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俺さ家庭菜園やってるんだけど [転載禁止]©2ch.net
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0001菜々しさん
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2015/12/02(水) 16:37:58.87ID:6GOrwX4Y
土作りに牛糞その他の動物性肥料は欠かせないし、農薬もやっぱ最低限撒かないと虫食いにやられるんだわ
ベジタリアンって農業の過程で生じる犠牲については自覚あんの?
0221菜々しさん
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2015/12/16(水) 22:49:25.53ID:SQlhWxxF
>>219
それを妨げる理由なんか聞いでない。
他にも言い方があるのにわざわざ犯罪の意味を含めた犯罪用語として常用されている「詐欺」欺瞞などという社会的地位を下げる言葉を選んだのか?と聞いている。
悪意があったと解釈されても仕方がないよね。
論理的かどうかの話はおまえが論理的かと言い張っているたけで俺は違うと説明しているにもかかわらず、理解をせずらちがあかない。おまえはそう。俺は違う。で終わり
ベジタリアンのことを指して詐欺だと解釈する可能性があり、犯罪を連想する可能性は論理的でかなかったとしても、合理的です。

良心ある人間なら、訂正か謝罪するべきでしよ。肉粘着さん、世の中の人は「誤解されるような文言があったのなら訂正します。そのことで不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません。」
っていってますよ。論理的な文章として成り立っているから謝らないって最低だよね。どっちが迷惑かけてんだよ
、論理的イコール正しいではない。
0222菜々しさん
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2015/12/16(水) 23:01:25.88ID:SQlhWxxF
>>219
上司が部下の女性に「教えてあげるから、こっちへ来ないか。」といった。
彼女は仕事のことかと思い、上司についていったらセクハラをされてしまいました。
彼女はそのことを訴えました。
その上司は「私は論理的なことを言っていましたよ。問題ない。あなたが主観で解釈したんだから、あなたが悪い。」と言い放つ。
論理的イコール正しいではない。当然だ世間ではそんな上司の言い訳は通用しない。

肉粘着さん、根底の考え方はあなたも同じです
。迷惑をかけたのはのはどちらですか?
0223菜々しさん
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2015/12/17(木) 01:04:45.44ID:6WUFZftM
どんな曖昧な文章だって文法上は成立している。どのように解釈するかは
読み手の自由。
論理的≠正しい

の説明はしたよね。

『どちらの解釈のほうが合理的で世間一般に受け入れられそうかは一目りょう然でしょ』

「自分の理屈は100%正しく、その論理は他人に受け入れられるべきである」
これは《相手の理屈・論理・都合》を無視していますので、一方的で暴力的な思考です。
どれだけ自分にとって論理的であろうが
その理屈が《相手にとって不快・不利益な結果をもたらす》のであれば当然受け入れられません。
相手には相手なりの主張・理屈がある為です。
「論理的なことを言っているのだから従え!!」と相手を責めるのは究極の飛躍です。
繰り返しますが《論理的な発言=自己主張の詳細説明》でしかありませんので
論理的主張自体を理由に相手を服従させようとするのは「説明したんだからいいだろ!!」というのと変わりないのです。
相手があなたの論理に従う理由はどこにもない
0224菜々しさん
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2015/12/17(木) 02:21:40.86ID:2ZRo+d1F
>>221
> 他にも言い方があるのに

変更の必要が無いので無意味だと思いますが、参考までに聞いておきましょう。
元の文の当該部分は以下。
「ベジタリアンの主張の根拠として、非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり、といった詐欺的手法による欺瞞がしばしば提示されます」
さて、「詐欺」の代わりにどのような語句を用いますか?

> 悪意があったと解釈されても仕方がないよね。

仕方ないですねwww
「『非論理的解釈』をしてしまう『非論理的な人間が存在する』」という現実があるならね。しかし私の責任ではないがwww
0225菜々しさん
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2015/12/17(木) 05:48:35.39ID:uCvcKhYS
>>211
だから「ベジタリアン」とは「1人以上〜全員以下のベジタリアン」です。
と言っています。
「それ」が「存在している」のです。
この中から「犯人」を探すのであれば「全員の可能性がある」です。

「犯人」つまり「欺瞞を提示するベジタリアンは何人か?全員か?半分か?1人か?」を「探せ、見つけろ、判明しろ」とは言っていません。
貴方もそれは必要ないでしょう。
「1人以上の欺瞞を提示するベジタリアンが存在していれば合理」なのですから。
しかし、
「全員が犯人になる可能性」つまり「全員が容疑者」であることをボクは「止めてくれ」と言ってます。
貴方にもそれは
必要なく、ボクも必要ないのであれば、「全員が容疑者である状態を外す」ことでよくないですかね?
貴方が「どうしてもベジタリアン全員が容疑者である必要が論理的にある」のであれば別ですが。
容疑者にされたベジタリアンに対し謝罪も要求してますが。

雪山の例は「全員のベジタリアンが容疑者にされている」のとは話が違います。
言った本人が殺人鬼の可能性もありますのでね。
被害者が車両にいた1人以上〜全員以下の男に対し痴漢だと言っている状態です。
こちらは「冤罪でありながら容疑者にされた側の話」をしています。
0226菜々しさん
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2015/12/17(木) 14:24:09.65ID:2ZRo+d1F
>>223
> 読み手の自由。

つまり読み手の問題ですね。やっと合意できそうですねwww

> 論理的主張自体を理由に相手を服従させようとするのは「説明したんだからいいだろ!!」というのと変わりないのです。
> 相手があなたの論理に従う理由はどこにもない

勘違いしているようですが、私は別にあなたを服従させようとしていませんよ?単に私の主張を提示しただけです。
むしろ、あ・な・た・が、私に「文言を変更せよ」「謝罪せよ」と服従を迫っているのです。
あなたの説なら当然、私があなたに従う理由はないwww
0227菜々しさん
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2015/12/17(木) 14:43:52.86ID:2ZRo+d1F
>>225
> 雪山の例は「全員のベジタリアンが容疑者にされている」のとは話が違います。
> 言った本人が殺人鬼の可能性もありますのでね。


文言を提示した私がベジタリアンである可能性はどのように捨象されました?論理的に説明をお願いします。
さて、先の例示に問題があるとするなら以下のようなものはどうでしょうか。

小学校の近くの住人から「お宅の生徒の悪質な悪戯として、ウチの植木の枝が折られたり葉がむしられたりといった行為がしばしば行われている」という苦情が来た。

さて、住人は小学校の生徒の全てが該当するかしないかを判別してからでないと苦情を訴えてはならないかどうか、住人は犯人を特定する責任を負うか、
また住人は生徒全員が犯人であると主張しているか、よく考えてみてくださいね。
0228菜々しさん
垢版 |
2015/12/17(木) 16:03:26.27ID:2ZRo+d1F
>>373-375
> 「ベジタリアン」はベジタリアンでありそれ以上でもそれ以下でもない。
> 他の意味は含まれていません。

「論理的解釈」としては「全てとは限らない不特定のベジタリアン」に収束することは論証しました。

> どう解釈するかは自由です。正解なとありません。

もちろん「論理的解釈」以外の解釈、つまり「非論理的解釈」をするのも読み手の自由です。
「非論理的解釈」として、ベジタリアンという語を「ヒトラーユーゲント」と読むのも自由です。
であるならば、解釈は読み手の問題です。

> 「(限定されない無限定の)ベジタリアン主張」のなどという意味は「ベジタリアンの主張」からは導出されません。
> 論理的飛躍です。しかしあなたにとっては論理的なのでしょう。笑

www
論理的に導出できることは論証しました。「飛躍がある」というのが事実に反するレッテル貼りでないならば、どこにどのような飛躍があるか指摘してくださいね^^
それとも根拠のない言い掛かりですか?

> むしろ「ベジタリアン(側)の主張」と論理的に解釈できると私は思います。

「側」ねえwww
「側」とつけると「全員」になるんですか?
おっかしいなあwww
戦争で日本側に死者が出た、というとき、日本側が全員死んだと解釈しちゃうわけだwwwおっかしいなあwww

>詐欺行為をやっていない人が傷つくことがわからないのですか?

勝手に文言に自分を当て嵌めて、勝手に中傷されたと感じるのも本人の非論理的で自由な解釈の問題だとすると、自傷行為みたいなもんですね。精神的に病んでるのでしょうか?
0229菜々しさん
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2015/12/17(木) 16:11:03.88ID:2ZRo+d1F
>>228は誤爆です。失礼。
0230菜々しさん
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2015/12/17(木) 16:12:39.41ID:uCvcKhYS
>>213
一回〜全てミス(失敗)が起こる可能性があるミスに対し、「全てミスが起こる可能性を考慮し行動する」。
その行動とは「安全対策」のようなことです。
社会の中では当たり前に行われている対策の一つです。
例えば原子力発電所等でも安全対策は当たり前に行われています。
これが「現実的」な対応です。
「問題(ミスが起こる可能性)」に対し「対応」する。
「現実的」であり、「一般的」であり、「社会的」です。
「一回〜全てミスが起こる可能性がある」ことを「そのまま放置しておくこと」は「非現実的」だとも言えます。
0231菜々しさん
垢版 |
2015/12/17(木) 16:25:35.96ID:uCvcKhYS
>>227
>小学校の近くの住人から「お宅の生徒の悪質な悪戯として、ウチの植木の枝が折られたり葉がむしられたりといった行為がしばしば行われている」という苦情が来た。

さて、住人は小学校の生徒の全てが該当するかしないかを判別してからでないと苦情を訴えてはならないかどうか、住人は犯人を特定する責任を負うか、
また住人は生徒全員が犯人であると主張しているか

普通に考えて、
住人は「全ての生徒が犯人の可能性がある」として「お宅の生徒」という言い方をしたと解釈できます。
住人も先生も「犯人はわかりません」が、先生は「全校集会を開き、全校生徒に向けこの事件についての対応」をするでしょう。当たり前ですよね?
その時、全く関係ないのに「容疑者扱い」された生徒はどう思いますかね?
住人が近所に「あの学校の生徒は悪質なひどいことをする!」と喋り回っていた場合、近所から「そういう目」で見られてしまった関係ない生徒はどんな気持ちですかね?
0232菜々しさん
垢版 |
2015/12/17(木) 16:43:04.04ID:uCvcKhYS
>>227
貴方の主張である「1人以上〜全員以下のベジタリアン」の「ベジタリアン全員だけを取り出せない」というのは、
先生に「全校集会を開き、全校生徒に向けこの事件についての対応ができない!」
と言っているのです。
現実ではいくらでも「全て」を引き出して「対応」「処置」「考慮」等の行動を起こせます。
「生徒が悪質な悪戯をしてない可能性を論理的に捨象」しなくとも住人は「お宅の生徒」と言って来るでしょうし、
先生が「うちの生徒ではない可能性もある」なんてことはあっても言いませんし、犯人がわからない以上「全校生徒の可能性がある」ことで「対応」するでしょう。
そうしなければ住人と揉める可能性もあります。
「全校生徒の可能性」を認めた中で先生は住人に謝罪するでしょう。
一般的、社会的に当たり前に行われていることと言えるでしょう。
もし犯人がわかったのであれば、住人は「疑いをかけた関係ない生徒に対して謝罪もするでしょう」。
一般的、社会的に当たり前に行われていることと言えるでしょう。
0233菜々しさん
垢版 |
2015/12/17(木) 17:01:05.69ID:uCvcKhYS
>>227
>住人は犯人を特定する責任を負うか

これがまだでしたね
住人が「お宅の生徒」と言ったからには「生徒全てを容疑者扱い」にした責任は生まれるでしょう。
それと基本的に「犯人を確定したい」「犯人が誰か、何人か、全員かを追及したい」のは住人です。
学校は普通「苦情に対し対応」しているだけです。
貴方が「ベジタリアンは詐欺できるだけだからベジタリアンは何とかしろ!」という苦情を言ってくるなら、他のベジタリアンは何かしらの対応をするんでしょう。

貴方がベジタリアン?www
まあ証拠はないけどね。
あなたはベジタリアンにはなれないでしょうよwwwあ、これはボクの個人的な考えねwww

でも「後押し理由」にしろ、今までのコメントにしろ、それで貴方がベジタリアンならそれはそれでウケるけどねwww
0234菜々しさん
垢版 |
2015/12/17(木) 23:04:35.06ID:2ZRo+d1F
>>230
「交通事故にあう可能性がゼロでないからといって、人は外出する」これは一般的ではないですかね?
これが一般的だとすると、

> 一回〜全てミス(失敗)が起こる可能性があるミスに対し、「全てミスが起こる可能性を考慮し行動する」。

必ずしもこれが常に一般的とはいえないことになります。
さて、先の例は一般的でしょうか?一般的ではないでしょうか?
私には十分に一般的だと思えますが、どうですかね?
社会の中で当たり前に行われていませんか?
これは「現実的」ではないんですか?
私の目には、日頃外を歩いている人が沢山目につきますが、幻覚でしょうか?
0235菜々しさん
垢版 |
2015/12/17(木) 23:55:43.50ID:2ZRo+d1F
>>231-233
>小学校の近くの住人から「お宅の生徒の悪質な悪戯として、ウチの植木の枝が折られたり葉がむしられたりといった行為がしばしば行われている」という苦情が来た。

質問は3つです。
【Q1】住人は小学校の生徒の全てが該当するかしないかを判別してからでないと苦情を訴えてはならないかどうか、
【Q2】住人は犯人を特定する責任を負うか、
【Q3】住人は生徒全員が犯人であると主張しているか

> 住人は「全ての生徒が犯人の可能性がある」として「お宅の生徒」という言い方をしたと解釈できます。

これは【Q3】の回答ですね?
この「全ての生徒が犯人の可能性がある」とは
a「『全ての生徒が例外なく必ず犯人である』つまり、『犯人に該当しない生徒はいない』可能性がある」の意味ですか?それともb「犯人に該当する可能性が等しく全ての生徒にある」という意味ですか?
住人の提示はa「全ての生徒が犯人である」ではなく、b「全てとは限らない不特定の生徒が犯人だ」ではないですかね?

> 住人も先生も「犯人はわかりません」が、先生は「全校集会を開き、全校生徒に向けこの事件についての対応」をするでしょう。当たり前ですよね?

これは【Q2】に関連するのでしょうか?

> 貴方の主張である「1人以上〜全員以下のベジタリアン」の「ベジタリアン全員だけを取り出せない」というのは、
> 先生に「全校集会を開き、全校生徒に向けこの事件についての対応ができない!」
> と言っているのです。

違いますよ?
私は住人の立場です。質問は「住人が犯人を特定しなければならないかどうか」です。

「全てとは限らない不特定の生徒が犯人だ」と聞いて、集会を開くのは先生の判断です。住人はそれを妨げません。
「全てとは限らない不特定のベジタリアンが欺瞞を提示する」と聞いて、有志がベジタリアン全員に欺瞞の提示の有無を確認することを私は妨げませんよ。

> 現実ではいくらでも「全て」を引き出して「対応」「処置」「考慮」等の行動を起こせます。

それは「犯人探しをする人間」のやることです。
前後しますが、

>その時、全く関係ないのに「容疑者扱い」された生徒はどう思いますかね?
> 住人が近所に「あの学校の生徒は悪質なひどいことをする!」と喋り回っていた場合、近所から「そういう目」で見られてしまった関係ない生徒はどんな気持ちですかね?

