>>77
>これらの妥当性を検討して成りすましか否かの判断をするとどのような結論に達しますか?

ん?「成り済ましである」ということの妥当性を検討した結果どう判断するか、ということでいいのかな?
そういうことなら、「成り済ましである」と判断するに足るだけの理由の有無を各人が検討して各人の主観において判断したらいい。
判断とは突き詰めれば主観による評価だから、万人が同じ結論に達する必要はない。
ある判断が提示されて、異論がなければそれを共有すればいいし、異論がある人は異論を提示すればいい。その議論においてより説得力の高い判断において合意したり、あるいは合意に至らなかったりするなど場合により様々な結果に至るだろう。

>>78
別におかしくないだろ。
妥当性とは「ある前提条件下において正当であるという性質」で、そういった性質の有無・真偽を検討する、ということについて特に成立を妨げられる理由はない。