競馬、闘牛、闘犬は動物虐待なので廃止すべき [転載禁止]©2ch.net
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>>260
オッカムのカミソリとは
全て同じ結果になる理由であるなら単純化していいだけであり「勉強したこと」を否定することにはならないハズだが?
つまり表示することは省けるといったもの
そしてもし「勉強したこと」を省くのであればあらかじめ「勉強したこと」が0点をとる理由の一つであることを導いておく必要があるわけだ
そしてこの理由を省くのは勝手だか省くからといって間違いではなく、省かないから正解ということでもない
お前がやっているのはただ私の理由が気に食わないから省きたいだけってことだ >>262
> オッカムのカミソリとは
> 全て同じ結果になる理由であるなら単純化していいだけであり「勉強したこと」を否定することにはならないハズだが?
だから「のび太が0点を取る」という結果をもたらすのに「勉強したかどうかが関係ない」ならば「勉強したかどうかを論じる必要がない」んだよ。それは無駄な議論で省いて構わないということだ。
> そしてもし「勉強したこと」を省くのであればあらかじめ「勉強したこと」が0点をとる理由の一つであることを導いておく必要があるわけだ
これは違う。オッカムの剃刀が理解できていない。
勉強したかどうかが0点を取るかどうかの結果を左右するなら省けないから、その場合は結果に対する関係性を導けるなら議論に持ち込めばいい。(ジャイアン「いや、あいつこないだ勉強したら15点も取りやがったからな」、という場合)
結果に関係すると言えない論点は無駄だから省くんだよ。
「勉強しても0点、しなくても0点」だから省く。この場合「勉強したかどうかは関係ない」つまりどうでもいい論点だからだ。
決して「勉強したことが0点を取る理由だと導いたから省く」のではないよ。
ジャイアン「のび太、今日の試験の勉強したか?」
のび太「してないよ」
ジャイアン「本当か?俺よりいい点とったらぶん殴るぞ!」
スネ夫「勉強してもしなくてものび太は0点だから本当でも嘘でもいいよ」
ジャイアン「それもそうだな」
これがオッカムの剃刀だ。
> そしてこの理由を省くのは勝手だか省くからといって間違いではなく、省かないから正解ということでもない
私は「どっちにしろ0点なら、『のび太が勉強した』の真偽を論ずる意味がない」と言っているだけで「『のび太が勉強した』が偽である」と主張してはいない。
「それを論ずる意味がない」と言っている。
>お前がやっているのはただ私の理由が気に食わないから省きたいだけってことだ
気に食うか食わないか、という話ではない。
有用な議論か無用な議論かを確認している。無用な論点などいくらでもこじつけられるからね。
「『証明されたかされていないか』で『仕方ない』かどうかが変わらないなら、あなたの持ち出した論点は無駄で無意味で削ぎ落として構わないもののはずだが、
わざわざ論ずるならば『証明されていない場合は、仕方ないと言えない』ということでいいか?」と確認している。
要するにあなたの論点は必要ですか?無用ですか?意味ありますか?無意味ですか?という確認だ。だからあなたの質問自体のレゾンデートルだ、と言った。
もしこの論点を論ずる意味がないなら例えば
【屠殺が動物虐待と証明されたなら非難されても仕方ない】という命題はオッカムの剃刀で【屠殺は非難されても仕方ない】と単純化して論ずることができる。
この単純化ができないとしたら「動物虐待と証明されたなら」という条件が真偽を左右するということだから、「動物虐待が証明された場合」と「されない場合」で結果に差違が生じなければならない。
であるならば、片方が「証明された場合、仕方ない」であるのだから他方は「証明されない場合、仕方ないと言えない」となるのは道理だろう? >>263
お前は論点を先取りしている
例えば私の主張が
「のび太は勉強したとき0点をとる」
だとし、
お前の主張である「のび太は0点をとる」と原因(理由)「勉強したとき」をカミソリにより省く時、
これは原因が全て結果「のび太は0点をとる」になる場合だけだ
つまり原因が100通りあるなら100通りが全て一つの結果になる必要がある
お前は全ての原因が一つの結果になることを知っていることで初めて「のび太は0点をとる」と言い切れることができることになる
なぜお前は全てが一つの結果になることを知っている?