住人はあくまで「全てとは限らない不特定の生徒」としか言っていない。
全てでない可能性を捨象し全ての生徒を集めたり、特定されていないのに特定の生徒を呼び出して「容疑者扱い」したとしたら、それをした先生の問題です。

> 住人が「お宅の生徒」と言ったからには「生徒全てを容疑者扱い」にした責任は生まれるでしょう。

「生徒全て」はどう導出しましたか?
0236菜々しさん
垢版 |
2015/12/17(木) 23:56:16.80ID:2ZRo+d1F
>>231-233
>それと基本的に「犯人を確定したい」「犯人が誰か、何人か、全員かを追及したい」のは住人です。

ちょっと待ってください?住人はそのような要求はしていません。
悪質な悪戯を通報したのであり、これは再発防止を求めていると考えられますが、その対策手段までは指定していません。
登下校時にPTAから見張りをつける等の対応でもいいのかもしれません。
住人は必ずしも犯人探しを求めていません。

>学校は普通「苦情に対し対応」しているだけです。
> 貴方が「ベジタリアンは詐欺できるだけだからベジタリアンは何とかしろ!」という苦情を言ってくるなら、他のベジタリアンは何かしらの対応をするんでしょう。

ですから、有志が犯人探しをし、その他のベジタリアンの容疑を払拭するのを私は妨げません。どうぞおやりなさい。
いずれにせよ私の主張には、犯人が全てのベジタリアンでも、一部のベジタリアンでも、どのベジタリアンであっても関係はありません。
単に該当するベジタリアンが「全てとは限らない不特定」の範囲に存在する、ということを言っており、以降の文の前提としているだけですから。

> 貴方がベジタリアン?www
> まあ証拠はないけどね。
> あなたはベジタリアンにはなれないでしょうよwwwあ、これはボクの個人的な考えねwww

つまり恣意で可能性を捨象した、ということねwwwそれを根拠に例示が不適当と仰った、とwww
非論理的ですね。
まあ小学校の例を採用するのであれば、それで構いませんけれど。

で、【Q1】への回答がまだのようです。【Q2】【Q3】への回答へのこちらからの回答はそれぞれ提示しました。
0237菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 05:49:20.22ID:EdeJXDbB
>「交通事故にあう可能性がゼロでないからといって、人は外出する」これは一般的ではないですかね?

ボクの主張は「全てが該当する可能性に対し行う対応」のことですから、
>>2貴方の主張に当て嵌めるなら「一回〜全て交通事故が起こる可能性」。
「全て交通事故が起こる可能性がある」ですから「全てにならないような対応」をすることが一般的です。
対応とは法の整備、信号機の取り付け、歩道の設置等々があります。
ですから人は「全て交通事故が起こる可能性は低い」として外出するでしょう。
というよりも日本人が外出する時は「事故、事件は起こらない」という思いの方が先行して外出しているでしょうがね。
0238菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 07:03:40.41ID:KYhReP8z
>>237
>「全て交通事故が起こる可能性がある」ですから「全てにならないような対応」をすることが一般的です。

>>2の文は、全ての人が誤読するような文ではなく、誤読を避ける安全対策としては十分に論理的に表現されていると思いますが?
0239菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 07:18:00.78ID:KYhReP8z
>>237
あと>>211
>なんらかの新しい文が「元の文から差違のない『言い換え』」であるためには、それぞれの語について語義が元の文に論理的に規定される意味に過不足なく規定されていなければならない。
>これは分かりますよね?

に回答がありません。よろしくお願いしますよ。
0240菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 07:58:33.39ID:KYhReP8z
>>237
ああ、文意をとらえ間違えていたかな?
> ボクの主張は「全てが該当する可能性に対し行う対応」のことですから、

全ての読み手が誤読する可能性に対する対応、ではなく、全てのベジタリアンが該当し得る可能性を捨象するような対応、の意味ですかね?
だったら話は簡単で、元の文は「全てのベジタリアンが該当するかどうか(例外があるかどうか)判断をしていない」し、そういった判断を“意図していない”から「全てのベジタリアンが該当する可能性を捨象していない」のです。
「全てのベジタリアンが該当する可能性」を捨象するためには、例外が確かに存在することを検証しなければならない。それは元の文の主張とは目的が別のことであって、元の文の文意には含まれていないというだけの話です。

元の文の主張にとっては、該当者が「全てのベジタリアン」であろうが「一部のベジタリアン」であろうが「特定のどのベジタリアン」であろうが関係ありません。
ただ、そのようなベジタリアンが「必ずしも全てとは限らない不特定のベジタリアン」として存在するというだけで必要十分なのですから。

住人にとっては、「犯人が誰であろうとそのような悪戯をする生徒があるということ」が学校に伝わることと、その結果として何らかの対応が得られることが目的と考えられます。
しかし、必ずしも犯人が「全ての生徒」か「一部の生徒」か、あるいは「特定のどの生徒」かを判明させることを目的としているとはいえないのです。
犯人探しをしたい、という文言ではありません。元の文も、どのベジタリアンが該当者か知りたいという文言ではありません。
そんなことは文言の外なのです。

あなたが、どのベジタリアンが該当するのか知りたければ、それはあなたのお仕事ですし、
あなたが、ベジタリアンに例外があることを示したければ、それはあなたのお仕事です。
あなたが、生徒全員の問題だと考えるなら、全校集会を開くのはあなたのお仕事ですし、
あなたが、犯人生徒を特定したいならば、捜査するのはあなたのお仕事です。

あるいは、住人に「どうしてほしいか」打診するのもいいでしょう。
私ならこう答えます。
「犯人が『全ての生徒』か『一部の生徒』か『どの生徒』かはどうでもいい。何らかの手段での再発防止を求める目的で、そういう生徒が存在するという事実を述べただけだから。」

「犯人が『全てのベジタリアン』か『一部のベジタリアン』か『どのベジタリアン』かはどうでもいい。その後の主張の前提として、そういうベジタリアンが存在するという事実を述べただけだから。」
0241菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 11:43:40.41ID:Nva0AmZN
ベジタリアンは論理的思考が弱い気がする
0242菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 12:11:49.41ID:EdeJXDbB
>【Q1】住人は小学校の生徒の全てが該当するかしないかを判別してからでないと苦情を訴えてはならないかどうか、
【Q2】住人は犯人を特定する責任を負うか、
【Q3】住人は生徒全員が犯人であると主張しているか

【Q1】
住人は全てが該当しなくても苦情はいえます。
しかしこの場合、住人は「お宅の生徒」という言い方をしたということは「全ての生徒を容疑者扱いにしている」ということです。
「お宅の生徒の一部が」「お宅の生徒の全てではないが」等、限定して言うことが出来るのにです。
なのにわざわざ全てを該当させてるのは住人ですよ?

【Q2】
まず始めに、住人の「お宅の生徒」という文言。そこから「生徒全員が容疑者」としたのは住人です。
前にも言ってますが、ボクは犯人を特定しろとは言っていません。
が、「全員を容疑者」にならないように「文言の限定」をして欲しいのです。
それは文言を提示した者が対応する責任はあるでしょう。

【Q3】
「お宅の生徒」という言い方では全員が犯人であるという限定はできません。
しかし、これは>>231にも書きましたが、
住人は「生徒全員が犯人に該当する可能性がある」から「お宅の生徒」という言い方をしたと解釈できます。
だから学校の対応も「全校生徒へ向けた対応」をとることになります。
0243菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 12:34:53.21ID:894RLI9C
>>238
「全て事故にならないような対応」ですよ?
貴方の主張のままでは「全て事故になる可能性が存在するまま」ですよ?
対応とはその先の行動です。
0244菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 12:42:31.84ID:894RLI9C
>>238
「全て事故にならないような対応」ですよ?
貴方の主張のままでは「全て事故になる可能性が存在するまま」ですよ?
対応とはその先の行動です。
0245菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 12:47:32.29ID:894RLI9C
>>239
>なんらかの新しい文が「元の文から差違のない『言い換え』」であるためには、それぞれの語について語義が元の文に論理的に規定される意味に過不足なく規定されていなければならない。

結果を同じにしなくてはダメでしょうが、多様な意味を持つ言葉には一様になるような限定が必要になると思いますが。
0246菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 12:48:42.38ID:894RLI9C
>>239
>なんらかの新しい文が「元の文から差違のない『言い換え』」であるためには、それぞれの語について語義が元の文に論理的に規定される意味に過不足なく規定されていなければならない。

結果を同じにしなくてはダメでしょうが、多様な意味を持つ言葉には一様になるような限定が必要になると思いますが。
0247菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 12:54:12.61ID:894RLI9C
>>240
いやいや前にも言ってますが
貴方がそのつもりで提示した主張でなくとも、文言に含まれた解釈は存在しています。
「ベジタリアン」とは「1人以上〜全員以下のベジタリアン」であり、「ベジタリアン全員が容疑者」になることが存在しています。
それを「誰か」がそう理解する可能性も否定できない。
ということです。
0248菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 13:40:59.43ID:KYhReP8z
>>243
信号を設けたところで信号を守る者があるだろうというのは期待でしかありませんよね。しかし、信号を守る者があれば事故は減らせるとの考えから設置するんですよね?
論理的に十分な表現であっても読み手が「非論理的解釈」をするかもしれない。しかし、「論理的解釈」をする者があれば誤読は減らせる、ということと違いがありますかね?
論理的に十分な文を書いても誤読する読み手が現れ得る、というのは、信号を設置しても事故は起こり得る、ということと同じで、どこまでの対応で十分と考えるか、というところだと思いますが、
私としては「論理的解釈」の上で意図を外れた解釈が生じないのであれば、すなわち読み手の「非論理的解釈」によらなけれはま意図を外れた解釈が生じないのであれば、これは文としては十分だと考えます。
0249菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 14:05:44.69ID:KYhReP8z
>>242
>【Q1】住人は小学校の生徒の全てが該当するかしないかを判別してからでないと苦情を訴えてはならないかどうか、
【Q2】住人は犯人を特定する責任を負うか、
【Q3】住人は生徒全員が犯人であると主張しているか

【Q1】
> 住人は全てが該当しなくても苦情はいえます。
> しかしこの場合、住人は「お宅の生徒」という言い方をしたということは「全ての生徒を容疑者扱いにしている」ということです。

住人は「全ての生徒と限らない」と言っています。「全て」かもしれないし、「全てではない」かもしれない。
「全てではない可能性を捨象」しなければ「全ての生徒を容疑者」にはできないはずですが、「全てではない可能性を捨象」したのは住人ではなく先生ですよ?

>「お宅の生徒の一部が」「お宅の生徒の全てではないが」等、限定して言うことが出来るのにです。

え?住人が「全てではない生徒」と言うためには、該当しない生徒を検証しなければならないはずです。住人がそのような検証の手段を持っていることはどう説明します?
質問自体は「そのような検証をしなければ住人は苦情を呈してはならないかどうか」です。

>なのにわざわざ全てを該当させてるのは住人ですよ?

違いますね。該当するかしないかについての住人の判断は留保されています。

【Q2】
> まず始めに、住人の「お宅の生徒」という文言。そこから「生徒全員が容疑者」としたのは住人です。

住人の提示は「全てとは限らない不特定の生徒」ですよ。そこから「全てではない生徒の可能性」を捨象して「全ての生徒」としたのは住人ではない。

> 前にも言ってますが、ボクは犯人を特定しろとは言っていません。

つまり、住人が犯人特定する責務は負わない、でいいですか?

> が、「全員を容疑者」にならないように「文言の限定」をして欲しいのです。
> それは文言を提示した者が対応する責任はあるでしょう。

それは「全員ではない」ことを検証しなければ述べられません。
すると結局、犯人とそうでない者を住人が判別しなければならないということに繋がるのですが?
「全てとは限らない不特定の生徒」と言っているだけなのに?「全て」か「全てではない」か述べていないのに?

【Q3】
> 住人は「生徒全員が犯人に該当する可能性がある」から「お宅の生徒」という言い方をしたと解釈できます。

同時に「全てではない可能性」もあるから「全てとは限らない不特定の生徒」という提示をしていると解釈できます。
「全て」と判明していればそのように限定できるはずですので。
> だから学校の対応も「全校生徒へ向けた対応」をとることになります。

それは学校側が「全てではない可能性」を捨象した結果生まれた解釈であり判断であり、対応ですよね。
0250菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 14:12:40.11ID:KYhReP8z
>>245
> 結果を同じにしなくてはダメでしょうが、多様な意味を持つ言葉には一様になるような限定が必要になると思いますが。

これは
なんらかの新しい文が「元の文から差違のない『言い換え』」であるためには、それぞれの語について語義が元の文に論理的に規定される意味に過不足なく規定されていなければならない。

ということに合意という意味でしょうか?
結果を同じにしなくてはならない、言葉の意味が一様になるような限定が必要、これらは先の文の内容に整合すると思います。
しかしあなたの文には「ダメでしょう『が』」「思います『が』」という具合に「が」という語が書かれています。
これらには何らかの反意が込められているのでしょうか?
合意か否か明確にしていただきたく、また合意でない場合は反論をお願いします。
0251菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 14:18:15.84ID:KYhReP8z
>>247
> 貴方がそのつもりで提示した主張でなくとも、文言に含まれた解釈は存在しています。

元の文について、解釈は「全てとは限らない不特定のベジタリアン」に解釈が収束します。
文言に含まれた解釈はこれです。
そこから「全てではない可能性」を捨象しなければ「ベジタリアン全員の可能性」を抽出はできません。
その捨象に論理的な根拠がなければ、それは読み手の恣意が根拠となった「非論理的解釈」だということです。
無論、読み手の捨象について論理的に正しい根拠が提示されたならば、それは「論理的解釈」といえるでしょうが。
0252菜々しさん
垢版 |
2015/12/18(金) 22:38:20.47ID:vWtCQnqT
人はなぜ、がんにかかるのか
生活習慣や環境のせいか、それとも運が悪いからか

定説が確立していないこの問題について、
今年1月には3分の2の症例は不運が
原因だという説が今年発表され、大きな議論を招いた
それに対して、16日に英科学誌「ネイチャー」に発表された
米ストーニー・ブルック大学の研究チームの報告は、
たまたま体が「不運」にもそうなってしまったから
がんを発症したと言える症例は1〜3割で、
残りは生活習慣や環境が要因となっていると結論している

リチャード・リスター記者が解説する

ソース/BBC
http://www.bbc.com/japanese/video-35129490
0253菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 07:27:03.57ID:lgxkKJ1+
>>249
「全ての可能性があり、全ての可能性がない」
この時、学校側の対応が「全ての可能性がない」からその対応で終わらせる。
もしくわ「どちらの可能性もあるので対応ができない」という結論で終わりでいいのですかね?
学校側が結論を出す(捨象していい)とはそういうことです。
そうではなく「住人側に考慮した対応」をとるのが一般的でしょう。
つまり一番最大の可能性「全ての可能性があることへの対応」がもっとも合理的だということになるから、そうするのだと思います。
(一度の対応で終わらせることができる可能性がある)
この苦情に対する「結論の行方(学校側の対応)」は住人が決めているのです。

学校側の対応が
@「犯人は誰だかわからない(全員の可能性があるまま)から、何もできません(放置)。」では問題解決とは言えません。
A「犯人特定が困難ですが全員の可能性がありますので、生徒全員に対応して対応します。」
では予防にはなるでしょうが犯人はバレていないのでまた悪戯をする可能性残ります。
B「犯人を特定する」
犯人が特定できれば悪戯の問題は解決になるでしょう。
住人側が求めるのは「問題解決」ですあり、ここです。
だから学校側に苦情したのです。
問題解決しなくていいなら苦情はいれません。
学校側への問題解決協力がいらないのであれば防犯カメラ設置等の対応により犯人を捕まえ警察に行くでしょう。

例えば、住人が警察に「学校の生徒が悪戯をする。」と苦情を言いに言っても警察が全て問題解決をしてくれるわけではありません。
「自身も防犯をする」ことは「当たり前」です。これは社会の常識ですね。
つまり学校側にだけ対応させることは社会的には「非常識」になります。
住人には「生徒全員を容疑者」にした責任は生まれます。
0254菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 07:37:40.76ID:lgxkKJ1+
>>250
結果は同じにならなくてはダメでしょう。
が、同じ文章でも多様な意味のある言葉がある時(ここで言うベジタリアンの解釈や詐欺の意味)や、足りない言葉の補完を含め、一様になるように文章を変えてもかまわないと思います。
例えば、「貴方がキライだ」という文章を「私は貴方がキライだ」というように等
0255菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 08:12:19.19ID:lgxkKJ1+
>>251
だからそれは
人を容疑者にしておいて、容疑者にされた人(冤罪)が「止めてくれ」と言って来ているのを、「そんな筋はない」といい放っているということですよ?
ネットで世界に向け「容疑者」として掲示したんですよ貴方は?

