>>249
「全ての可能性があり、全ての可能性がない」
この時、学校側の対応が「全ての可能性がない」からその対応で終わらせる。
もしくわ「どちらの可能性もあるので対応ができない」という結論で終わりでいいのですかね?
学校側が結論を出す(捨象していい)とはそういうことです。
そうではなく「住人側に考慮した対応」をとるのが一般的でしょう。
つまり一番最大の可能性「全ての可能性があることへの対応」がもっとも合理的だということになるから、そうするのだと思います。
(一度の対応で終わらせることができる可能性がある)
この苦情に対する「結論の行方(学校側の対応)」は住人が決めているのです。

学校側の対応が
@「犯人は誰だかわからない(全員の可能性があるまま)から、何もできません(放置)。」では問題解決とは言えません。
A「犯人特定が困難ですが全員の可能性がありますので、生徒全員に対応して対応します。」
では予防にはなるでしょうが犯人はバレていないのでまた悪戯をする可能性残ります。
B「犯人を特定する」
犯人が特定できれば悪戯の問題は解決になるでしょう。
住人側が求めるのは「問題解決」ですあり、ここです。
だから学校側に苦情したのです。
問題解決しなくていいなら苦情はいれません。
学校側への問題解決協力がいらないのであれば防犯カメラ設置等の対応により犯人を捕まえ警察に行くでしょう。

例えば、住人が警察に「学校の生徒が悪戯をする。」と苦情を言いに言っても警察が全て問題解決をしてくれるわけではありません。
「自身も防犯をする」ことは「当たり前」です。これは社会の常識ですね。
つまり学校側にだけ対応させることは社会的には「非常識」になります。
住人には「生徒全員を容疑者」にした責任は生まれます。