まずは一つ一つそうなることを調べるなり、経験するなりしなければ知れる訳はない
知らなければ省けるはずがない
つまり
お前は私の主張「勉強したとき」を議論する必要がないと言っているのは、
私の主張を認めた先の議論だ
私は私の主張が成り立っているのであればその先の論点を議論する必要はない >>264
ああ、完全にオッカムの剃刀を間違えてるな。
オッカムの剃刀とは「ある大命題を論ずるとき、その大命題の論点に関係する(結果を左右する、結果に対する原因として還元できる)小命題であるならば省いてはならない。論点に関係する小命題であるといえなければ省く。」という原則だ。
> お前は論点を先取りしている
これも的はずれ。
> 例えば私の主張が
> 「のび太は勉強したとき0点をとる」
> だとし、
というときに、「のび太が勉強したかどうかを論じる意味がありますか?」と聞いている。論点先取ではなく、論点とすべき問題ですか?と小命題を持ち込もうとしたあなたに問うている。
あなたが「論じる必要性」を立証できれば、この命題を論じる意味はありオッカムの剃刀で省くことのできない命題ということになるが、
そうでないなら、すなわち「のび太が勉強したかどうかで0点かどうかが変わる」と言えないなら・・・P
>>263で述べたように
スネ夫「勉強してもしなくてものび太は0点だから本当でも嘘でもいいよ」
となるわけだ。
私が言っているのは「あくまでPであるなら省くことができるはずだから、この小命題を意味あるものとして提示するならば論ずる必要性を提示せよ」ということだ。
これも>>263で書いたが
「『証明されたかされていないか』で『仕方ない』かどうかが変わらないなら、あなたの持ち出した論点は無駄で無意味で削ぎ落として構わないもののはずだが、
わざわざ論ずるならば『証明されていない場合は、仕方ないと言えない』ということでいいか?」と確認している。
例えば、
しずか「のび太さんはやればできるもの、10点くらいなら取ったことあるんだから」
というならスネ夫の剃刀では省けなくなる。
しかしそうでなければ、
ジャイアン「それもそうだな」
となるわけだ。
このしずかちゃんのセリフのように「論じる価値がある命題ですよ」と言えないなら、無駄な議論は省く。それがオッカムの剃刀だ。
だからあなたに「論じる価値があるか?『証明された場合とされていない場合で結果が変わるのか』『証明されていない場合は、仕方ないと言えないということでいいか?』」と聞いているわけだ。
そうでなければ論じるだけ無駄だぞ、という意味でね。
> お前は私の主張「勉強したとき」を議論する必要がないと言っているのは、
> 私の主張を認めた先の議論だ
> 私は私の主張が成り立っているのであればその先の論点を議論する必要はない
残念ながら、オッカムの剃刀で省かれる小命題は真偽を定めなくていいんだよ。というより真偽を定める価値がない論点だから、無駄を省くために削ぎ落とすんだ。
要するに「大命題の結果に関係ないから論じる必要がない」と言っているだけで、「あなたの言う小命題が真だから省いていい」ということではないwww
大命題を論ずるときに、あなたの持ち込んだ小命題は真偽を論じる価値がない無駄な論点だから捨ててしまえ、ということだ。 >>264
>お前は論点を先取りしている
これが的はずれだということは説明したが、他の部分についても解説してあげた方がいいかもしれないな。
>例えば私の主張が
>「のび太は勉強したとき0点をとる」
>だとし、
>お前の主張である「のび太は0点をとる」と原因(理由)「勉強したとき」をカミソリにより省く時、
>これは原因が全て結果「のび太は0点をとる」になる場合だけだ
>つまり原因が100通りあるなら100通りが全て一つの結果になる必要がある
これはあまりにもオッカムの剃刀と違うことを言っているので、最初何を言ってるのか分からなかったのだが、
要するに「勉強したとき」という場合の他に考えられる「場合」が無数にあり、勉強の代わりに「昼寝をしていた場合」はどうか、「おやつを食べていた場合」はどうか、「マンガを読んでいた場合」は、「あや取りをしていた場合」は、
という具合に
「無数に考えられる場合についてくまなく全て検証し、結果『あらゆる場合に0点を取る』と検証されたならば、0点の原因を『勉強したとき』に還元できないと判る、それならばオッカムの剃刀で省くことができる」という意味だろう?
だから、
>お前は全ての原因が一つの結果になることを知っていることで初めて「のび太は0点をとる」と言い切れることができることになる
と言い出した。こういうことだろ?