そして貴方しか容疑は外せない。
貴方は犯人の数は必要ないはずです。
欺瞞を提示するベジタリアンが1人存在していればそれでいいはずです。
ならばそう「限定」しても何ら問題はないはずですよね?
なぜできないのですか?

それと「1人以上〜全員以下のベジタリアン」という状態は現実的に存在しません。
それは思考上の解釈の存在です。
現実的には「限定された状態に対し対応する」ことしかできません。
「容疑者」「ミス」「交通事故」等の問題解決に対する対応は「全ての可能性に対応する」ことが合理的になるでしょう。
0256菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 09:24:29.90ID:U1dMqWGz
この人のロジックだと「日本では犯罪が発生している」と言っても、日本にいる人全員が犯罪の容疑者になるのだろうから訂正しなきゃいけないし大変だな。

もっかい論理組み直した方がいいんじゃないか?
0257菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 10:54:10.24ID:lgxkKJ1+
>>256
>「日本では犯罪が発生している」と言っても、日本にいる人全員が犯罪の容疑者になるのだろうから訂正しなきゃいけないし大変だな。

「日本では犯罪が発生している」という文言だけで解釈するのであれば「1人以上〜全員以下の日本に住む人間が容疑者」となりますね。
例えば「韓国では犯罪が発生してる」と言われて貴方が韓国へ旅行へ行くとき、
「韓国に住む人間は全員こちらに危害を加える可能性がある」という解釈になりませんか?
ですから「全ての犯罪が発生する可能性」に対応するための法と警察です。
一部の犯罪に対応するための法と警察ではありません。
「犯罪が存在する」のに「全ての犯罪の可能性に対応できない」ということは現実的ではないです。
現実的には「限定」が行われています。
容疑者を外すという限定の中から犯人を特定したりという対応も1つです。
限定することにより「全てではなくなる」のです。

現実的に言えば「日本に住む人間全員」と言われても赤ちゃんや寝たきりの人等を含みますので「全員は有り得ない」。
ですから「文言の解釈が不合理」ことにもなり得ます。
しかし「文言の解釈」というものは「全員を含んでしまう」という結果を導いてしまいます。
論理的とは「思考上の解釈」でしかないということでもあるでしょう。
0258菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 10:55:35.84ID:pla2RSdx
>>253
> 「全ての可能性があり、全ての可能性がない」
> この時、学校側の対応が「全ての可能性がない」からその対応で終わらせる。
> もしくわ「どちらの可能性もあるので対応ができない」という結論で終わりでいいのですかね?

住人は犯人を特定せよとは言っていません。住人からしたら事件が起きなければ防止策は何でもよいと考えられます。

> 学校側が結論を出す(捨象していい)とはそういうことです。

この一文の意味がよく分かりませんが、「全員ではない可能性」を捨象したのは住人ではなく学校側だということには合意できますか?

> (一度の対応で終わらせることができる可能性がある)

これは学校側の判断ですよね?ですから

> この苦情に対する「結論の行方(学校側の対応)」は住人が決めているのです。

これは違うのでは?

> つまり学校側にだけ対応させることは社会的には「非常識」になります。
> 住人には「生徒全員を容疑者」にした責任は生まれます。

これは元の文に還元すれば
「非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり、といった詐欺的手法による欺瞞」に注意するのは自己責任だ、ということであって、
今の議論とは別の話だと思います。

ところで【Q1】〜【Q3】の論点への回答が無いようです。よろしくお願いします。
0259菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 10:59:03.80ID:pla2RSdx
>>254
結果が同じでなければならない、ということは
例えば仮にあなたが提案したように元の文の主語を「ベジタリアン」に置き換えるとしたら、
「全てとは限らない不特定のベジタリアン」であると解釈が収束するように「ベジタリアン」という語を規定しなければならない、ということです。
0260菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 11:00:23.37ID:lgxkKJ1+
>>258
253は249の 【Q1】〜【Q3】に 対する返答ですよ?
0261菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 11:07:42.25ID:lgxkKJ1+
>>259
だから「ベジタリアン」は「1人以上〜全員以下のベジタリアンの存在」と言っていますよ?
それは「全員が欺瞞を提示する容疑者」という状態であるということです。
現実的に「1人以上〜全員以下のベジタリアンの存在」が欺瞞を提示することは不可能に近いでしょう。
なのに「容疑者にされてしまっています。」
ということです。
0262菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 11:12:40.71ID:7hoIb9PZ
「日本で犯罪が発生している」という文章は「日本にいたことのある全ての人が犯罪者 」と解釈される可能性があるから、訂正した方が良い文章だと君は主張してるのよね?

無理があるから論理を組み直した方がいいよと薦めているんだが、この文章は訂正すべき文章だと思っているの?
0263菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 11:14:13.56ID:pla2RSdx
>>255
> だからそれは
> 人を容疑者にしておいて、容疑者にされた人(冤罪)が「止めてくれ」と言って来ているのを、「そんな筋はない」といい放っているということですよ?

まず、「全てとは限らない不特定の人」というのは特定の誰かを容疑者認定していません。
「容疑者にされた人」というのは存在しません。
それから、特定の誰かが「私は該当しない」と言ったとして、それはどのように担保されますか?
さらに、その人が「私は該当しない」と言ったところでそもそも「別にあなたが該当するとは言ってませんよ」というだけの話。
> 欺瞞を提示するベジタリアンが1人存在していればそれでいいはずです。

「一人である」というためには「一人であること」を検証しなければならないし、「十人だ」というためには「十人であること」を検証しなければならないし、「全員ではない」というためには「全員ではないこと」を検証しなければならない。
しかしそんなことは論点じゃないんですよ。
こちらとしては「全てとは限らない不特定の」というだけです。
> それと「1人以上〜全員以下のベジタリアン」という状態は現実的に存在しません。
> それは思考上の解釈の存在です。
> 現実的には「限定された状態に対し対応する」ことしかできません。

元の文の全文をよく読んでください。
欺瞞を提示するのが全てのベジタリアンであるか一部のベジタリアンであるかを限定せずとも、対応はできる内容です。
0264菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 11:19:47.73ID:pla2RSdx
>>260
元の質問は以下。
【Q1】住人は小学校の生徒の全てが該当するかしないかを判別してからでないと苦情を訴えてはならないかどうか、
【Q2】住人は犯人を特定する責任を負うか、
【Q3】住人は生徒全員が犯人であると主張しているか

それぞれの論点について>>249 では以下のように主張を提示しています。回答されていないものがありますよ。よろしくお願いします。
【Q1】
「全てではない可能性を捨象」しなければ「全ての生徒を容疑者」にはできないはずですが、「全てではない可能性を捨象」したのは住人ではなく先生ですよ?

え?住人が「全てではない生徒」と言うためには、該当しない生徒を検証しなければならないはずです。住人がそのような検証の手段を持っていることはどう説明します?
質問自体は「そのような検証をしなければ住人は苦情を呈してはならないかどうか」です。

違いますね。該当するかしないかについての住人の判断は留保されています。

【Q2】
住人の提示は「全てとは限らない不特定の生徒」ですよ。そこから「全てではない生徒の可能性」を捨象して「全ての生徒」としたのは住人ではない。

つまり、住人が犯人特定する責務は負わない、でいいですか?
それは「全員ではない」ことを検証しなければ述べられません。
すると結局、犯人とそうでない者を住人が判別しなければならないということに繋がるのですが?
「全てとは限らない不特定の生徒」と言っているだけなのに?「全て」か「全てではない」か述べていないのに?

【Q3】
同時に「全てではない可能性」もあるから「全てとは限らない不特定の生徒」という提示をしていると解釈できます。
「全て」と判明していればそのように限定できるはずですので。

それは学校側が「全てではない可能性」を捨象した結果生まれた解釈であり判断であり、対応ですよね。
0265菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 11:23:35.99ID:pla2RSdx
>>261
「全員が容疑者である」ということを導出するためには「容疑者は全員ではない」ということを捨象する必要があるのですが、どのように捨象しましたか?
0266菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 11:54:25.19ID:lgxkKJ1+
>>258
>住人は犯人を特定せよとは言っていません。住人からしたら事件が起きなければ防止策は何でもよいと考えられます。

「生徒全員が容疑者であるときの防止策」として住人は「苦情」を行っています。
何でもいいなら学校に対応を迫る必要もない。
自分で解決してもいい。
警察でもいいのです。
学校側はその「苦情」に対し対応を迫られ、その結果は住人の満足の行くものでなければならないでしょう。

> 学校側が結論を出す(捨象していい)とはそういうことです。
>この一文の意味がよく分かりませんが、「全員ではない可能性」を捨象したのは住人ではなく学校側だということには合意できますか?

学校側が結論を出す主導権があるのならば、
例えば、「1人以上〜生徒全員の可能性があるもの」に対し学校側の対応が1人に対しての対応でもいいということになりますが?
学校側が捨象できるとはそういうことですよ?
住人はそれで「防止策」になると解釈しますかね?
やはり解決の決定権が住人にある以上、「それに見合う対応」しかできないのが学校側です。
つまり学校側の「全校生徒の可能性に対しての対応」が住人側が納得いかないのものであるならば対応のやり直しが発生します。

> (一度の対応で終わらせることができる可能性がある)
これは学校側の判断ですよね?ですから

一度で解決する対応とは、学校側が住人側が求めている対応に答えている対応です。
でなければ何度も対応のやり直しが発生します。
つまり> この苦情に対する「結論の行方(学校側の対応)」は住人が決めているのです。
ということになります。

> つまり学校側にだけ対応させることは社会的には「非常識」になります。
> 住人には「生徒全員を容疑者」にした責任は生まれます。
これは元の文に還元すれば
「非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり、といった詐欺的手法による欺瞞」に注意するのは自己責任だ、ということであって、
今の議論とは別の話だと思います。

ではなく「防止策」「防犯」というものは「犯された者にもある一定の責任がかかる」ということは常識です。
自転車を盗まれても鍵を設置していなければ警察は被害者に対し「防犯を怠っている」として注意をします。
責任とはそういうものです。
「ベジタリアン全員が容疑者」と提示した者にはその責任は発生するということです。
後の話ではありません。
提示したから発生するのです。
提示しなければ何も起きないのですから。
0267菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 13:40:24.86ID:pla2RSdx
>>266
> 「生徒全員が容疑者であるときの防止策」として住人は「苦情」を行っています。

違いますね。住人には犯人が生徒全員か生徒の一部かはどちらでもいいのです。住人の提示は「犯人を特定せよ」ですか?

> 何でもいいなら学校に対応を迫る必要もない。

住人は解決策を求めていますが、解決策が犯人探しだけであるという根拠がなければ、犯人探しを求めていると解釈することには論理の飛躍があります。
また、犯人探しにしても、手段が「全員を容疑者認定して全校集会を開く」だけであれという論理的根拠がなければ、それは論理の飛躍です。

例えばPTAで立ち番をして予防する、こっそり先生が監視して犯人を特定する、通学路を変更する、PTA会費から予算を捻出してフェンスを提供する、など様々な方法が対策として考えられます。
これらは別に犯人を特定しなくてもできる対策です。まだまだあるかもしれません。


>この一文の意味がよく分かりませんが、「全員ではない可能性」を捨象したのは住人ではなく学校側だということには合意できますか?

> 例えば、「1人以上〜生徒全員の可能性があるもの」に対し学校側の対応が1人に対しての対応でもいいということになりますが?

無論、それで事態が解決するなら、住人はそれで構わないでしょう。犯人探しや犯人の引き渡しを求めているのではないのだから。

>学校側が捨象できるとはそういうことですよ?

ですから、「生徒全員である可能性」にしろ「生徒全員ではない可能性」にしろ、捨象しているのは学校側ですよね?
あなたが言っているのは、学校側が住人に「犯人は生徒全員ですか?生徒の一部ですか?どの生徒です?」と聞いているようなものですが、
住人からしたらそんなことは論点ではない。「全てとは限らない不特定の生徒が悪戯をしているから、対策してくれ」というだけのこと。「全員か一部か、誰なのか、そんなのは知ったことじゃない」という話です。

> 一度で解決する対応とは、学校側が住人側が求めている対応に答えている対応です。
> でなければ何度も対応のやり直しが発生します。

何度も言いますが、住人から対策の指定はありません。

> つまり> この苦情に対する「結論の行方(学校側の対応)」は住人が決めているのです。

違いますよ。住人が全校集会を開けと言いましたか?飛躍にもほどがあるwww

> ではなく「防止策」「防犯」というものは「犯された者にもある一定の責任がかかる」ということは常識です。

ですから、論理的に読解すれば解釈が一様に定まるような文である、ということが書き手の一定の責任であり、それは満たしているはずですが?
そして「非論理的解釈」については読み手の責任である、と言っています。
0268菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 13:41:54.99ID:lgxkKJ1+
>>263

> まず、「全てとは限らない不特定の人」というのは特定の誰かを容疑者認定していません。
「容疑者にされた人」というのは存在しません。

「1人以上〜全員以下のベジタリアンが欺瞞を提示する」
容疑者にされた人のように特定の誰かのような「限定」がされていないから
「欺瞞を提示する容疑」が「1人以上〜全員以下のベジタリアン」にかけられているということですよ?
つまりは「ベジタリアン全員が容疑者」ということです。

>それから、特定の誰かが「私は該当しない」と言ったとして、それはどのように担保されますか?
さらに、その人が「私は該当しない」と言ったところでそもそも「別にあなたが該当するとは言ってませんよ」というだけの話。

ボクの懸念は
貴方の主張により現れるであろう「関係ないベジタリアンに対し偏見を持つ者」ですよ?
つまり「ベジタリアンを容疑者と見る人間」ですよ?

> 欺瞞を提示するベジタリアンが1人存在していればそれでいいはずです。
「一人である」というためには「一人であること」を検証しなければならないし、「十人だ」というためには「十人であること」を検証しなければならないし、「全員ではない」というためには「全員ではないこと」を検証しなければならない。
しかしそんなことは論点じゃないんですよ。
こちらとしては「全てとは限らない不特定の」というだけです。

貴方の主張は「欺瞞を提示するベジタリアンが1人存在すれば主張は合理」なんですよ?
それでなぜよくないのですか?

> それと「1人以上〜全員以下のベジタリアン」という状態は現実的に存在しません。
> それは思考上の解釈の存在です。
> 現実的には「限定された状態に対し対応する」ことしかできません。
元の文の全文をよく読んでください。
欺瞞を提示するのが全てのベジタリアンであるか一部のベジタリアンであるかを限定せずとも、対応はできる内容です。

貴方の文言は「1人以上〜全員以下のベジタリアン」を存在させてしまっているのですから
「欺瞞を提示する容疑は全員のベジタリアンにかかっている」ことは否定できませんよ?
「容疑をかけられたベジタリアン」は存在し得ることが否定できるならいいですが。
0269菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 14:20:23.96ID:pla2RSdx
>>268
> 容疑者にされた人のように特定の誰かのような「限定」がされていないから

では>>255
>人を容疑者にしておいて、容疑者にされた人(冤罪)が「止めてくれ」と言って来ている

という表現は不適当ですね?

