>>81
まずお前は、あるベジタリアンが「植物は苦痛を感じないから食べていい」と提示した言葉に対し、
「根拠が不明瞭であるため苦痛を感じないから食べていいとはいえない」としている
そして私が>>74で言った言葉
これは勿論法以前の問題として
「家畜は(苦痛を感じているのだから)できるだけ苦痛を感じない方法でトサツする」
これも根拠が不明瞭である
何の根拠に家畜に対する「できるだけ苦痛を感じない方法」を定義したのだ?
ということだ
科学的根拠ではないのはたしかだよな?
お前も>>1
>「苦痛」と呼ぶ場合、人間以外の動物に人間のこの心的作用と同様の心的作用があることは検証されていない
としている訳だからな
つまりこの
「家畜は(苦痛を感じているのだから)できるだけ苦痛を感じない方法でトサツする」
は、お前の論理でいけば無意味な命題となる

だが法であるからには非科学的な何かしらな価値観を根拠にそう定義したのだろうという推測が成り立つのであれば、
「植物は苦痛を感じないから食べていい」という言葉もベジタリアンが言っているからには何かしらな価値観を根拠としている可能性はあるということだ
だがこれが科学的根拠によるものだとするのであれば非科学的なものを科学的だと言っていることになる
あくまでも私が言っているように「そうなると」だがな

そして
>>2の言葉を借りた
>ノンベジは自分の罪を誤魔化すために、物事を都合よく解釈する傾向があるからな

この「罪」の本当の知りたくば>>2に聞いてくれればいいが
私は家畜に対しできるだけ苦痛を感じないようにとするという思いがあるのは、そこに罪悪感の様なものがあるのではないか?という考えから来るものだ