>>266
> 「生徒全員が容疑者であるときの防止策」として住人は「苦情」を行っています。

違いますね。住人には犯人が生徒全員か生徒の一部かはどちらでもいいのです。住人の提示は「犯人を特定せよ」ですか?

> 何でもいいなら学校に対応を迫る必要もない。

住人は解決策を求めていますが、解決策が犯人探しだけであるという根拠がなければ、犯人探しを求めていると解釈することには論理の飛躍があります。
また、犯人探しにしても、手段が「全員を容疑者認定して全校集会を開く」だけであれという論理的根拠がなければ、それは論理の飛躍です。

例えばPTAで立ち番をして予防する、こっそり先生が監視して犯人を特定する、通学路を変更する、PTA会費から予算を捻出してフェンスを提供する、など様々な方法が対策として考えられます。
これらは別に犯人を特定しなくてもできる対策です。まだまだあるかもしれません。


>この一文の意味がよく分かりませんが、「全員ではない可能性」を捨象したのは住人ではなく学校側だということには合意できますか?

> 例えば、「1人以上〜生徒全員の可能性があるもの」に対し学校側の対応が1人に対しての対応でもいいということになりますが?

無論、それで事態が解決するなら、住人はそれで構わないでしょう。犯人探しや犯人の引き渡しを求めているのではないのだから。

>学校側が捨象できるとはそういうことですよ?

ですから、「生徒全員である可能性」にしろ「生徒全員ではない可能性」にしろ、捨象しているのは学校側ですよね?
あなたが言っているのは、学校側が住人に「犯人は生徒全員ですか?生徒の一部ですか?どの生徒です?」と聞いているようなものですが、
住人からしたらそんなことは論点ではない。「全てとは限らない不特定の生徒が悪戯をしているから、対策してくれ」というだけのこと。「全員か一部か、誰なのか、そんなのは知ったことじゃない」という話です。

> 一度で解決する対応とは、学校側が住人側が求めている対応に答えている対応です。
> でなければ何度も対応のやり直しが発生します。

何度も言いますが、住人から対策の指定はありません。

> つまり> この苦情に対する「結論の行方(学校側の対応)」は住人が決めているのです。

違いますよ。住人が全校集会を開けと言いましたか?飛躍にもほどがあるwww

> ではなく「防止策」「防犯」というものは「犯された者にもある一定の責任がかかる」ということは常識です。

ですから、論理的に読解すれば解釈が一様に定まるような文である、ということが書き手の一定の責任であり、それは満たしているはずですが?
そして「非論理的解釈」については読み手の責任である、と言っています。