> 「欺瞞を提示する容疑」が「1人以上〜全員以下のベジタリアン」にかけられているということですよ?

違うでしょうよ。「容疑者が一人か全員か、誰であるかを述べていない」のですよ?「全てが容疑者とは限らない」と言っている。

> つまりは「ベジタリアン全員が容疑者」ということです。

それは「容疑者は全員ではない」を捨象しなければ抽出できない。そしてその捨象し抽出する作業は私でもなければ住人でもなく、論理的な読み手でもない。
あなたであり、オカマの阿呆であり、非論理的な読み手でしょう。


> ボクの懸念は
> 貴方の主張により現れるであろう「関係ないベジタリアンに対し偏見を持つ者」ですよ?
> つまり「ベジタリアンを容疑者と見る人間」ですよ?

引用符をつけたレスへの回答になっていません。
【特定の誰かが「私は該当しない」と言ったとして、それはどのように担保されますか?】
【さらに、その人が「私は該当しない」と言ったところでそもそも「別にあなたが該当するとは言ってませんよ」というだけの話。】
と言っています。
なお、あなたの懸念する読み手というのは「非論理的解釈」をする読み手のことですが、それは何度も言う通りそういった読み手の非論理性の問題です。

> 貴方の主張は「欺瞞を提示するベジタリアンが1人存在すれば主張は合理」なんですよ?
> それでなぜよくないのですか?

いやいや、一人であると検証できなければ「一人である」という文は虚偽になりますよ?

> 貴方の文言は「1人以上〜全員以下のベジタリアン」を存在させてしまっているのですから
> 「欺瞞を提示する容疑は全員のベジタリアンにかかっている」ことは否定できませんよ?

文言は「全てとは限らない不特定のベジタリアンが、欺瞞を提示する」という「事実」を言っているだけです。「容疑者が誰であれ」と言っているだけで、「容疑者が誰か」について言及していません。
「欺瞞を提示する容疑」を全てのベジタリアンにかけるのか、一部のベジタリアンにかけるのか、どのベジタリアンにかけるのか、それについて文言は言及していません。
「全てのベジタリアンを容疑者扱いする人」というのは「全てではない可能性を捨象した読み手」であり、
「一部のベジタリアンを容疑者扱いする人」というのは「それ以外のベジタリアンを捨象した読み手」であり、
「特定のベジタリアンを容疑者扱いする人」というのは「そのベジタリアン以外を捨象した読み手」です。
そして、これらの捨象に論理的な根拠がなければ、それはそれぞれの読み手の恣意性の問題です。

> 「容疑をかけられたベジタリアン」は存在し得ることが否定できるならいいですが。

容疑をかけているのは、文言でなく、読み手です。もっと言うなら読み手の恣意です。
0270菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 15:41:27.67ID:pla2RSdx
>>268
>>266の以下を受けて
>「ベジタリアン全員が容疑者」と提示した者にはその責任は発生するということです。

>>267では
> ですから、論理的に読解すれば解釈が一様に定まるような文である、ということが書き手の一定の責任であり、それは満たしているはずですが?
> そして「非論理的解釈」については読み手の責任である、と言っています。

としていますが、>>253には以下のようにあるので、
>例えば、住人が警察に「学校の生徒が悪戯をする。」と苦情を言いに言っても警察が全て問題解決をしてくれるわけではありません。
>「自身も防犯をする」ことは「当たり前」です。これは社会の常識ですね。
>つまり学校側にだけ対応させることは社会的には「非常識」になります。
>住人には「生徒全員を容疑者」にした責任は生まれます。

この【責任】とは【「住人(提言者)」が「苦情(提言)」以外にも「悪戯(欺瞞)」の「防犯(対策)」をする責任】という意味であって、【欺瞞に惑わされないようにする自己責任】の意味なのではないでしょうか?
とすると、かといって>>258の解釈でいいことになりますが、どうでしょうか?
提示した文言について「誤読される可能性についての『防犯』の【責任】」という意味であるなら>>267の回答でいいことになりますが、
>>253であなたが主張する【責任】とは何についてのものですか?「悪戯(欺瞞)を『防犯』する【責任】」か「文言の誤読の『防犯』の【責任】」か、どちらでしょうか?
0271菜々しさん
垢版 |
2015/12/19(土) 16:54:21.78ID:eOGplg00
ベジタリアン関係について語り合うならおすすめ。
よかったら、「blngs」で検索してみて!
0272菜々しさん
垢版 |
2015/12/21(月) 15:39:10.33ID:PSiZM38o
>>266
> 違いますね。住人には犯人が生徒全員か生徒の一部かはどちらでもいいのです。住人の提示は「犯人を特定せよ」ですか?

住人は「問題解決」が目的でしょう。
「問題解決」とは何を基準として問題解決とするかは明確にはなっていませんが、
「苦情」という行動は「学校側へその協力を求めている」と解釈できます。
学校側はその「住人側の要望」に答えること、つまり「住人側の納得の行く答えを出すこと」を要求されたわけです。
問題解決で重要なのは「原因の排除」ですので「犯人の特定」は合理的でしょう。
抑止力にもなり得ます。
が、ここでは犯人の特定はできませんので「その容疑者に対し対応する」ことが合理的でしょう。
その容疑者とは「全校生徒」となります。
全校集会をし、全校生徒へ向け対応することは、学校側がとるべき対応となるでしょう。
しかし、犯人はわからないままですので、それで問題解決となるかはわかりません。
その決定権は住人が持っています。
住人側の納得がいくまで学校側の対応は続きます。

> 住人は解決策を求めていますが、解決策が犯人探しだけであるという根拠がなければ、犯人探しを求めていると解釈することには論理の飛躍があります。
また、犯人探しにしても、手段が「全員を容疑者認定して全校集会を開く」だけであれという論理的根拠がなければ、それは論理の飛躍です。
例えばPTAで立ち番をして予防する、こっそり先生が監視して犯人を特定する、通学路を変更する、PTA会費から予算を捻出してフェンスを提供する、など様々な方法が対策として考えられます。
これらは別に犯人を特定しなくてもできる対策です。まだまだあるかもしれません。

住人は問題解決の方法は提示していませんが、「住人の納得の行く問題解決」を望みます。
そして問題解決の結論は「犯行の停止」です。
問題解決に対し最も有効であるのは「原因の排除」です。「犯人検挙」となります。
つまり犯人探しは原因排除への対応として論理の飛躍でも何でもありませんよ。
当たり前の話です。
しかしここでは犯人の特定は困難「生徒全員が容疑者」としかできませんので、次の対応として全校生徒に対しての防止策、抑止力になるような対策をとること(全校集会)が、自然な道理だと思います。
この方法で住人が納得いかないのであれば再度対応しなくてはいけません。
その時には、貴方の言っている方法が適用されるかもしれませんが、
PTA予算から防止策を設置等の対応は、冤罪である生徒の家族を巻き込んだ新たな問題が発生しますので「まず有り得ない」でしょう。
結局その新たな問題は「犯人特定」への対応に行き着くでしょう。
0273菜々しさん
垢版 |
2015/12/21(月) 15:47:57.71ID:PSiZM38o
>>266
>無論、それで事態が解決するなら、住人はそれで構わないでしょう。犯人探しや犯人の引き渡しを求めているのではないのだから。

つまり問題解決の決定権は住人側にあるということです。

>学校側が捨象できるとはそういうことですよ?
ですから、「生徒全員である可能性」にしろ「生徒全員ではない可能性」にしろ、捨象しているのは学校側ですよね?
あなたが言っているのは、学校側が住人に「犯人は生徒全員ですか?生徒の一部ですか?どの生徒です?」と聞いているようなものですが、
住人からしたらそんなことは論点ではない。「全てとは限らない不特定の生徒が悪戯をしているから、対策してくれ」というだけのこと。「全員か一部か、誰なのか、そんなのは知ったことじゃない」という話です。

不特定(全員が容疑者)への問題解決の対応というのは、容疑者全てに対し対応することが合理的です。
住人側は「原因の排除」が望みです。
出来ることなら犯人全てを特定できれば「犯行は停止」し問題解決となります。

> 一度で解決する対応とは、学校側が住人側が求めている対応に答えている対応です。
> でなければ何度も対応のやり直しが発生します。
何度も言いますが、住人から対策の指定はありません。
> つまり> この苦情に対する「結論の行方(学校側の対応)」は住人が決めているのです。
違いますよ。住人が全校集会を開けと言いましたか?飛躍にもほどがあるwww

しかし貴方の言っていることは、
「問題の原因(犯人)は特定しろとは言わない!原因の追及の方法をお前らが決めるな!こちらも決めない。
そして追及しろとは言っていない。
問題解決とは関係ない。
全てに問題がある可能性があるが、全ての問題に対してを考慮し対応するのは非論理的だからおかしい!
全てに対し対応することはお前らの勝手だ。
勝手な解釈は論理の飛躍だ!
さあ!問題を解決しろ!」

こういうのを世間ではクレーマーと呼ぶでしょうね。
クレーム処理をしている人間からすれば貴方の言っていることは無茶苦茶ですよ。
0274菜々しさん
垢版 |
2015/12/21(月) 19:23:14.65ID:pUbVUJGD
>>269
> 容疑者にされた人のように特定の誰かのような「限定」がされていないから
では>>255
>人を容疑者にしておいて、容疑者にされた人(冤罪)が「止めてくれ」と言って来ている
という表現は不適当ですね?

貴方の文言は「1人以上〜全員以下の生徒が悪戯を起こした可能性がある」ということ。
この条件を満たす言い換えは「全校生徒に悪戯の容疑がある」です。
そして貴方は「これ以上の限定はできない」としています。
つまり「生徒全員容疑者」のままで放置されち状態を貴方は作り出しました。
元の「ベジタリアン」に戻すと
貴方の主張は「ベジタリアン全員が欺瞞を提示する容疑者」を存在させている訳ですが、
現実的に、ベジタリアン全員が欺瞞を提示することはあり得ません。
つまり「冤罪者は存在します」。

> 違うでしょうよ。「容疑者が一人か全員か、誰であるかを述べていない」のですよ?「全てが容疑者とは限らない」と言っている。

1人か、全員か、誰であるか「限定」できませんが、「1人以上〜全員以下のベジタリアンが欺瞞を提示する」です。
つまり、容疑は全員のベジタリアンにかかっています。

> それは「容疑者は全員ではない」を捨象しなければ抽出できない。そしてその捨象し抽出する作業は私でもなければ住人でもなく、論理的な読み手でもない。

「容疑」とは「罪を犯した疑い」ですよ?
「1人以上〜全員以下のベジタリアンが欺瞞を提示する」と貴方はいい切っています。
それは「1人以上〜全員以下のベジタリアンにその疑い」がある。
そういう時、「ベジタリアン全員は容疑者」として扱われますよ?
例えば、殺人現場に三人(全員)の容疑者がいたとき、常識的に考えても「三人全員が容疑者とは限らない」なんてことにはなりません。
「三人全員は容疑者」です。
そこから始まります。
「三人全員は容疑者ではない」を捨象するもなにも「三人全員は容疑者」です。
そこから始まり「問題解決」に至ります。

> 引用符をつけたレスへの回答になっていません。

だから「その本人」が「私は該当しません」と言ってくる時
それはそれでいい話でしょ?
貴方と「その本人」とが話をすればいい。
ボクの主張は「貴方の文言により現れるであろう、関係ないベジタリアンに対し偏見を持つ人間」への懸念なんですよ?わかりません?
それは「その本人(ベジタリアン)」ではなく「第三者」です。
その人間に対し、どうにかするため「文言の限定を請求」しているんですよ?

> いやいや、一人であると検証できなければ「一人である」という文は虚偽になりますよ?

貴方の言いたいのは「1人しかいない」でしょ?
そうではなくて貴方の文言は「1人いれば足りている」と言っているのですよ。
つまり「全員は必要ない」ということです。
だから「全員ではない」という「限定」はできるでしょ?と言ってます。

> 文言は「全てとは限らない不特定のベジタリアンが、欺瞞を提示する」という「事実」を言っているだけです。

「事実」だから「全員に容疑がかかります」

> 「容疑をかけられたベジタリアン」は存在し得ることが否定できるならいいですが。
容疑をかけているのは、文言でなく、読み手です。もっと言うなら読み手の恣意です。

犯人を提示したのは貴方です。
「1人以上〜全員以下のベジタリアンが欺瞞を提示する」と言ったんですから。
こっちは犯人にされかけてる立場ですよ?それを「容疑者」と言います。
読み手の恣意でも何でもありません。
貴方がボクたちに容疑をかけたんです。
0275菜々しさん
垢版 |
2015/12/21(月) 20:49:01.34ID:R8OMa/zt
>>274
> 貴方の文言は「1人以上〜全員以下の生徒が悪戯を起こした可能性がある」ということ。

違いますよ。
「1人以上〜全員以下の生徒が悪戯を起こした可能性がある」とは1人かもしれないし5人かもしれないし100人かもしれないし、1人を除く全員かもしれない。これらの場合はどのように捨象しましたか?

> この条件を満たす言い換えは「全校生徒に悪戯の容疑がある」です。

違いますね。文言は「容疑をかけることができる」と言っているだけで、容疑をかけるのは読み手です。

> 1人か、全員か、誰であるか「限定」できませんが、「1人以上〜全員以下のベジタリアンが欺瞞を提示する」です。
つまり、容疑は全員のベジタリアンにかかっています。

違いますね。文言は1人のベジタリアンにも全てのベジタリアンにも容疑をかけていない。1人であるとしたらそれ以外の容疑を捨象しなければならないし、全員であるとしたら例外がある場合を捨象しなければならない。
文言はそれに言及していません。

> 「容疑」とは「罪を犯した疑い」ですよ?

文言は「1人以上全て以外のベジタリアンに容疑をかけることができる」ということしか言っていません。
文言は誰にも容疑をかけていない。

> そういう時、「ベジタリアン全員は容疑者」として扱われますよ?

誰が扱うんですか?「例外がある場合を捨象した読み手が」そう扱うんですよね。その捨象に論理的な根拠がなければ、それは読み手の恣意によるということです。

>例えば、殺人現場に三人(全員)の容疑者がいたとき、常識的に考えても「三人全員が容疑者とは限らない」なんてことにはなりません。

ちょっと例えがおかしいですね^^
「犯人は三人のうちの一人以上全員以下である」と言うのは、「三人全員が犯人である」と言っていると読めるかどうか、という話ですよ?
「ベジタリアンのうちの1人以上全て以下に該当者がある」という時に「ベジタリアン全員が該当者である」と読めるかどうかなのだから。ズレてますね^^

> 「三人全員は容疑者」です。

繰り返しますが、文言は誰も容疑者認定していません。

> 「三人全員は容疑者ではない」を捨象するもなにも「三人全員は容疑者」です。

それは文言ではなく読み手の判断です。
文言は容疑者が一人とも全員とも言っていません。

> だから「その本人」が「私は該当しません」と言ってくる時
それはそれでいい話でしょ?

言ってくるのは勝手ですが、質問は
【特定の誰かが「私は該当しない」と言ったとして、それはどのように担保されますか?】
【さらに、その人が「私は該当しない」と言ったところでそもそも「別にあなたが該当するとは言ってませんよ」というだけの話。】
です。

> ボクの主張は「貴方の文言により現れるであろう、関係ないベジタリアンに対し偏見を持つ人間」への懸念なんですよ?わかりません?