しかし、これはオッカムの剃刀とは全然違う。
「勉強したとき」以外というのは勉強の代わりに「昼寝」をしようが「あや取り」をしようが全て「勉強した『ではない』とき」に集約される。これは場合分けのもっとも簡単な形態だ。
従って、「勉強したとき」が「0点を取る」という結果をもたらす原因になるかどうかについては、検討する必要があるのは「勉強したか、していないか」の二通りに集約する。
そして、「勉強したか、していないか」という場合分けのいずれにおいても結果「0点を取る」が同じならば、「勉強したか、していないか」は結果に対するその原因とは言えない、つまり大命題とは関係ない、
こういう、大命題の真偽に影響しない小命題ならばそれを論じる意味がないから省く、というのがオッカムの剃刀だ。
従って、
>なぜお前は全てが一つの結果になることを知っている?
>まずは一つ一つそうなることを調べるなり、経験するなりしなければ知れる訳はない
>知らなければ省けるはずがない
こんな無茶苦茶なことにはならない。
だいたいオッカムの剃刀がなぜ「思考節約」と呼ばれているか考えてみたらいい。
「まずは一つ一つそうなることを調べるなり、経験するなりしなければ知れる訳はない 知らなければ省けるはずがない」なんてことしていたのであれば思考の節約になるはずがないだろう。 >>266
なんにせよ「勉強したとき」をお前がただ単に省きたいだけのことであり、
「勉強したとき」が意味がないこととそれとは別の論点だ
私はこの仮説「のび太が勉強したとき0点をとる」が成り立てばいいことであり、
私のレゾンデートル上、「勉強したとき」を省かないこと
「のび太は勉強したとき0点をとる」を主張としといればいい >>266
それとお前は論点をすり替えている
お前の大命題(理由)とは「のび太」となる
つまり「のび太という原因が0点をとる」と言ったものだ
私の主張は違う
あくまでものび太が「何かをしたとき」0点をとるという「何かをしたとき」が重要だとしている
それが「勉強したとき」であり、元の主張である「証明された」ということだ >>267
> なんにせよ「勉強したとき」をお前がただ単に省きたいだけのことであり、
私だけでなくオッカムも、だな。ただ単に、ではなく論ずる価値がないから、だな。
> 「勉強したとき」が意味がないこととそれとは別の論点だ
> 私はこの仮説「のび太が勉強したとき0点をとる」が成り立てばいいことであり、
> 私のレゾンデートル上、「勉強したとき」を省かないこと
> 「のび太は勉強したとき0点をとる」を主張としといればいい
ははは
場合分けに意味がなくてもいい、意味がなくても真であればいい、というわけだ。
その場合分けがオッカムの剃刀で削ぎ落とされる無駄な論点であっても構わない、削ぎ落とされた小命題が真であればそれで満足だ、というわけだ。
あなたの主張は>>251
>証明されたのであれば廃止すべきという声が出ても仕方がない
>
>動物虐待は愛護法という基準を持ち寄ることはできる
>その法律により裁かれればそれを動物虐待とできることになる
>その中から廃止すべきという声が出ても仕方がない
だったはずだ。
【ある事柄について、それが愛護法という基準で動物虐待と裁かれたならば、廃止すべきという声が上がっても仕方ない】
要するにこれがあなたの主張だ。
今「愛護法という基準で動物虐待と裁かれたならば」という場合分けに意味がないとすれば、オッカムの剃刀により命題は【ある事柄について、廃止すべきという声が上がっても仕方ない】というものになる。
これが真であるなら、【ある事柄について、廃止すべきという声が上がっても仕方ない、基準も理由も何も要らない】ということになる。(基準も理由も何もなしに命題が成立するのだから)
まあ、確かにどんな事に対しても「廃止すべき」と言うのが人の勝手である以上、理由や根拠が無くてもこのような声が上がるということは仕方ないかもしれない。
だとすると例えば「理由も何もなしに『畜産は廃止すべき』という声が上がっても仕方ない」ということになる。
同様に「理由も何もなしに『菜食主義は廃止すべき』という声が上がっても仕方ない」し「理由も何もなしに『動物愛護は廃止すべき』という声が上がっても仕方ない」となる。
これでは結局あなたの主張は「人の口に戸は立てられぬ」というだけのことになるわけだが、それで満足だ、ということだね。 >>268
> お前の大命題(理由)とは「のび太」となる
> つまり「のび太という原因が0点をとる」と言ったものだ
違う違うwww
大命題を提示したのはあなたで、私はそれを考察しているだけだ。
【のび太は勉強するならば、0点を取る】これがあなたの命題。
私は前件が後件(結果:0点を取る)の原因となるといえるかどうか、と問うている。
前件次第で後件の真偽が変わりますか?変わらないなら場合分けする意味ないですよね?と聞いている。
【のび太が勉強しないならば、やはり0点を取る】であるならば、【のび太は勉強しようがしまいが、0点を取る】であり、
