>>98
お前の理解力が乏しいのだろうな
よく読めよ
「家畜は(苦痛を感じているのだから)できるだけ苦痛を感じない方法でトサツする」これは行動だけでありこんなもの自体に法もクソもない
これを「義務化する」ことが法律だ
こういう法律があるが、「家畜が苦痛を感じている」「できるだけ苦痛を感じない方法」に何の根拠があるか不明瞭だが、科学的根拠ではないことは確かだと言っている
この
「家畜が苦痛を感じている」「できるだけ苦痛を感じない方法」の根拠は法ならば「ある」が推測されるが、「ない」の可能性はないとはいえない
これは「不明瞭のままでしかない」ことから先に進まない
これはベジタリアンが「植物は苦痛を感じないから食べていい」と提示していることと同じだと言っている

例えば日本では魚類は痛覚がないとし、生き造り、踊り食い等の料理法等があるがこれも科学的根拠ではない何かしらな価値観に根拠があると推測される
もしくは根拠がないかのどちらかだ
これも同じだ

「植物は苦痛を感じないから食べていい」
ベジタリアンが言い切るには何かしらな価値観があると推測されるが、ないかもしれない
それをお前は「ない」と決めつけて、話を勝手に進めてしまっている
それではお前は自分で設定した「ない」という命題に対し「ないじゃないか!」と言っていることになる
これに意味があるのか?と聞いている訳だ

つまり>>1の正確な提示は
「無前提により、植物は苦痛を感じないから食べていい」と言っているベジタリアンに対し「えっ?」
としなければならないのではないのか?
ということだ

それと
「家畜が苦痛を感じている」の根拠を「法律化」という価値観とできるのであれば
「植物は苦痛を感じないから食べていい」の根拠を「ベジタリアン思想(文化)」という価値観としても何ら問題はない