンである」というなら、この例えは当たっているが、
「肉を食べなくて事足りる、ならば、ベジタリアンになれる」であるなら「野球ができる、ならば、ベースボールプレイヤーになれる」と比較しなければおかしいだろう。
あなたこそ「なる」と「なれる」を混同しているのでは?

それから、「あなたは(あるいは、迷っている彼は)ベジタリアンとは何だと思っているのか」という質問に回答がないようだが?