後件「0点を取る」ことに前件「勉強するかしないか」がどうであるか関係しない。
関係しないなら「のび太が0点を取ることについて、前件『のび太が勉強する』かどうか真偽は論じる必要がない」となる。
従って、これは省くことができる。
するとあなたの大命題は【のび太は0点を取る】ということになる。「勉強するかしないかの場合分けに意味がない」ならば、【のび太は0点を取る】が恒真であるとあなたは主張していた、ということになる。
繰り返すが、これはあなたが提示した命題から無駄なものを省くとこうなる、ということだ。
> 私の主張は違う
> あくまでものび太が「何かをしたとき」0点をとるという「何かをしたとき」が重要だとしている
> それが「勉強したとき」であり、元の主張である「証明された」ということだ
いや、あなたの大命題は【のび太が何かしたとき、0点を取る】ではない。【のび太が勉強したとき、0点を取る】だ。
例えば【のび太が朝寝坊したとき、0点を取る】とか【のび太が宿題を忘れたとき、0点を取る】とかはあなたの命題に挙げられていなかったはずだ。
あくまで「勉強したとき」で場合分けした命題についての考察だ。
元の主張では
あなたの主張は【ある事柄について、愛護法に準拠して動物虐待にあたると裁かれたならば、廃止すべきという声が上がっても仕方ない】であって、
【ある事柄について、何かの理由で、廃止すべきという声が上がっても仕方ない】ではないし、
【ある事柄について、一部のベジタリアンが虐待だと騒いだならば、廃止すべきという声が上がっても仕方ない】でもなく【ある事柄について、のび太が虐待だと言ったなら、廃止すべきという声が上がっても仕方ない】ではなかった。
あくまで「愛護法に準拠して動物虐待にあたると裁かれたならば」と場合分けした命題の考察だ。
あくまで「勉強するとき/裁かれたとき」という条件に限定した主張で、「勉強しないとき/裁かれなかったとき」に結果が同じならば「勉強したかどうか/裁かれたかどうか」には論じる意味がないから、この場合分けはオッカムの剃刀で省くことができるはずだ。
もしこれを省くことができないならば、逆に「勉強したとき/裁かれたとき」と「勉強しないとき/裁かれなかったとき」の間には差違が無ければならない。
そしてもしも、オッカムの剃刀で正しく省かれた後に残る命題「のび太は0点を取る/廃止すべきという声が上がっても仕方ない」が恒真でないならば、そもそもの大命題が偽であったということだ。 >>268
>>270の訂正。
×そしてもしも、オッカムの剃刀で正しく省かれた後に残る命題「のび太は0点を取る/廃止すべきという声が上がっても仕方ない」が恒真でないならば、そもそもの大命題が偽であったということだ。
↓
○そしてもしも、オッカムの剃刀で正しく省かれた後に残る命題「のび太は0点を取る/ある事柄について廃止すべきという声が上がっても仕方ない」が恒真でないならば、そもそもの大命題が偽であったということだ。 >>269>>270
お前はまず勘違いをしている
私が言いたいことをのび太の例えに当てたとき
私の主張は
「のび太が0点を取る理由は?」という問いに対し「勉強したとき」と答えている
という事だ
これが成り立てばそれでいい
勿論私は「これだけしか答えはない」とは言っていない
ただ「これは正解の一つだ。間違っているか?」という話だ
理由(原因)を重要とする
のび太が「何かをしたとき(原因)」0点をとる
だ
その答えの一つを私は「勉強したとき」だと言っている
原因は100パターンあるかもしれない、1000パターンかもしれない
その中で私は「勉強したとき」を選択しているわけだ
これが原因とし成り立つのであれば私の主張は整合性を持つ
そして私の主張にオッカムのカミソリを使用するのであれば1000パターンあるかもしれない0点をとる原因の999パターンを省き「勉強したとき」を残しているということだ
お前が行っている「省き」はその原因を全て省き「のび太は0点をとる」としている
これは原因全てが必ず結果0点をとるになることが前提だ
それは論点の先取りとなる
まずはそうなることを調べる必要がある
元の主張に戻るが
私の主張の原因(理由)とは「証明されたのであれば」としている
これをお前は「当たり前に整合性を持つから省くことができ、議論する必要もない」と言っていることは分かった
ただ私はこれにより>>1の命題はある種の整合性を持つことを言いたい >>271
>ある事柄について廃止すべきという声が上がっても仕方ない
お前がオッカムのカミソリを使い省くのはお前の勝手だ
だから「原因」を全てあげ好きなものを省けばいい
好きなものを残せばいい
ただそれは私の仕事ではない
私はその原因の一つであろう「司法で証明されたのであれば」というものを提示しているだけだ
それが整合性を持つことが重要なだけだ >>271
>ある事柄について廃止すべきという声が上がっても仕方ない
それと「ある事柄」としたのは何か意味があるのか?