いや、だ・か・ら、それはそういう読み手の恣意性の問題だと言っているんですが?わかりません?
それは「『非論理的解釈』をする読み手」「恣意的な読み手」に言うべき話であって、私の問題じゃありません。
0276菜々しさん
垢版 |
2015/12/21(月) 20:49:50.14ID:R8OMa/zt
>>274
> そうではなくて貴方の文言は「1人いれば足りている」と言っているのですよ。
> つまり「全員は必要ない」ということです。
> だから「全員ではない」という「限定」はできるでしょ?と言ってます。

「全員でない」という限定のためには「例外がある」ことを検証しなければなりません。しかしそれは私の主張の論旨に関係ないので、私の仕事ではありません。

> 文言は「全てとは限らない不特定のベジタリアンが、欺瞞を提示する」という「事実」を言っているだけです。

> 「事実」だから「全員に容疑がかかります」

「(例外がある場合を捨象すれば)全員に容疑をかけること」もできますし、「(一人以外を捨象すれば)一人だけに容疑をかけること」もできます。
どのように捨象するのか知りませんが、それは実際に容疑をかける読み手の問題です。
文言は「全てとは限らない不特定のベジタリアンに該当者がある」という事実以上のことは言っていません。「『容疑をかけることができる』と言うこと」と、「容疑をかけること」は同一ではありません。
前者は事実の提示、後者は判断です。


> 犯人を提示したのは貴方です。

違いますよ?

> こっちは犯人にされかけてる立場ですよ?それを「容疑者」と言います。

誰に犯人にされかけてるんですか?それは文言でもなく私でもありませんよ?「『非論理的解釈』をする読み手」、「恣意的な読み手」があなたを犯人にしかけたとして、それはその手の読み手の恣意性の問題でしかありません。
0277菜々しさん
垢版 |
2015/12/21(月) 22:33:41.98ID:pUbVUJGD
>>276
犯人を提示したのは貴方です。
貴方は「詐欺的手法による欺瞞を提示する1人以上〜全員以下のベジタリアンが存在する」と言っています。
「詐欺的手法による欺瞞を提示するベジタリアンが犯人」です。
「1人以上〜全員以下のベジタリアンが犯人の可能性がある」です。
その可能性のあるベジタリアンは「容疑者」です。

殺人現場の三人全員は「1人以上〜三人以下が犯人の可能性がある」であり、犯人の可能性がある者が「容疑者」です。
学校の話であるなら「悪戯を起こした生徒が犯人」であり「悪戯を起こした可能性のある生徒は容疑者」です。

容疑者に対し対応することが「問題解決」になる。当たり前です。
なのに容疑者全員に対応することは非論理的?
貴方は無茶苦茶です。

「問題の原因(犯人)は特定しろとは言わない!原因の追及の方法をお前らが決めるな!こちらも決めない。
そして追及しろとは言っていない。
問題解決とは関係ない。
全てに問題がある可能性があるが、全ての問題に対してを考慮し対応するのは非論理的だからおかしい!
全てに対し対応することはお前らの勝手だ。
勝手な解釈は論理の飛躍だ!
さあ!問題を解決しろ!」

こういうのを世間ではクレーマーと呼ぶでしょうね。
0278菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 00:13:19.02ID:E0F5ZLn3
>>277
> 犯人を提示したのは貴方です。

違いますよ?
「犯人がある」と言っただけで「犯人の提示」はしていません。
> 貴方は「詐欺的手法による欺瞞を提示する1人以上〜全員以下のベジタリアンが存在する」と言っています。
> 「詐欺的手法による欺瞞を提示するベジタリアンが犯人」です。

そういう「全てとは限らない不特定の該当者がある」と言っただけで、「該当者の提示」はしていませんね。

>「1人以上〜全員以下のベジタリアンが犯人の可能性がある」です。
> その可能性のあるベジタリアンは「容疑者」です。

その可能性が「全員にある」のか「一部にある」のか「誰にある」のか述べていないですよね?

> 殺人現場の三人全員は「1人以上〜三人以下が犯人の可能性がある」であり、犯人の可能性がある者が「容疑者」です。

「(二人または三人である可能性を捨象して)一人」であるのか「(一人または三人である可能性を捨象して)二人」であるのか「(一人または二人である可能性を捨象して)三人」であるのか、文言は述べていないですよ?

>学校の話であるなら「悪戯を起こした生徒が犯人」であり「悪戯を起こした可能性のある生徒は容疑者」です。

「それが全員である」ということを文言は述べていないですよね。

> なのに容疑者全員に対応することは非論理的?

だから「容疑者が全員である」と文言は述べていないですが、
【あなたはどのように「全員が容疑者である」と導出しましたか?】
「例外がある可能性」を捨象しなければ「全員が容疑者である」とは言えません。文言は「全てとは限らない不特定の」です。
0279菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 00:14:14.81ID:E0F5ZLn3
>>277
> 「問題の原因(犯人)は特定しろとは言わない!

犯人を特定しなければ対策ができないわけではありませんからね^^

>原因の追及の方法をお前らが決めるな!

これは捏造ですね。犯人を特定したいなら勝手にやってください、と言っています。

> そして追及しろとは言っていない。

そうですよ?犯人探しは眼中にありませんから。

>問題解決とは関係ない。

犯人探しは対策に必須ではない、必要条件ではない、と言っています。必要条件の意味は分かりますかね?

> 全てに問題がある可能性があるが、全ての問題に対してを考慮し対応するのは非論理的だからおかしい!

「全てである可能性もあり、全てでない可能性もある」ということから「全てでない可能性」を捨象しなければ「全てである」とすることはできません。論理的とはこういうことです。
捨象する論理的な根拠が無ければ、その捨象は恣意によるものだということ。恣意は非論理的なものです。

>全てに対し対応することはお前らの勝手だ。

そうですね。恣意によるということですから。

> 勝手な解釈は論理の飛躍だ!

恣意が入るということは論理は飛躍していますよ。

> さあ!問題を解決しろ!」

元の文は問題解決しろ、とはあなたに言っていませんよ?

> こういうのを世間ではクレーマーと呼ぶでしょうね。

www
こういうのを世間話では「レッテル貼り」と言います。
0280菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 00:16:34.55ID:E0F5ZLn3
>>279訂正。
×世間話

○世間
0281菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 08:37:11.87ID:7x11acgp
>>278
貴方はこの板に「欺瞞を提示するベジタリアンが存在する」と言う文言を提示しています。
世界中に向けて提示しています。

貴方の常識を疑いますね。
論理的とは非常識なのかもしれませんね。
0282菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 09:34:10.75ID:E0F5ZLn3
>>281
では「欺瞞を提示するベジタリアンは存在しない」と?www
どちらが非常識でしょうかね?

それと、常識云々を持ち出すなら、
非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり、といった詐欺的手法による欺瞞
を用いて、一般に許容されている範囲の他人の食事や生業にケチをつけることの方が非常識ではないですかね?
0283菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 09:45:50.07ID:E0F5ZLn3
>>273
今更ですが、レスを見落としていたようです。既に同じ内容を述べていますが、一応レス返しておきます。
> つまり問題解決の決定権は住人側にあるということです。

解決しさえすれば、住人はその手段は問うていません。

> 不特定(全員が容疑者)への問題解決の対応というのは、容疑者全てに対し対応することが合理的です。

それは解決手段が犯人探しと限られ、かつ全員が容疑者である場合つまり容疑者に該当しない者があることを捨象できる場合です。

> 出来ることなら犯人全てを特定できれば「犯行は停止」し問題解決となります。

それが解決となる可能性はありますが、解決法がそれに収束することにはなりません。

> 「問題の原因(犯人)は特定しろとは言わない!

犯人を特定しなければ対策ができないわけではありませんからね^^

>原因の追及の方法をお前らが決めるな!

これは捏造ですね。犯人を特定したいなら勝手にやってください、と言っています。

> そして追及しろとは言っていない。

そうですよ?犯人探しは眼中にありませんから。

>問題解決とは関係ない。

犯人探しは対策に必須ではない、必要条件ではない、と言っています。必要条件の意味は分かりますかね?

> 全てに問題がある可能性があるが、全ての問題に対してを考慮し対応するのは非論理的だからおかしい!

「全てである可能性もあり、全てでない可能性もある」ということから「全てでない可能性」を捨象しなければ「全てである」とすることはできません。論理的とはこういうことです。
捨象する論理的な根拠が無ければ、その捨象は恣意によるものだということ。恣意は非論理的なものです。

>全てに対し対応することはお前らの勝手だ。

そうですね。恣意によるということですから。

> 勝手な解釈は論理の飛躍だ!

恣意が入るということは論理は飛躍していますよ。

> さあ!問題を解決しろ!」

元の文は問題解決しろ、とはあなたに言っていませんよ?

> こういうのを世間ではクレーマーと呼ぶでしょうね。

www
こういうのを世間話では「レッテル貼り」と言います。
0284菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 10:21:07.51ID:E0F5ZLn3
>>272
ああ、これも見落としていました。申し訳ない。
> 問題解決で重要なのは「原因の排除」ですので「犯人の特定」は合理的でしょう。

犯人の特定を手段の一つに挙げることは可能でしょうが、様々な手段のうちから手段を「論理的に」それに限定するためには、その他の手段を論理的に捨象する必要があります。
それ無しに手段を限定するならばその限定は恣意によるということです。

> 問題解決に対し最も有効であるのは「原因の排除」です。「犯人検挙」となります。

「原因の排除」が最も有効であると仮定して、それを犯人の特定に限定することはどのように導出しましたか?
例えば、「監視者がいない」ことが原因であるなら見張りをつけることも「原因の排除」になり得るし、
「容易に手出しができる」ことが原因であるならフェンスの設置が「原因の排除」になり得るし、「罰せられた前例がない」ことが原因であるなら一人二人の犯人を見せしめにすることも「原因の排除」になり得ますよ?

> つまり犯人探しは原因排除への対応として論理の飛躍でも何でもありませんよ。

他の手段を捨象して犯人探しに対策を限定することに論理的根拠があれば飛躍ではないですし、論理的根拠がなく恣意的に捨象するのであれば論理は飛躍していますよ?

> PTA予算から防止策を設置等の対応は、冤罪である生徒の家族を巻き込んだ新たな問題が発生しますので「まず有り得ない」でしょう。

これは本題と関係ない余談ですね。PTA会費の使途の是非を判断するのはあなたでも私でもありませんが、一部の該当する生徒のためにPTA会費を運用することは珍しくありませんよ?部活動の運営資金や、特定の通学路の安全対策などがありますね。
0285菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 10:22:44.22ID:7x11acgp
>>282
貴方は「言っただけ。提示していない。」といいましたが?
正確には「この板に書いて、提示した。」でしょ?

それを常識を疑うと言ったのです。
「欺瞞を提示するベジタリアンが存在しない」とは言ってません。
し、それが非常識という話にすり替えないでもらいたい。
0286菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 10:33:25.43ID:E0F5ZLn3
>>285
> 貴方は「言っただけ。提示していない。」といいましたが?
>正確には「この板に書いて、提示した。」でしょ?

>>278
>「犯人がある」と言っただけで「犯人の提示」はしていません。
のことでしょうか?
この板に書いたのは「『犯人があるということ』の提示」であって、「『犯人』の提示」ではないですね。すり替えないでいただきたい。
0287菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 11:50:27.75ID:7x11acgp
>>283
>解決しさえすれば、住人はその手段は問うていません

問うてはいないが望みがあります。
その望み通りに行かなくては問題解決になりません。
つまり「問題解決の決定権は住人側が持っている」のです。

> それは解決手段が犯人探しと限られ、かつ全員が容疑者である場合つまり容疑者に該当しない者があることを捨象できる場合です。

容疑者に該当しない者があることを捨象できるから、その人間は容疑になるのではなく、
「容疑がある」から「容疑者」と呼ばれるのですよ?

> それが解決となる可能性はありますが、解決法がそれに収束することにはなりません。

だから問題解決の決定権は住人側にあります。
解決法の中で一番犯罪を停止できる可能性のある対策をとることは合理的です。
それが「原因の排除」です。

> 犯人を特定しなければ対策ができないわけではありませんからね^^

犯人を特定(わからない内はできるだけ特定する)ことをしなければ対策はできませんがね?
すでに住人は「生徒が犯人」「対策の一つである苦情」を実行しています。
「ある程度の特定」を犯行を停止させる(問題解決)手段としてすでに使用しています。
しかしまだぼんやりすぎます。
犯行を停止させる(問題解決)確率をあげることは「原因の特定→排除」こうなることが合理的です。

>これは捏造ですね。犯人を特定したいなら勝手にやってください、と言っています

「問題解決」に「原因の特定→排除」は合理的です。
問題解決を望む住民にとってはありがたいことであり、どうでもいいことではありません。
0288菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 11:50:56.92ID:7x11acgp
>>283
> そうですよ?犯人探しは眼中にありませんから。
犯人探しは対策に必須ではない、必要条件ではない、と言っています。必要条件の意味は分かりますかね?

問題解決に原因の特定→排除は合理的です。
まずどうでもいいなら苦情はいれません。
自分で解決すればいい。
学校や警察を巻き込んだ場合、学校、警察は最も問題解決に合理的な対策をとることは当たり前です。
学校、警察は暇じゃないんでね。
住人側の要望であろう早期解決も実現するのに一番適した対応です。
住人側、貴方は「どうしてほしい」のですかね?

> 「全てである可能性もあり、全てでない可能性もある」ということから「全てでない可能性」を捨象しなければ「全てである」とすることはできません。論理的とはこういうことです。
捨象する論理的な根拠が無ければ、その捨象は恣意によるものだということ。恣意は非論理的なものです。

学校、警察の対応は恣意ではなく合理的な決断による対応です。

そうですね。恣意によるということですから。

問題解決に原因特定→排除は合理的です。
学校、警察の対応は恣意ではなく合理的な決断による対応です。

> 元の文は問題解決しろ、とはあなたに言っていませんよ?

住人側はそれを言っているからの「苦情」でしょうが?

> こういうのを世間ではクレーマーと呼ぶでしょうね。
www
こういうのを世間話では「レッテル貼り」と言います。

根本的に貴方は「詐欺的手法による欺瞞を提示する1人以上〜全員以下のベジタリアンが存在する」というレッテルを
関係ないベジタリアンに貼っていますが。
0289菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 15:23:14.26ID:E0F5ZLn3
>>287
> その望み通りに行かなくては問題解決になりません。
> つまり「問題解決の決定権は住人側が持っている」のです。

住人の望みが「犯人探し」に収束することの論理的根拠がありますか?
解決手段が犯人探しと限られないならば、必ずしも犯人探しは必須ではない。

> 容疑者に該当しない者があることを捨象できるから、その人間は容疑になるのではなく、
> 「容疑がある」から「容疑者」と呼ばれるのですよ?

文言は「全てとは限らない不特定の該当者がある」と言っていますが、「全員に『容疑がある』」とも、「全てではなく一部だけに『容疑がある』」とも、「特定の誰に『容疑がある』」とも述べていない。
そもそも「どの該当者に『容疑がある』」と述べていない。つまり文言は容疑をかけていない。
文言の読み手が恣意により「例外がある場合を捨象し『全てが容疑者である』」としたり「他の部分を捨象し『一部が容疑者である』」としたり「特定の誰か以外を捨象し『特定の誰かが容疑者である』」とするだけのことです。
文言はあくまで事実を提示しているだけであり、誰に容疑があるかという判断は文言には無い。文言から乖離しています。

> だから問題解決の決定権は住人側にあります。
> 解決法の中で一番犯罪を停止できる可能性のある対策をとることは合理的です。
> それが「原因の排除」です。

その「原因の排除」が「犯人探し」に収束するといえない、と言っています。収束しないなら犯人探しは必須ではない。

> 犯人を特定(わからない内はできるだけ特定する)ことをしなければ対策はできませんがね?

