>>85
「ところで、○○という話がありますよね?誰々は知ってるのかな?」
という種の話は貴方に向けた「会話」ですが、これが議論を要する論点となるのかな?
議論したいのであれば直接問うでしょ?普通なら?
貴方に聞いても真意は問えないんだから。

「ムキ」の話ですが意味を調べると「ちょっとしたことで本気で腹を立てる」といういことの様です。
ボクもその種で解釈しています。
>>23の後半の会話からそれが読み取れるのですかね。
仮に本当に「ムキ」になってたら直接的に文句のような感情的なものをぶつけると思いますが?
つまりボクは飛躍解釈と理解します。
しかし価値観の違いからその種のイメージを持つことも合理だということが貴方は理解できるということですね?
貴方も「ムキ」でよろしいね。

文法上のいわゆる反論は「その解釈以外(主語を変える)もできるでしょ?」という種の例を上げています。
こちらは文法上論理的不備ではなく「文言解釈の多様の合理」を求めた議論です。
貴方の合理不合理はどうでもいいといっています。
貴方が合理であるならそれでいいともう一度言っています。
しかし認めるということではありません。
だから議論を進めるには「ムキ」のような多様価値観解釈の合理を認めることからしか進まないと言っています。
もう一度初めからするならしてもいいですが同じ結論(どちらも合理)としかなりませんよ?

「一般的、社会的解釈ではそうなるとは限りません」ですね失礼。

「牛の話」はボクは「1のような文言」と言ってるんで「同じか同じでないかはどうでもいい」です。
けど貴方が1を取り上げ比較したんだからこちらも1の文言とボクの文言についてを貴方に聞いてもいいんじゃないですか?
1の主旨もわからないまま1の文言は普遍命題にならなければいけないとしたんですか?