>>284
犯人の特定を手段の一つに挙げることは可能でしょうが、様々な手段のうちから手段を「論理的に」それに限定するためには、その他の手段を論理的に捨象する必要があります。
それ無しに手段を限定するならばその限定は恣意によるということです。

「原因が特定できず、全てに問題がある可能性がある」時、全てに問題があるとし対応し、そこから消去法で残ったものを原因と特定することは合理的であり、一般的な対応だと言えるでしょう。
恣意でも何でもありません。

> 「原因の排除」が最も有効であると仮定して、それを犯人の特定に限定することはどのように導出しましたか?
例えば、「監視者がいない」ことが原因であるなら見張りをつけることも「原因の排除」になり得るし、
「容易に手出しができる」ことが原因であるならフェンスの設置が「原因の排除」になり得るし、「罰せられた前例がない」ことが原因であるなら一人二人の犯人を見せしめにすることも「原因の排除」になり得ますよ?

犯罪が原因ではありません。
原因は犯人です。
悪戯が原因ではありません。
悪戯をする人間が原因です。


> つまり犯人探しは原因排除への対応として論理の飛躍でも何でもありませんよ。

他の手段を捨象して犯人探しに対策を限定することに論理的根拠があれば飛躍ではないですし、論理的根拠がなく恣意的に捨象するのであれば論理は飛躍していますよ?

> これは本題と関係ない余談ですね。PTA会費の使途の是非を判断するのはあなたでも私でもありませんが、一部の該当する生徒のためにPTA会費を運用することは珍しくありませんよ?部活動の運営資金や、特定の通学路の安全対策などがありますね。

まず根本的に「犯人が存在する悪戯」に対しPTA会費を使って防犯する訳がありませんよwww
新たな問題が発生しますからね?
やっぱり常識がずれてますかね?