そうとは言えませんね。既に反証は挙げてあります。

> 「問題解決」に「原因の特定→排除」は合理的です。
> 問題解決を望む住民にとってはありがたいことであり、どうでもいいことではありません。

その「原因の排除」が「犯人探し」に収束しないならば、住人は解決手段が「犯人探し」であることに必ずしも拘泥していません。
0290菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 16:02:35.18ID:E0F5ZLn3
>>288
> 問題解決に原因の特定→排除は合理的です。

その「原因の排除」が「犯人探し」に収束するといえない、と言っています。収束しないなら「犯人探し」は必須ではない。

> 学校、警察は暇じゃないんでね。

論点はそこじゃないですよね^^
そもそも学校の例は「全てとは限らない不特定の該当者がある」という内容の文言を論理的に「全てが該当者である」と読めるかどうかという話です。
暇じゃないからどうだとかいう恣意的な都合は論点外ですよ。

> 住人側、貴方は「どうしてほしい」のですかね?

住人ですか?住人は生じている問題を解決して欲しいんじゃないですか?つまり悪戯の防止。それ以外は住人のみが知りうることであり、私の知ったことじゃない。
「犯人探しを求めている」という証拠もないし「フェンスの設置を求めている」という証拠もないし「見張りを立てろと言っている」という証拠もない。

私ですか?私なら文言の指すように
「『全てとは限らない不特定のベジタリアンが詐欺的手法により欺瞞を提示する場合がある』という事実があるが、
『菜食主義に論理的・科学的・普遍的な理由を求めきれずにベジタリアンになれない人がいるならば、そんな期待もできないものを求めるより、菜食主義などは単なる【主観や恣意】の問題と割りきった方が遥かにベジタリアンになりやすいでしょうね』という提言」
をしているだけですよ?「提言」であり、それが元々のあっちのスレの目的でしょ?「どうしてほしい」という要求ではないですね。

小学校の例は「全てとは限らない不特定の該当者がある」を「全てが該当者である」と読めるかどうか、という例ですから、「提言」と「要求」の部分に差違があってもそれを挙げるのは論点のすり替えですね。

> 学校、警察の対応は恣意ではなく合理的な決断による対応です。

恣意でないならば、論理的にその対応に収束させられるということになります。どうやって収束させるのか知りませんが、収束させられるなら論理的、させられないなら恣意的な判断です。
まあフィクションの世界の警察なりがどう論理的に収束させられるのかには興味はありますけどねwww
私には提示されている情報が少なすぎて収束させられません。あなたにできるとも思えないけど。
いずれにせよ、元の文は「迷っている人への提言」であり「困っている人による対応の要求」ではありません。その部分の例え話じゃありませんので。

> 問題解決に原因特定→排除は合理的です。
> 学校、警察の対応は恣意ではなく合理的な決断による対応です。

「原因の排除」がその対応に論理的に収束するならばね。そうでなければ恣意です。

> 住人側はそれを言っているからの「苦情」でしょうが?

ですから、元の文は「提言」であり「苦情」でもなければ「要求」でもありません。論点がずれています。

> 根本的に貴方は「詐欺的手法による欺瞞を提示する1人以上〜全員以下のベジタリアンが存在する」というレッテルを
> 関係ないベジタリアンに貼っていますが。

違いますね。「全てとは限らない不特定のベジタリアン」に「誰が該当するのか」述べていない。誰にもレッテルは貼っていませんよ。
「全てとは限らない不特定の日本は皇族である」という場合、「全ての日本人は皇族である」と言ったことになりますか?
0291菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 19:03:41.20ID:wlR2tJeo
>>284
犯人の特定を手段の一つに挙げることは可能でしょうが、様々な手段のうちから手段を「論理的に」それに限定するためには、その他の手段を論理的に捨象する必要があります。
それ無しに手段を限定するならばその限定は恣意によるということです。

「原因が特定できず、全てに問題がある可能性がある」時、全てに問題があるとし対応し、そこから消去法で残ったものを原因と特定することは合理的であり、一般的な対応だと言えるでしょう。
恣意でも何でもありません。

> 「原因の排除」が最も有効であると仮定して、それを犯人の特定に限定することはどのように導出しましたか?
例えば、「監視者がいない」ことが原因であるなら見張りをつけることも「原因の排除」になり得るし、
「容易に手出しができる」ことが原因であるならフェンスの設置が「原因の排除」になり得るし、「罰せられた前例がない」ことが原因であるなら一人二人の犯人を見せしめにすることも「原因の排除」になり得ますよ?

犯罪が原因ではありません。
原因は犯人です。
悪戯が原因ではありません。
悪戯をする人間が原因です。


> つまり犯人探しは原因排除への対応として論理の飛躍でも何でもありませんよ。

他の手段を捨象して犯人探しに対策を限定することに論理的根拠があれば飛躍ではないですし、論理的根拠がなく恣意的に捨象するのであれば論理は飛躍していますよ?

> これは本題と関係ない余談ですね。PTA会費の使途の是非を判断するのはあなたでも私でもありませんが、一部の該当する生徒のためにPTA会費を運用することは珍しくありませんよ?部活動の運営資金や、特定の通学路の安全対策などがありますね。

まず根本的に「犯人が存在する悪戯」に対しPTA会費を使って防犯する訳がありませんよwww
新たな問題が発生しますからね?
やっぱり常識がずれてますかね?
0292菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 19:15:58.03ID:wlR2tJeo
>>290
貴方は>>227

>小学校の近くの住人から「お宅の生徒の悪質な悪戯として、ウチの植木の枝が折られたり葉がむしられたりといった行為がしばしば行われている」という苦情が来た。

と「苦情」と言ってますが?
いつから「提言」にすりかわりましたか?
やはり貴方は無茶苦茶ですね。

>違いますね。「全てとは限らない不特定のベジタリアン」に「誰が該当するのか」述べていない。誰にもレッテルは貼っていませんよ。
「全てとは限らない不特定の日本は皇族である」という場合、「全ての日本人は皇族である」と言ったことになりますか?

誰が皇族かもわからない場合、「全ての日本人は皇族である可能性がある」でしょう。
この「問題を解決」するのであれば消去法で皇族を特定すればいい。
特定が終わるまでは皆「容疑者」ですよ。
「誰が該当するかを述べない」から「容疑者」になるんですがね?
つまり貴方は、関係ないベジタリアンに「欺瞞を提示する可能性がある人間」というレッテルを貼っています。
0293菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 23:39:46.13ID:E0F5ZLn3
>>291
> 「原因が特定できず、全てに問題がある可能性がある」時、全てに問題があるとし対応し、そこから消去法で残ったものを原因と特定することは合理的であり、一般的な対応だと言えるでしょう。

消去法で必ず論理的に単一の原因に収束させられるという根拠は?それがなければ単一の原因に収束するとは言えませんが?
で、論理的に単一に収束させられない場合、恣意が働かざるを得ませんが?

> 犯罪が原因ではありません。
> 原因は犯人です。

環境が犯意を誘発したり抑制することは十分にあり得ますね。
抑止力とか割れ窓理論とかいう単語をご存知ない?

> まず根本的に「犯人が存在する悪戯」に対しPTA会費を使って防犯する訳がありませんよwww

余談になるのでどうでもいいですが、近い実例を知っているものでねwww
一般的かどうかは論点ではなく、あり得るという話で例示としては十分なはずですが、身元に関連する情報を提供する気はありませんので、その例が気に入らなければその例に関しては取り下げますよ?
ただ、自分の知っている範囲だけが世界ではないということは知っておいて損はないと思います。
0294菜々しさん
垢版 |
2015/12/22(火) 23:53:13.92ID:E0F5ZLn3
>>292
> 貴方は>>227
> と「苦情」と言ってますが?
> いつから「提言」にすりかわりましたか?

よく文章を読んでくださいね^^
・住人は「苦情」を呈し、対応を「要求」していると考えられます
・私は「苦情」や「要求」ではなく「提言」をしています。

小学校の例は「全てとは限らない不特定の該当者がある」という文を「全てが該当者である」と読むことは論理的かどうか、という考察のための例示ですので、「苦情」なのか「提言」なのかは問題にならない。
やはり貴方は無茶苦茶ですね。

> 誰が皇族かもわからない場合、「全ての日本人は皇族である可能性がある」でしょう。

質問の答えになっていません。質問は
「全てとは限らない不特定の日本人は皇族である」という場合、【「全ての日本人は皇族である」と言ったことになりますか?】
です。
やり直し。

> この「問題を解決」するのであれば消去法で皇族を特定すればいい。

www
それは特定したい人のお仕事です。
別に 「全てとは限らない不特定の日本人は皇族である」と発言した人の仕事というわけじゃありません。

>特定が終わるまでは皆「容疑者」ですよ。
> 「誰が該当するかを述べない」から「容疑者」になるんですがね?

www
それは容疑をかける人の問題です。
文言は誰にも容疑をかけていませんよ。

> つまり貴方は、関係ないベジタリアンに「欺瞞を提示する可能性がある人間」というレッテルを貼っています。

つまり文言も私も、誰にもレッテルを貼っておりませんwww
0295菜々しさん
垢版 |
2015/12/23(水) 00:39:27.80ID:WLWPYJ2j
何?ベジタリアンを詐欺の容疑者にしたって?誰だよ
土下座して謝れよ
0296菜々しさん
垢版 |
2015/12/23(水) 00:51:20.52ID:gRSn9FYd
>>295
とりあえずID:7x11acgp君と、自称マッチョのオカマ君の二人がいるようです。
0297菜々しさん
垢版 |
2015/12/23(水) 03:48:53.20ID:djOBmdC8
ベジの人は個人の趣味で肉を食べないだけなのに、それを良い事だ、そうでない事を悪い事だと言う人が存在するってだけの話じゃないの。

長いこと粘着してるベジの人は誤解されるような文章を嫌うみたいだから、普段から菜食主義は個人の趣味だとしっかり断言してると思うけど、そうじゃない人いっぱいいるじゃん。
0298菜々しさん
垢版 |
2015/12/24(木) 08:43:45.77ID:KtcXa2BL
>>297
だから「そういう人が存在する」と一様になるよう言ってもらえばいいと言っています。
全員という解釈が含まれていることから起こりうる偏見について懸念があるのです。
0299菜々しさん
垢版 |
2015/12/24(木) 11:16:18.25ID:iEKChMuC
>>298
ん?元の文は「そういう人が存在する」と一様になる文章でしょ。

「そういう人が存在する」という文章も「そういう人」がどれだけ存在するのかを限定していない文章だけどこれと同じだよ。
0300菜々しさん
垢版 |
2015/12/24(木) 18:01:06.16ID:DpBcwUUf
言葉足らずなら申し訳ない。
全員という解釈が含まれていることから起こりうる偏見について懸念があるのです。
それが排除された「一部そういう人が存在する」ということが言明された「一様解釈」にしてもらえばいいと言っています。
0301菜々しさん
垢版 |
2015/12/24(木) 19:18:57.82ID:DG7yjZXd
>>300
> 全員という解釈が含まれていることから起こりうる偏見について懸念があるのです。

元の文に示されているのは「全てとは限らない不特定のベジタリアン」です。
これ以外の解釈は文そのものから論理的には導出できません。
この文について読み手が「全員」という解釈をするためには、読み手が文外の理由で「例外がある」ことを捨象しなければならない。
その捨象をしてはじめて「全員」という解釈が文に生じるのですよ?ですからそれはどのように捨象するのか、と再三問うています。
その捨象が論理的なものであるなら提示してください、それが正しく論理的な捨象であるならば、それによる解釈は「論理的解釈」です。
その捨象が論理的なものでないならば、それによる解釈は「非論理的解釈」である、ということです。

で、「論理的解釈」で「全てとは限らない不特定のベジタリアン」に収束しないならば、すなわち「全てのベジタリアン」「全てではないベジタリアン」「特定のベジタリアン」の意味に解釈できるならば、
元の文は私の意図する「全てとは限らない不特定のベジタリアン」の意味になりませんから、私の意図する内容に収束するように表現を改めます。
それは言語が論理に基づくコミュニケーションツールであり、議論が論理によるものであるゆえの、発言者としての責任だと考えるからです。
ところが、文言の「論理的解釈」が私の意図するところに収束するにもかかわらず、読み手の恣意や非論理性のせいで「非論理的解釈」(要するに誤読)をされるならば、それは読み手の責任だということです。
0302菜々しさん
垢版 |
2015/12/24(木) 19:31:38.10ID:DG7yjZXd
>>300
ですから私はあなたの提示した解釈について「論理的解釈」か「非論理的解釈」かと問うています。

あなたは、「文言の『論理的解釈』が私の解釈に収束するかどうかはどうでもいい」とか「『論理的に合理であるか否か』はどうでもよく、論理以外(すなわち『非論理的解釈』)で文言を解釈されることもあり得る」というようなことを仰っていましたが、
あなたが「文言の変更や謝罪の要求」をしており、私は「変更や謝罪は、文言が『論理的』にどうであるかによる」としているのだから、

あなたにとって「文言の『論理的解釈』が私の解釈に収束するかどうか」こそが問題であり、
むしろ「『非論理的解釈』をされることがあり得るかどうか」こそがどうでもいい問題なのですが、理解できていますか?
0303菜々しさん
垢版 |
2015/12/25(金) 13:04:16.75ID:1PKV03Fh
>>302
貴方の文言は「1人以上〜全員以下のベジタリアンが、主張の根拠として詐欺的手法による欺瞞を提示する」です。
「全員の可能性もある」ことは否定できてはいません。

そしてボクの主張は
「貴方の文言により疑いをかけられ、偏見を持たれたベジタリアンに対し謝罪。そのようなベジタリアンが生まれないように、文言を限定されたものへの変更を求める」です。

貴方の文言が論理的正しいからそうしなくていいのではなく、
「関係ないベジタリアンに対し偏見を持った人間を生んでしまう多様解釈が可能な文言を提示した」
ことが問題であるということです。

この多様解釈とは散々言っていますが、
「ベジタリアン」という言葉の「全員を否定てきていない」
「詐欺的手法」という言葉の「犯罪的だという意味」
による解釈です。
0304菜々しさん
垢版 |
2015/12/25(金) 15:43:45.54ID:HaHmmtzG
>>303
何度も言っていますが、

> 貴方の文言は「1人以上〜全員以下のベジタリアンが、主張の根拠として詐欺的手法による欺瞞を提示する」です。
> 「全員の可能性もある」ことは否定できてはいません。

文言は「全員とは限らないベジタリアン」を含意していますので、「全員の可能性と同時に、全員でない可能性も有している」はずです。
従って、後者の可能性を何らかの理由で捨象しない限り、文言から直ちに「全員を容疑者にする」ことはできません。
そしてその捨象が論理的に正当なものでないならば、それは読み手の恣意による「非論理的解釈」によるものでしかありません。

> 「貴方の文言により疑いをかけられ、偏見を持たれたベジタリアンに対し謝罪。そのようなベジタリアンが生まれないように、文言を限定されたものへの変更を求める」です。

つまり、これについては「疑いをかけ、偏見を持つ読み手」に問題があるのであって、文言そのものに問題を還元するのは論理的には無理筋です。

> 貴方の文言が論理的正しいからそうしなくていいのではなく、

論理的に誤りがなければ変更の必要は無いと考えますが、その理由も既に述べています。すなわち、論説が論理に基づくものであることによる発言者の責任の範囲が理由です。
俗っぽく言うなら、読み手の勝手解釈の尻拭いまでしていられません、ということです。

> 「関係ないベジタリアンに対し偏見を持った人間を生んでしまう多様解釈が可能な文言を提示した」
> ことが問題であるということです。

何度も言っていますが、元の文のベジタリアンという文言の「論理的解釈」は「全てとは限らない不特定のベジタリアン」という単一の解釈に収束します。
あなたが言うような多様解釈とは、「非論理的解釈」でしかありません。そして「非論理的解釈」というのは文言がどうであれ読み手の恣意次第ですから、文言の変更は本質的には無意味です。
> この多様解釈とは散々言っていますが、
> 「ベジタリアン」という言葉の「全員を否定てきていない」