正しく「動物虐待は廃止すべきという声が上がっても仕方がない」
とオッカムのカミソリにより提示できるとしてくれないか?
そしてこれはお前の主張によるものだと
私の主張は「動物虐待は廃止すべきという声が上がっても仕方がない」だけではなく原因(理由)である「司法による判断、判例に基づき証明されたのであれば」の提示も必要だということ >>272
> 私の主張は
> 「のび太が0点を取る理由は?」という問いに対し「勉強したとき」と答えている
> という事だ
>>261で指摘したが、これは問答が成立していない。
「理由」を聞かれて「理由と言えないもの」を答えている。
「勉強したとき」というのは理由かどうか分からない単なる「状況」だ。「勉強したからだ」ならば理由になるが、そのためには「勉強しなかった場合」との間に差違が生じなければならない。
そうでなければ結果に対する原因と言えない。「勉強しても0点、しなくても0点」ならば「勉強以外に0点の原因がある」し「勉強が0点の原因である、とは言えない」となる
> 勿論私は「これだけしか答えはない」とは言っていない
これだけしかもなにも「勉強が原因だ、と言えない」と言っている。
> ただ「これは正解の一つだ。間違っているか?」という話だ
間違っている。正解の一つであると言えない。結果に対して原因として影響を及ぼす事象だと言えていないから。
> これが原因とし成り立つのであれば私の主張は整合性を持つ
これが原因として成り立つためには「勉強した場合と、しなかった場合に生じる差違」を説明しなければならない。
> そして私の主張にオッカムのカミソリを使用するのであれば1000パターンあるかもしれない0点をとる原因の999パターンを省き「勉強したとき」を残しているということだ
これはオッカムの剃刀と何も関係ない。知ったかぶりで誤用しているのでは?意味の分からない言葉なら使わない方がいい。
> お前が行っている「省き」はその原因を全て省き「のび太は0点をとる」としている
> これは原因全てが必ず結果0点をとるになることが前提だ
> それは論点の先取りとなる
違うな。
私は【「のび太は勉強したとき0点を取る」について≪「勉強してもしなくても、0点を取る」であるならば、「勉強したかどうか」は「のび太は0点を取る」の原因と言えない、≫しかし、
≪「勉強したときとしないときで差違がある」ならば「勉強したかどうか」は「のび太は0点を取る」の原因と言える≫】と言っている。
これは場合分けであって論点先取ではない。
論点先取というのは【「のび太は勉強してもしなくても0点」だから「のび太は勉強したとき0点を取る」】というような形式をいう。で、これは前件に後件が完全に含まれるので前件が真のときに後件を言うことに何の意味もない。
この場合、「勉強したとき」というのは不要な場合分け、不要な条件付けだ、ということだ。
私は【あなたは「のび太は勉強したとき0点を取る」というが「勉強したかどうかで場合分けする意味がありますか?意味がある場合分けなら勉強しないときは0点と言えないってことになりますが」】と質問している。
これは特に論点を先取していない。
論点先取という言葉の意味もよく分かっていないのでは?
> 元の主張に戻るが
> 私の主張の原因(理由)とは「証明されたのであれば」としている
> これをお前は「当たり前に整合性を持つから省くことができ、議論する必要もない」と言っていることは分かった
え?
「当たり前に整合性を持つから省くことができる」と言っているんじゃないが?
