>>657
> 彼らにとって霊は存在し、慰霊するという事実がある
> こういう文化の話だよ大爆笑

だから痛点という概念が無い人には「魚には痛点がない、ゆえに生きたまま天ぷらにする」という文化は成り立たないだろwww
ガジャラモジャラという概念がお前に無いとして、お前は「植物にはガジャラモジャラが無い」という理由で植物を食べるのか?www

> それが仮に実際に本当に科学的にニセでも、そういう文化を持つ人間にとってそれは「真」なんだけど?大爆笑

科学的かどうか聞いてないが?
痛点という概念が無ければ、痛点という概念を理由に物事を判断する文化は生じない、と言ってるんだが?

> それが根拠になってんだけど?大爆笑

だから痛点という概念がなければ、痛点なんてのはその文化の上で何の根拠にもなり得ないのっwwwwwwwww

> 例えば霊の存在は実際に本当に科学的に偽だとしても、じゃあなんで慰霊する人間が存在するんだ?大爆笑

だからそれは「霊」という概念があるからだろ?
「痛点」という概念はね、19世紀の後半にフォン・フライによって挙げられたわけだがwww
それ以前には無かったのね、その概念はwww
だーかーらー、それ以前の人が「痛点」という概念を用いて「痛点がないから魚を生きたまま調理しよう」と考えることは不可能なのねwww

てことは、その概念が生まれて日本に伝播する以前に既に日本で魚が生きたまま調理されているとすればwww
それは「痛点がないから魚を生きたまま調理しよう」という考えと関係なく、魚を生きたまま調理することがあり得るってことですよね?www

とすると、「痛点」があるか否かと「魚を生きたまま調理する」ことは必ずしも関係ないwww
「痛点」という概念が日本に入って以降はそれを関係付ける人も中にはいるかもしれないが、必ずしも関係付けるとはいえないし、
まして日本の伝統的食文化という文脈の中では「痛点がない」ことを理由に「魚を生きたまま調理する」という人がいたとしてもそれは全体のごく一部の話にしかあたらないでしょうからwww

「『魚には痛点がないから生きたまま天ぷらにする』とは限らない」が正しいですねwww

したがって、普遍命題の形で「魚には痛点がないから生きたまま天ぷらにする」というのは偽ですねwww