>>314
> 「同時に提示する」とは「リスクが上昇する可能性と低下する可能性がある」となります。

「可能性」と「蓋然性」をやはり混同していますね。

> 蓋然性は度合いの評価ですので「高い評価をする」のであれば「高い評価以外を捨象する」ということです。

違います。
リスク評価は事象の有無の判断ではありませんから捨象は関係ありません。事象があり得るとしたうえで、その程度が基準に対してどうであるかを述べるものですので性質がまるで違う話です。

> 「ガン」という病名は別にしても、当たり前に「○○という病気の可能性があります。」という医者の発言は、日常普通に聞けますが?

可能性というのは、科学的にはあらゆる可能性が考えられます。なぜなら科学は帰納法だから。
その中で蓋然性を、様々な事実や理論を背景にして最終的に【主観や恣意】で「判断」する、それは当たり前です。診断、所見、見立て、など色々な言葉が使われますが、「判断」である限り【主観や恣意】の影響から逃れることはできません。
医者は可能性の有無でアドバイスするのではありません。事実や理論といったものを客観性の担保にして、蓋然性を「判断」して提示しているんです。
正しく論理的に厳密にいうならば「可能性はあるが、蓋然性に鑑みて捨象して構わないと『判断』する」とか「可能性があり、蓋然性に鑑みて捨象できないと『判断』する」とかそういった言い方になります。


>その「可能性」について「同時に提示されたもの」の例えとして上げたものですが、それが「バカにしている」という「解釈」にしています。

医者が「このままの食生活ではガンになる可能性がある」とアドバイスをする、という事例が提示されていますが、「可能性がある」というのは科学的には本質的に無意味な評価です。
可能性を科学的に否定するのは非常に困難で、それゆえに科学は反証主義を採用しているのだから。
問題は可能性の有無ではなく蓋然性がどうであるかです。
従ってあなたの提示した事例は「医者が非科学的・非論理的な発言をする」場合ですが、
当然、あなたが普遍命題的に「全ての医者が非科学的・非論理的な発言をする」というのであれば、これは「言葉に厳格で、科学的・論理的な発言をする医者の存在」を蔑ろにしていることになりますよね?
他方で、あなたが存在命題的に「全てではないが、非科学的・非論理的な発言をする医者がある」ということを言った場合、「非科学的・非論理的な発言をしない医者」を捨象できず、
その医者の発言自体の正当性は何物にも担保されない、要するにバカな医者が一人いたところでその医者の発言を取り上げてもあなたの発言の正当性をその事例が担保できない、
つまりこの例示は議論上で何の意味も持たない、ということになります。

> 「医者はルーズな生き物」とも言っていませんし。

言語に厳格でない場合の例示ですよね?

> しかも「医者が」という文言が「全ての医者」という解釈としましたか?
> 「全て以外の医者の捨象」はどうやってしましたか?

あなたの論者としての尊厳を担保に捨象しました。

> それにいつボクが全ての医者の発言だといいましたかね?

あなたの例示が存在命題的に「言葉にルーズな生き物だって医者をしている場合がある」ということであれば、その例示はあなたの説の正当性を一切担保できませんから無意味な詭弁です。
あなたが詭弁によって無意味な例示をした可能性を、あなたの論者としての尊厳を担保に捨象するならば、
これは存在命題的には解釈できない、すなわち普遍命題的に述べたに違いないと考えたわけです。

もしあなたが、詭弁によって無意味な例示をした、というなら私が前提した「あなたに正当な論者としての尊厳が備わっている」という前提自体が偽であったということですから、
当然この前提から導かれた「普遍命題的に述べている」という結論は誤りですので取り下げます。
「あなたに正当な論者としての尊厳が備わっている」という前提命題は偽でしょうか?つまり「あなたは不当な詭弁を提示する卑劣な論者」ということでよろしいでしょうか?