「場合分けの両者『裁かれたとき/裁かれなかったとき』のそれぞれに差違がないなら場合分けして論じる意味がない、意味がないから省くことができる」と言っている。
「当たり前に整合するから」ではなく、「意 味 が な い か ら 」省くことができる、だ。
整合しようがしまいが、意味がない。
整合するかどうかそもそも論じる意味もない。 >>273
> >ある事柄について廃止すべきという声が上がっても仕方ない
> 私はその原因の一つであろう「司法で証明されたのであれば」というものを提示しているだけだ
だから【「勉強する場合/証明された場合」と「勉強しない場合/証明されない場合」で結果「0点を取る/仕方ない」に差違が生じなければ、「勉強する・しない/証明される・されない」を結果に対する原因として還元できるといえない】と言っている。
理由とも言えないものを理由にでっち上げているだけだ。
ある結果について、その結果に影響を与えたといえない(その事象の有無が結果に差違を生じない)事象であれば、そこにあったとしてもそれを結果に対する原因と還元することはできない、ということの例を挙げよう。
例えば「民主党政権のとき311地震が起きた、ならば地震の原因は民主党だ」とか「俺が昼寝をしているときに原発が爆発した、ならば爆発したのは俺が昼寝をしたからだ」という文について考える。
これらは正しい論理といえるだろうか?
「民主党でなければ地震が起きなかった」とか「俺が昼寝をしなければ爆発しなかった」と言えないならば、民主党や昼寝は地震や爆発の原因とはいえないだろう。そうでなければこれらは結果に対する原因に還元できない。
であるならば、地震と民主党政権、爆発と昼寝はただの並立事象に過ぎない。
「勉強したかどうか」で0点かどうかに差違がないなら、そんなものは単なる背景でしかない。 >>274
> >ある事柄について廃止すべきという声が上がっても仕方ない
>
> それと「ある事柄」としたのは何か意味があるのか?
もちろん意味がある。
>>245は「動物虐待として証明されたものは廃止すべきだという声が出ても仕方がない」となっている。
これを、命題文の形【前件、ならば、後件】に直すと【動物虐待として証明されたものである、ならば、廃止すべきだという声が出ても仕方がない】となる。
この前件について、このままでは主語が不足しているからそれを補うために「ある事柄」を形式主語に充てたという意味がある。構文上の要請によるもので「it」と同様。
それで文意が変わるものではないと思うが、問題あるだろうか?
なるべくあなたの用いた語に忠実に命題文の形式に直すと
【"もの"が動物虐待として証明されたである、ならば、廃止すべきだという声が出ても仕方がない】と、日本語として不自然になるからね。 >>274
> 正しく「動物虐待は廃止すべきという声が上がっても仕方がない」
> とオッカムのカミソリにより提示できるとしてくれないか?
> そしてこれはお前の主張によるものだと
【"もの"が動物虐待として証明されたである、ならば、廃止すべきだという声が出ても仕方がない】
という文は不自然だが、ご要望なのでこれをオッカムの剃刀でスリム化してみよう。
・「『(司法判断や判例により)動物虐待として証明された場合』と『されない場合』に差違が生じないならば(仮定A)」、無駄な場合分けを省けるので、
仮定Aの場合、【"もの"である、ならば、廃止すべきだという声が出ても仕方がない】となる。
この"もの"というのを修飾していた条件は、仮定Aの場合はオッカムの剃刀で正しく省くことができてしまったので、今や「何の限定条件もない"もの"」ということになる。
自然な日本語に直すならば【物事であるならば何であれ、廃止すべきだという声が出ても仕方がない】という意味になるね。
あなたの主張は「仮定Aが成り立つならば」このようになる。
・では仮定Aが成り立たない場合はどうか。この場合はオッカムの剃刀を適用できないので、命題は【"もの"が動物虐待として証明されたである、ならば、廃止すべきだという声が出ても仕方がない】のままだ。
しかし、この場合は仮定Aが成立しないはずなので、「『(司法判断や判例により)動物虐待として証明された場合』と『されない場合』には差違が生じている」はずだ。
だとしたら、「証明された場合は、仕方ない」なので「証明されていない場合は、仕方ないといえない」となるはずだ。 オッカムのなんちゃらは知らないのですまんが、
彼は降水確率が20%以上あれば折り畳み傘を必ず持っている。
という文章があったとして、彼が降水確率が20%未満の場合も必ず折り畳み傘を持っているのであれば、降水確率とは関係無く必ず傘を持っているのだから、降水確率関係無いじゃんってことよね?