散々言っていますが、元の文は「全員でないことも否定していない」はずです。論理的な理由無しにそれを捨象し、恣意的に都合のいい可能性だけを抽出するならば、それは読み手の勝手解釈・ご都合解釈でしかありません。

>「詐欺的手法」という言葉の「犯罪的だという意味」

まず、仮にこの場合の「詐欺」という語が刑法に規定されるところの「詐欺罪」を指すものだとしても、「詐欺『的』」という表記から「詐欺罪だという断定」と解釈するのはまず無理ですし、
「詐欺『的』」ですから、詐欺罪の構成要素と同一でなくとも類似の性質があれば誤用にはあたらないでしょう。
元の文ではその類似の性質について【非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり】と説明してあります。
元の文の「詐欺」を刑法上の「詐欺罪」の意として読むならば、「詐欺的手法」とは「少なくともこれらの性質において詐欺罪に類する手法」という意味になりますが、この意味であれば私の意図する内容と齟齬はありませんし、
この解釈で「詐欺」という語が誤用にあたるでしょうか?
また、刑法の「詐欺罪」を指すのでない場合、私の意図する内容と齟齬はありませんし、語の意味から判断して誤用にはあたらないと考えます。
書き手である私の意図する内容と齟齬が無く、誤用にもあたらないならば変更の必要は無いと考えます。
0305 ◆S/YLxH/p.c
垢版 |
2015/12/25(金) 23:01:02.58ID:4Si9MnGl
最初に無があった
無は有を生んだ
これが全ての真理
0306菜々しさん
垢版 |
2015/12/26(土) 12:42:10.45ID:zt0xgPLZ
>>304
だから
主張も何もしていない人に対し、
「貴方は犯罪的方法による欺瞞を提示する主張をするグループに属する可能性がある」と提示されれば
「は?」ってなるでしょ?
貴方がいきなり「犯罪的なグループの人扱い」されてどうです?「犯罪的」ですよ?
いい気分はしないでしょ?違いますか?
しかし、まだそれは「文言を提示した者」と「本人」とのやり取りの話で済むこともあるでしょうが、
それを「偏見とし解釈した者(第三者)」が現れた場合の懸念をしているのです。
「犯罪的なグループの人扱い」と解釈した第三者から「そのような解釈」が広まってしまう可能性は否定できません。
一般的、社会的に貴方は「何もしていない人」を傷つけることになるということです。
これは貴方の文言が論理的だろうが、合理だろうが、起こる可能性があることです。
0307菜々しさん
垢版 |
2015/12/26(土) 16:18:17.19ID:jvC/DTPW
>>306
> 「貴方は犯罪的方法による欺瞞を提示する主張をするグループに属する可能性がある」と提示されれば

ですからなんで「貴方は犯罪的方法による欺瞞を提示する主張をするグループに属さない可能性もある」を捨象してるんですかね?
あなたの恣意ですか?それとも論理的根拠はありますか?
文言は「貴方は犯罪的方法による欺瞞を提示する主張をするグループに属する可能性も属さない可能性もある」としか言っていませんよね?

> 貴方がいきなり「犯罪的なグループの人扱い」されてどうです?「犯罪的」ですよ?

いやいや、だから私も文言も「犯罪的なグループの人扱い」してないですよね?
そういう扱いをされるとしたら、それはそういう扱いをする人たちの恣意性や非論理性の問題ですから、そっちに言う筋のお話です。

> それを「偏見とし解釈した者(第三者)」が現れた場合の懸念をしているのです。

ですからそれは、「非論理的解釈」で偏見を持つような非論理的で恣意的な読み手の問題です。

> これは貴方の文言が論理的だろうが、合理だろうが、起こる可能性があることです。

可能性だけでいうならどんな非論理的解釈だって生じうるが、それは読み手の問題であって書き手の責任の範疇外だ、と言っており、その理由は既に説明済みです。
0308菜々しさん
垢版 |
2015/12/27(日) 17:20:30.41ID:7tR0gBCQ
>>307
だから「ボクの解釈」ではなく「偏見を持った人間の解釈」ですから。
その「偏見を持った人間」はどういう解釈から「偏見」になったかは「その人間」に聞かなくてはわかりません。
が、貴方の文言は「その人間を産む可能性を否定できない」のです。
つまり、その人間の存在を無くすには「その原因の排除」が必要。
原因を排除すればその人間は現れることを防げます。

それと「属する可能性と属さない可能性を同時に提示している時」。
例えば医者が「貴方はこのままの食生活を続ければガンになる可能性があります。」と提示するとき、
医者は「可能性がないを捨象した」からそう提示した訳ではありません。
あくまでも「可能性がある」ということを考慮し、提示するのです。
聞き手も「可能性がないを捨象した」訳ではく、あくまでも「可能性がある」を考慮し対策します。
これらは、医者、聞き手の
最終的に「どちらかを選ぶこと」になるでしょうが、これは恣意的解釈、非論理的解釈、飛躍的解釈ということでもなく、ごく一般的、社会的な解釈及びその対策、対応でしょう。

それと貴方は「論理的」という一つの価値観からしか解釈できていません。
「論理的なもの」がこの世の真理であるのならば別ですが、
そうでないのであれば、そうとは言い切れないのであれば、貴方は客観的とは言えないことにもなります。
0309菜々しさん
垢版 |
2015/12/28(月) 10:17:22.88ID:bf26gnnk
>>308
> だから「ボクの解釈」ではなく「偏見を持った人間の解釈」ですから。

いやいや、あなたもその解釈をしている一人なんですよね?

> その「偏見を持った人間」はどういう解釈から「偏見」になったかは「その人間」に聞かなくてはわかりません。

どういう解釈であれ、それは「非論理的解釈」には違いないと思いますが、いかがです?

> が、貴方の文言は「その人間を産む可能性を否定できない」のです。

「非論理的解釈」であれば、ある文言からどのような解釈だって産まれ得ると思いますよ?「雨が降っている」という文を「今日の晩御飯はカレーだ」と解釈することも可能です。

> つまり、その人間の存在を無くすには「その原因の排除」が必要。
> 原因を排除すればその人間は現れることを防げます。

「非論理的解釈」の可能性をどう排除するんですかね?教えてください。

> 例えば医者が「貴方はこのままの食生活を続ければガンになる可能性があります。」と提示するとき、

医者をバカにしていますね。
> 医者は「可能性がないを捨象した」からそう提示した訳ではありません。
> あくまでも「可能性がある」ということを考慮し、提示するのです。

医者は可能性があるからデタラメに可能性を述べているのではありません。医者が提示するのは本質的に可能性でなく蓋然性です。
蓋然性は膨大なデータに裏付けられています。私の文が非論理的に読解されることの、可能性でなく蓋然性をあなたが述べようとしているならば、その裏付けとなるデータが必要です。

私は「非論理的解釈」が生じる【可能性】については認めています。
だが、言論が論理に基づくコミュニケーションであることから、文が論理的に解釈されることの【蓋然性】が高いと判断していますし、
実際問題として「非論理的解釈」の生ずる可能性を捨象できない以上、書き手の責任範囲は「論理的解釈」の範囲だとするのが妥当だと考えています。

> 最終的に「どちらかを選ぶこと」になるでしょうが、これは恣意的解釈、非論理的解釈、飛躍的解釈ということでもなく、ごく一般的、社会的な解釈及びその対策、対応でしょう。

医者は膨大なデータを裏付けに、蓋然性を提示します。
それは判断の主観性・恣意性に対して、できるだけその前提に客観性・普遍性を与えたいからです。
その結果として、「可能性」ではなく「蓋然性」を提示するのであって、漠然と「どちらかを選ぶ」んじゃありませんし漠然と「可能性」を述べているのでもありません。

>それと貴方は「論理的」という一つの価値観からしか解釈できていません。

違いますね。
もう何度も何度も何度も何度も述べていますが、「『非論理的解釈』があり得る」ことを否定していません。
しかしそれは書き手の責任の範疇外だ、と言っています。
理由は、これも何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も述べていますが、「『非論理的解釈』の発生の可能性の範囲は限定できない」ゆえに「書き手が『非論理的解釈』に責任を持つことは不可能」だからです。
従って、書き手の責任の範囲は「論理的解釈」の範囲だと考えます。

>「論理的なもの」がこの世の真理であるのならば別ですが、

そんなことは問題にしていません。
0310菜々しさん
垢版 |
2015/12/29(火) 06:50:43.93ID:VhdLsG6E
>>309
何度も言っていますが、ボクが主張しているのは「偏見を持った人間が現れる懸念」であり、貴方の文言はそれを「否定できない」ということ。
偏見を持った人間の解釈が合理、不合理とかはどうでもいい論点です。
ボクの解釈も何度も言っていますが「貴方の文言は合理」でしょうがどうでもいい話です。
そんなことが「偏見を持った人間が現れる」ことの否定にはなりませんから。
後、「飛躍解釈」の話も何度も言っていますが、「雨→カレー」ということではなく、貴方の文言で可能である多様解釈の範囲内での話です。
後押しスレ>>205>>221辺りで言っています。

医者の話ですが、
可能性だろうが、蓋然性だろうが、
貴方の論理ならば医者も患者も「可能性がないを捨象しなくては、可能性があることを選べない」ということであり、
「膨大なデータ」というものが100%のものであるなら別ですが、100%で無いものを選択するという考えは、医者も、患者も「恣意」で選んだということになります。
恣意だからこそ手術には同意を求めるのでしょう。
例えばその「西洋医学的な蓋然性は根拠」となるのであれば、東洋医学的な蓋然性は根拠とも言え、「一般的、社会的な解釈」つまり「文化」のようなものの解釈であるようなものも一つの「合理」です。
貴方がその「合理」を捨象する必要はありません。
このいわゆる多様解釈は「言葉」があるからそれが生まれないのではありません。
コミュニティツールだからこそ多様解釈が生まれてしまうのです。
それを止めるのは不可能ではありませんよ。
「一様な解釈しかできないような文言にする」か「文言を提示しないか」です。
文言を提示しなければ「解釈」さえ生まれません。
それをおすすめします。
0311菜々しさん
垢版 |
2015/12/29(火) 07:43:28.13ID:Tl79sjwp
>>310
> 何度も言っていますが、ボクが主張しているのは「偏見を持った人間が現れる懸念」であり、貴方の文言はそれを「否定できない」ということ。

何度も何度も言っていますが、「非論理的解釈」について書き手が責任を持つことは不可能です。

> 医者の話ですが、

医者の話は「可能性」と「蓋然性」の概念の違いを理解できていれば何の問題もないはずです。

>可能性だろうが、蓋然性だろうが、

というようなゴチャマゼにしたいい加減な物言いをする前に、きちんと語義を調べることをおすすめします。

> 例えばその「西洋医学的な蓋然性は根拠」となるのであれば、東洋医学的な蓋然性は根拠とも言え、

これに至っては文自体の意味が不明です。

> それを止めるのは不可能ではありませんよ。
> 「一様な解釈しかできないような文言にする」か「文言を提示しないか」です。

www
「論理的解釈」においては一様に文意が定まる文を提示しています。
ただし「非論理的解釈」の発生を妨げることは理論的に不可能です。
で、「非論理的解釈」が生じ得るならば発言をするなというならば、あらゆる発言の機会が奪われてしまいますねwww
0312菜々しさん
垢版 |
2015/12/29(火) 13:17:24.58ID:VhdLsG6E
>>311
蓋然性が高い低いを論点にした例ではなく、
「あるないを同時に提示されたものに対する対応」の話です。
蓋然性が高ければ医者は「ガンになります!」と断言できますかね?
高くとも「ガンになる可能性があります。」としか言えないでしょう。
しかも貴方の論理で言うならば、この時医者は「ガンになる可能性とならない可能性があります。」と言わなければ非論理的です。
「蓋然性が高い」を考慮するには「蓋然性が高い以外を捨象」しなくては考慮することは非論理的です。

結局、医者は「データを客観的結論とする」という「主観的恣意」による判断に加え、「主観的恣意」による結論とし患者にガンを告知し、
患者も「主観的恣意」による判断からその対応をすることになります。
貴方に言わせれば非論理的です。
しかしこれは一般的、社会的に当たり前な「解釈」です。

それと貴方はボクの文言に対し「医者をバカにしている」といいましたが、これは飛躍解釈ですかね?
そうではなく、もしボクの文言が一般的、社会的な解釈の中で医者をバカにしているという解釈が成り立つなら、それに対し対応しますが?
0313菜々しさん
垢版 |
2015/12/29(火) 14:52:14.52ID:Tl79sjwp
>>312
> 蓋然性が高い低いを論点にした例ではなく、
> 「あるないを同時に提示されたものに対する対応」の話です。

あなたの想像する医者が薮医者なのか知りませんが、まともに言葉を選ぶ医者だったらリスクの高低を言うことはあっても「ガンになります!」と断言なんかしませんよ。

> 高くとも「ガンになる可能性があります。」としか言えないでしょう。
> しかも貴方の論理で言うならば、この時医者は「ガンになる可能性とならない可能性があります。」と言わなければ非論理的です。

www言葉に厳格な医者であれば「可能性がある」なんて無意味なことは言いません。「リスクが上昇する、低下する」という話をします。

>「蓋然性が高い」を考慮するには「蓋然性が高い以外を捨象」しなくては考慮することは非論理的です。

やはりあなたは「蓋然性」という概念が理解できていない。「蓋然性」とは評価基準に対する度合いの評価です。捨象は関係ありません。


> 結局、医者は「データを客観的結論とする」という「主観的恣意」による判断に加え、「主観的恣意」による結論とし患者にガンを告知し、

当たり前です。判断とは【主観や恣意】によるものです。
その【主観や恣意】に説得力を持たせるために事実や論理といったもので客観性を高めようとするんですよ。

> 貴方に言わせれば非論理的です。

判断である以上【主観や恣意】であることは免れません。重ねて言いますが、説得力のために事実や論理で判断を補強するだけです。
そして、判断の恣意性が論理的であるか非論理的であるか、という話はしていません。
今しているのは文言の読解が論理的であるか非論理的であるか、という話です。
で、非論理的な読解をするのは読み手の勝手ですが、書き手がそれに責任を持つことは不可能だ、という話です。

> それと貴方はボクの文言に対し「医者をバカにしている」といいましたが、これは飛躍解釈ですかね?