恰も降水確率と彼が折り畳み傘を持っているか否かが関与しているかのように思われてしまうから、むしろ省いた方がいいんじゃないのかと思うけど。 >>279
そうそう。
簡単に表記するために「オッカムの剃刀」という名前で用いられるが、
要するに、そのような結果に影響しない論点は論ずるだけ無駄でしかも幾らでも作れるから、基本的に本質と関係ないものは一々真偽を確認する手間を省くために切り捨てましょう、という話です。
「オッカムの剃刀」を知ったかぶりしていた彼より、あなたの方がその名前を知らなくても本質は理解してるみたいですね。
以下は「オッカムの剃刀」について主に知ったかぶりの彼に説明する目的で書く。
例えば
「彼は降水確率が20%以上あれば折り畳み傘を必ず持っている。 」という文に帰納的に真偽を帰属させようとすると、
「彼である」「降水確率が20%以上である」「折り畳み傘を持っている」が真であることを例外なく検証できなければならない。
その結果「彼は降水確率が20%以上あれば必ず折り畳み傘を持っている」が真であると確かめられる。
あるいはこの文が真であるとき、「ある人が傘を持っているかどうか」は「彼である」「降水確率が20%以上である」が真であるなら演繹的に「その人は折り畳み傘を持っている」が真であると定まる。
ここで、もし「彼は降水確率が20%未満である時も必ず折り畳み傘を持っている」のであれば、すなわち「彼は降水確率が20%以上でも未満でも必ず折り畳み傘を持っている」ならば、
文が「彼は必ず折り畳み傘を持っている」と書き換えられてもその真偽は変わらない。
そしてこの文自体の真偽は帰納的には「彼である」「折り畳み傘を持っている」の二点が例外なく検証されれば真であるし、
あるいはこの文が真であるとき、「彼である」が真でさえあれば演繹的に「その人が折り畳み傘を持っている」が真であると定まる。
真偽が変わらないならば、項目が少ない方が真偽を確めることが容易であり、真偽に影響を与えない項目は無駄に煩雑さを増すだけである。
元の文は逆に、例えば
「彼は二月の早朝に降水確率が20%以上あり、かつ目覚ましより早く起き、かつ明け方にカラスの声を聞き、かつ朝食がパンでなくご飯、かつサンフランシスコで例年よりもダンジネスクラブの漁獲がおおく、かつ神の啓示があったならば折り畳み傘を必ず持っている。 」
という具合に無数に論点を増やすこともできる。
すると、帰納的にこの文が真であることを確かめるためには
「彼である、二月である、早朝である、降水確率が20%以上、目覚ましより早起き、明け方にカラスの声を聞く、朝食、サンフランシスコのダンジネスクラブの漁獲高、神の存在、啓示の存在」
を全て真であると検証しなければならない。
あるいはこの文から演繹的に「その人が折り畳み傘を持っているかどうか」を調べるためには
「彼である、二月である、早朝である、降水確率が20%以上、目覚ましより早起き、明け方にカラスの声を聞く、朝食、サンフランシスコのダンジネスクラブの漁獲高、神の存在、啓示の存在」
が全て真であると定まらなければ「その人が折り畳み傘を持っているかどうか」判らない。
ただし、これらの「二月である、早朝である、降水確率が20%以上、目覚ましより早起き、明け方にカラスの声を聞く、朝食、サンフランシスコのダンジネスクラブの漁獲高、神の存在、啓示の存在」によって
「折り畳み傘を持っている」の真偽が変わるならば、無論省いてはならない。
しかし結果に影響しない論点ならばこれらの無数の論点は全て無駄である。
無数に無駄な論点を増やすことは、文の真偽や文を前提した真偽の導出を遠ざけるので避けるべきであり、無駄な論点は省くべきである。
こういったことがオッカムの剃刀の原理だ。
この原理によるなら、「命題に条件を挙げるならば、その条件が結果に影響を与えるものでなければならない」となる。
だから、彼に「のび太が勉強しなかったら/証明されなかったら、何か差違が生じるのか」と聞いたのだが、彼はこういったことが理解できておらず、
「結果に影響しなくても言いたいから言った!意味がなくてもいい!」と言っている。
これは議論の効率という意味では無駄に進行を遅らせるだけで、それが行われる理由は自己満足か時間稼ぎかあるいは他の何であれ議論のマトモな決着を目的としたものでないことが明らかだ。 >>275
「勉強したとき」という原因が「理由といえないもの」となぜわかる?検証、判定したからか?