あなたが普遍命題的に全ての医者を引っくるめて「言葉にルーズな生き物である」としているのでなければ、故意に言葉に厳格な医者ではなく言葉にルーズな医者の例を抽出したということであり、
その抽出に論理的な根拠がないならば身勝手な抽出ということで我田引水の詭弁だということにしかなりませんよwww
あなたが詭弁を用いたという可能性を捨象するなら、あなたは医者を「言葉にルーズな生き物」と規定していることになり、これは医者をバカにしているということになると思いますが、いかがですかね?
それとも我田引水でしたか?だとしたら私の見込み違いでしたので、医者をバカにしているという発言は取り下げます。
どちらか教えてください。
0314菜々しさん
垢版 |
2015/12/29(火) 15:26:17.93ID:VhdLsG6E
>>313
「同時に提示する」とは「リスクが上昇する可能性と低下する可能性がある」となります。
「リスクが上昇する」を提示するのであれば「リスクが上昇する以外を捨象する」ことになります。
蓋然性は度合いの評価ですので「高い評価をする」のであれば「高い評価以外を捨象する」ということです。
貴方の論理で言うならば「同時に提示されたものに対し、一様な解釈を用いるにはそれ以外を捨象する必要がある」ということです。

医者をバカにしているという話ですが、

例えば医者が「貴方はこのままの食生活を続ければガンになる可能性があります。」と提示するとき

「ガン」という病名は別にしても、当たり前に「○○という病気の可能性があります。」という医者の発言は、日常普通に聞けますが?
その「可能性」について「同時に提示されたもの」の例えとして上げたものですが、それが「バカにしている」という「解釈」にしています。
ボクからすれば全く根拠のないデタラメでしかありません。非論理的ですね。
「医者はルーズな生き物」とも言っていませんし。
貴方無茶苦茶ですね。
デタラメにも程がある。

しかも「医者が」という文言が「全ての医者」という解釈としましたか?
「全て以外の医者の捨象」はどうやってしましたか?
それにいつボクが全ての医者の発言だといいましたかね?
それともこの文言には「多様解釈」の可能性があり、その様な「全ての医者の発言とし、それは医者をバカにしている」という解釈が成り立つなら、
それは「提示したものの責任」として成り立つということですかね?
0315菜々しさん
垢版 |
2015/12/29(火) 19:09:25.81ID:Tl79sjwp
>>314
> 「同時に提示する」とは「リスクが上昇する可能性と低下する可能性がある」となります。

「可能性」と「蓋然性」をやはり混同していますね。

> 蓋然性は度合いの評価ですので「高い評価をする」のであれば「高い評価以外を捨象する」ということです。

違います。
リスク評価は事象の有無の判断ではありませんから捨象は関係ありません。事象があり得るとしたうえで、その程度が基準に対してどうであるかを述べるものですので性質がまるで違う話です。

> 「ガン」という病名は別にしても、当たり前に「○○という病気の可能性があります。」という医者の発言は、日常普通に聞けますが?

可能性というのは、科学的にはあらゆる可能性が考えられます。なぜなら科学は帰納法だから。
その中で蓋然性を、様々な事実や理論を背景にして最終的に【主観や恣意】で「判断」する、それは当たり前です。診断、所見、見立て、など色々な言葉が使われますが、「判断」である限り【主観や恣意】の影響から逃れることはできません。
医者は可能性の有無でアドバイスするのではありません。事実や理論といったものを客観性の担保にして、蓋然性を「判断」して提示しているんです。
正しく論理的に厳密にいうならば「可能性はあるが、蓋然性に鑑みて捨象して構わないと『判断』する」とか「可能性があり、蓋然性に鑑みて捨象できないと『判断』する」とかそういった言い方になります。


>その「可能性」について「同時に提示されたもの」の例えとして上げたものですが、それが「バカにしている」という「解釈」にしています。

医者が「このままの食生活ではガンになる可能性がある」とアドバイスをする、という事例が提示されていますが、「可能性がある」というのは科学的には本質的に無意味な評価です。
可能性を科学的に否定するのは非常に困難で、それゆえに科学は反証主義を採用しているのだから。
問題は可能性の有無ではなく蓋然性がどうであるかです。
従ってあなたの提示した事例は「医者が非科学的・非論理的な発言をする」場合ですが、
当然、あなたが普遍命題的に「全ての医者が非科学的・非論理的な発言をする」というのであれば、これは「言葉に厳格で、科学的・論理的な発言をする医者の存在」を蔑ろにしていることになりますよね?
他方で、あなたが存在命題的に「全てではないが、非科学的・非論理的な発言をする医者がある」ということを言った場合、「非科学的・非論理的な発言をしない医者」を捨象できず、
その医者の発言自体の正当性は何物にも担保されない、要するにバカな医者が一人いたところでその医者の発言を取り上げてもあなたの発言の正当性をその事例が担保できない、
つまりこの例示は議論上で何の意味も持たない、ということになります。

> 「医者はルーズな生き物」とも言っていませんし。

言語に厳格でない場合の例示ですよね?

> しかも「医者が」という文言が「全ての医者」という解釈としましたか?
> 「全て以外の医者の捨象」はどうやってしましたか?

あなたの論者としての尊厳を担保に捨象しました。

> それにいつボクが全ての医者の発言だといいましたかね?

あなたの例示が存在命題的に「言葉にルーズな生き物だって医者をしている場合がある」ということであれば、その例示はあなたの説の正当性を一切担保できませんから無意味な詭弁です。
あなたが詭弁によって無意味な例示をした可能性を、あなたの論者としての尊厳を担保に捨象するならば、
これは存在命題的には解釈できない、すなわち普遍命題的に述べたに違いないと考えたわけです。

もしあなたが、詭弁によって無意味な例示をした、というなら私が前提した「あなたに正当な論者としての尊厳が備わっている」という前提自体が偽であったということですから、
当然この前提から導かれた「普遍命題的に述べている」という結論は誤りですので取り下げます。
「あなたに正当な論者としての尊厳が備わっている」という前提命題は偽でしょうか?つまり「あなたは不当な詭弁を提示する卑劣な論者」ということでよろしいでしょうか?
0316菜々しさん
垢版 |
2015/12/29(火) 19:33:09.19ID:Tl79sjwp
言い方を変えましょうか?
「全てとは限らない不特定のベジタリアン」という提示から「全てのベジタリアンが該当する」という「判断」をするとき、
これは「全てではないベジタリアン」を捨象して構わないと「判断」することと同義ですが、
この「判断」は当然【主観や恣意】によって下されたものです。で、この「判断」は何によって担保されていますか?と聞いています。

医者の例で言うなら「ガンになる蓋然性は極めて低く、可能性を捨象して構わないと『判断』する」場合に、その蓋然性の高低の客観性を担保するのは事実の蓄積や理論といった要素です。
これらの裏付けに基づいて最終的に医者の【主観や恣意】で「判断」しますが、その裏付けが他者に対する説得力として機能するために患者なりがその「判断」を受容するわけです。

あなたの「判断」に十分な説得力が機能しないならば、あなたの「判断」は受け入れられるはずがありません。ですから再三、「『全てでない可能性』はいかにして捨象されたのか」を伺っています。
まさか説得力を担保するものが何もない「単なる【主観や恣意】」が都合よく受け入れられて然るべきだ、などという幼稚な考えではないでしょうから、伺っています。

それと、「全てとは限らない不特定のベジタリアン」が「全てのベジタリアン」を直ちに意味しないということは論理的に明らかですから、
「『論理的解釈』によればそのように誤読されることはない」というこちらの主張は、論理的に裏付けられている、論理がこれを担保している、ということになります。
そして、何度も繰り返し言っていますが、読み手の「非論理的解釈」を書き手が妨げることは事実として不可能ですから、書き手が読み手の「非論理的解釈」に責任を持つことは不可能です。
これらのことから、「書き手の責任は『論理的解釈』の範疇であり、読み手の『非論理的解釈』の責任は書き手が負うものではない」という「判断」は論理と事実に担保されている、と考えますが、いかがですかね?
0317菜々しさん
垢版 |
2015/12/30(水) 19:36:42.89ID:5Lout7Y4
>>315
いやいやこれは貴方の論理ですよ?
「蓋然性」の「高い低い」が「同時に提示されたもの」であるなら、一様な解釈を選択するのであれば、それ以外の捨象が必要です。
ではなぜ「蓋然性が高い」を選択できるのですかね?
例えば60%の確からしさであるなら、なぜそれを「高い」とし、それをその様に選択するのですかね?
60%は「低い」としても構わないはずです。
つまりこの選択に関しても主観的恣意が必要となります。

そして最終的には「可能性」の判断となります。
例えば「蓋然性が高い」からといって「ガンになる可能性がある」となることが必然ではありません。
「蓋然性が高い」といっても「ガンになる可能性がない」が無いとは言えません。
そう結論付けることは、論点の先取りということになるでしょうし。
つまり医者の最終的な判断は「ガンになる可能性があるとない」が同時に提示されたものから「ガンになる可能性がある」を選択することになるでしょう。
手術も同じですが「蓋然性が高いから手術が成功する」という訳ではないですから「同意」が必要なわけです。
最終的には「成功する可能性と失敗する可能性」が同時に提示されたものから「成功する可能性」を選択することになります。
0318菜々しさん
垢版 |
2015/12/30(水) 20:24:52.54ID:5Lout7Y4
>>315
>言語に厳格でない場合の例示ですよね?

全く違いますね。
「同時に提示されたものに対し、一様な解釈を用いることは、一般的、社会的に当たり前に存在する」という例です。
バカにしているとか、厳格でないとか、デタラメにも程がある。

> あなたの論者としての尊厳を担保に捨象しました。

都合がいいですねwww
でしたらボクの主張を受け入れるべきでしょwww
貴方のそれこそが我田引水ですよwww

「医者が」という文言を「全ての医者が」とし、
一般的、社会的に当たり前にある例を提示したものが
「医者をバカにしている」と解釈し、
「言葉にルーズな生き物である」としていると決めつけ、
そうでなければボクは詭弁で卑劣な論者www

貴方はデタラメの無茶苦茶ですね。
全部決めつけの論点先取。

「医者が」を「全ての医者」とできるなら「ベジタリアンが」を「全てのベジタリアン」とできることを認めるべきですね。
貴方の論者としての尊厳を担保によりねwww

貴方みたいなデタラメな無茶苦茶な人間とはもう話すのもイヤになりました。
失礼。
0319菜々しさん
垢版 |
2015/12/30(水) 21:47:01.77ID:1dBNgyez
>>317
> いやいやこれは貴方の論理ですよ?

違いますね。「蓋然性」という言葉の概念は理解できていますか?イエスかノーか答えてください。

> 「蓋然性」の「高い低い」が「同時に提示されたもの」であるなら、

「蓋然性」とは何らかの基準に対する程度を評価する概念です。有無の問題じゃない。

> ではなぜ「蓋然性が高い」を選択できるのですかね?

何らかの評価基準に対しての比較評価だからです。

> 例えば60%の確からしさであるなら、なぜそれを「高い」とし、それをその様に選択するのですかね?
> 60%は「低い」としても構わないはずです。

60%は「100」を基準としたときの、「全体の100分の60」という評価ですし、これを「高低」で評価する基準が例えば40%であれば「高い」と評価されるし、80%という基準であれば「低い」と評価されます。
捨象は関係ない。

> つまりこの選択に関しても主観的恣意が必要となります。

そうですよ?「『判断』は【主観や恣意】の影響を免れない」と言いませんでしたか?

> そして最終的には「可能性」の判断となります。
> 例えば「蓋然性が高い」からといって「ガンになる可能性がある」となることが必然ではありません。

当たり前です。それも既に説明済みですね。
医者がガンになる可能性を抽出したり捨象したりするのは、最終的には【主観や恣意】です。それが「判断」です。
その判断は「『可能性』の有無」で為されるわけじゃない。「事実や論理による『蓋然性』」で為されます。
医者の仕事は「【可能性】が『存在する』とか『存在しない』」とかいう客観的事実を述べるのではない。
「【可能性】は『ある』として、それを『捨象できる』とか『できない』」という「判断」を述べるんですよ。「蓋然性」はその判断を担保する材料です。
科学ってものは理解できていますか?

それで、議論の本筋に返りますが、あなたが「全てとは限らない不特定のベジタリアン」という文言から「全てではないベジタリアン」である場合を捨象し「全てのベジタリアン」を抽出する、その判断を担保するものは何ですか?
文言からは直ちにそのように抽出できないはずです。
0320菜々しさん
垢版 |
2015/12/30(水) 22:34:38.57ID:1dBNgyez
>>318
> 「同時に提示されたものに対し、一様な解釈を用いることは、一般的、社会的に当たり前に存在する」という例です。

「同時に提示されたもの」というのは「ガンになる可能性と、ならない可能性」ですよね?「一様な解釈」とは「ガンになる可能性がある(あるいは、ない)」という「判断」のことですか?
そう解釈して話を進めますが、
ですから言葉に厳格な医者であるなら
「ガンになる可能性がある(あるいは、ない)」などと言いません。
「『ガンになる可能性はある』が、(蓋然性に鑑みて)『ガンになる可能性は“捨象できる(あるいは、できない)”』と『判断』する」と言います。

> バカにしているとか、厳格でないとか、デタラメにも程がある。
> あなたの論者としての尊厳を担保に捨象しました。

説明しましたが、
あなたが全ての医者をひっくるめて普遍命題的に「医者ってのは言葉にルーズな生き物なんだぜ」と規定したのでないならば、
あなたは「医者の中には言葉にルーズな輩だっているんだ」という主張をしただけですが、これはあなたの主張を一切補強できない無意味な主張ってことになります。
いくらなんでも無意味なことを言ってはぐらかしたりはしないでしょう、と思ったわけです。無意味な撹乱であれば詭弁ですしね。

> でしたらボクの主張を受け入れるべきでしょwww

その場合は「全ての医者をひっくるめて言葉にルーズだとしている」ってことで、それを受け入れろと?
これはこれで反証例を挙げて覆すことのできそうな命題ですが、少なくとも無意味な言説で議論を撹乱する詭弁よりは論者としてはマシだと思えます。いずれにせよ人格的に問題があるとしても。

> 「医者が」という文言を「全ての医者が」とし、

全てでないなら、あなたは無意味な言説で議論を撹乱させようとした卑劣な詭弁家ってことになります。

> 一般的、社会的に当たり前にある例を提示したものが

一般論として提示したという場合、「言葉にルーズでない医者の存在」を恣意的に捨象して「医者が言葉にルーズであること」を一般化しているなら、これは詭弁にあたります。
一般論であるとするなら統計的データなりを用意して恣意性を十分に排除し、一般論であることを担保しなければならないが、そのような説明は見当たりません。説明してください?

> 「医者をバカにしている」と解釈し、

誰かが「医者ってのは言葉にルーズな生き物だぜ」と規定したとしたら「医者をバカにしている」と解釈できませんか?

>「言葉にルーズな生き物である」としていると決めつけ、

普遍命題であるなら、そのように規定したのはあなた自身です。
普遍命題ではないが一般論であるとするなら、ではなぜ「言葉にルーズでない医者の存在」を捨象し、「医者が言葉にルーズな場合」を抽出したのですか?一般論であるならその捨象には説明が必要です。

> そうでなければボクは詭弁で卑劣な論者www

そりゃそうなりますよ。

> 全部決めつけの論点先取。

論点先取じゃないですよ?論点先取の意味が分かっていないのでは?
場合分けをし、その場合分けに応じて結論を導いているだけですが、どこで論点が先取されていますか?
どの部分の構造が論点先取になっているか教えてください。
0321菜々しさん
垢版 |
2015/12/30(水) 22:36:33.62ID:1dBNgyez
>>318
> 「医者が」を「全ての医者」とできるなら「ベジタリアンが」を「全てのベジタリアン」とできることを認めるべきですね。
> 貴方の論者としての尊厳を担保によりねwww

www
猿真似しようとしても無駄ですよ。
私の主張は≪ベジタリアンの主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞が提示されることがある≫ですが、この「ベジタリアン」が「一部のベジタリアン」であっても、
それを前提とした後段、
≪このような欺瞞性を理由にベジタリアンになることを躊躇する人があり得るならば、ベジタリアンになる根拠をそれらの欺瞞に求めるのではなく【主観や恣意】による選択でベジタリアンになることへの理解を促すことは、
それらの人がベジタリアンになるための後押しになり得る≫
にとって無意味な前提にはなりませんし、何らの妨げにもなりません。
別に論理的瑕疵が生じないので私の論者としての尊厳の問題に還元されません。

あなたが、自分の説の補強になるかのように偽装して「言葉にルーズな医者だっているじゃんか!」という無意味な提示をしようとしたこととは同じに扱えません。

あなたこそがデタラメで無茶苦茶です。
何の説得力も用意せずに文言を変更せよ、謝罪せよ、とチンピラヤクザ顔負けのイチャモン三昧じゃないですか。
逃げるのも勝手ですが、高卒程度の論理性さえあるなら、もう一度最初からアタマ冷やしてじっくり読み直してみたらいい。どちらが無理筋かハッキリ分かるんじゃないですかね。
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