省くには必ず検証、判定は必要になる
検証、判定できない、またはしていない中でその結果があることをお前が知っているということは、
お前は「のび太は必ず0点をとる人間」であることを初めから知っているということになる
こういうことであるならば、勉強したときだろうが息をしてようが何だろうが関係ない
そしてこれは最終的に「0点をとる」ことを検証、判定、議論する必要もない
のび太は必ず0点をとる人間だからだ
お前の言っていることはこういうことだ
お前に質問する「のび太が必ず0点をとる人間」だという根拠を示せ この子には仮定とか比較とかいう概念が欠落していると見受けられる。たぶんがんもクンだな。 >>280
やはり理解力が乏しいか
まず
「のび太が必ず0点をとる人間」である証明を提示しろ
それとお前は
帰納法により真と導いた「勉強したとき」という原因は整合性の一つだと認めないと言いたいんだな
整合性を持たないから意味がない
意味がないから提示してはならない
と言いたいんだな
そうしなければならない理由を提示しろ >>284
読めるよ。
で、検証した結果を仮定した場合の話が書かれてるんだよ? >>280
もう一つ質問しよう
例えば
のび太が0点をとる原因が10パターンだけあるとしよう
その中の8パターンは真であり、2パターンは偽であった時、
お前はのび太が0点をとる原因をどう提示する? >>285
それならばどちらにせよ事実が必要だな
「のび太が必ず0点をとる事実の検証」が必要だ >>287
何を言っているんだ。
がんもクンも>>286で仮定してるじゃん。事実の検証はいらないんだよ? >>288
私の仮定の問いに対し事実を答える
のび太が必ず0点をとるという仮定はいいが
必ずそうなる事実がなければ「のび太は必ず0点をとるとはいえない」となる >>289
やっぱ仮定の概念が無いんじゃないのかな。
>必ずそうなる事実がなければ
これが仮定なんだが、これの何をどう検証する必要があるの?
知ってると思うけど、のび太って架空の人物だから事実の検証ってのがそもそもできないんだが。 まずお前らが勘違いしているであろうことを書く
例えば
「とうもろこしは、焼きたてが旨い」
これに対しお前らは「焼きたて」は議論する必要がないし意味がない、オッカムのカミソリで省くことができる
と言っている
私は旨いを結論付けるには「焼きたて」という原因を議論する必要があると言っている
勿論、旨いを結論付ける原因は様々あるだろうが、私は「焼きたて」に拘っているということだ
この「焼きたて」が原因に繋がるのであれば私の主張は整合性を持つ
これが私の主張の全てだ >>290
であるなら「のび太は必ず0点をとる人間とはいえない」でいいな >>291
@
とうもろこしは、焼きたてが旨い
とうもろこしは、焼きたてでなくても旨い
この場合は、
とうもろこしは、旨い
でいい。
A
とうもろこしは、焼きたてが旨い
とうもろこしは、焼きたてでなければ旨いとは言えない
この場合は、
とうもろこしは、焼きたてが旨い
でいいよ。
@の場合は「焼きたて」が旨い原因とは言えない。
Aの場合は「焼きたて」が旨い原因と言える。
何がわからんのだ。 >>292
のび太は必ず0点をとる人間とはいえないんだが、それが何なんだ? >>295
あぁ、これか?
B
とうもろこしは、焼きたてが旨い
とうもろこしは、焼きたてでなければ旨いかどうか検証しないし、論じないからわからない
この場合は、
とうもろこしは、焼きたてが旨い
という文章でもいいが、「焼きたて」が旨い原因とは言えない。 C
とうもろこしは、焼きたてが旨い
この場合も同じ。「焼きたて」が旨い原因とは言えない。 >>294
「のび太は必ず0点をとる人間とはいえない」のであるなら
のび太が0点をとる原因を検証する必要があるということだ
つまり原因であるかもしれない「勉強したとき」を検証(議論)し、それが整合性されるなら
「のび太は勉強したとき(は必ず)0点をとる」を提示しても構わないだろ?
と私は言っている >>298
「勉強したとき」が原因かも知れないから、「勉強しなかったとき」を検証した結果を仮定した話が上に書かれてるんだよ?
「のび太は勉強したとき(は必ず)0点をとる」を提示するのは構わないが、それをもって、のび太が0点をとった理由は勉強したからだとは言えないよってだけの話でしょ。
「勉強した」が原因ならば、「勉強した」以外の属性との結果に差異があるということだよ。
差異がある・・・原因かも知れないし、原因でないかも知れない
差異がない・・・原因ではない
原因だというには更に検証が必要になるなる。
勉強した→0点
勉強した以外→0点以外
これで、0点の原因が勉強したになる >>299
私は
「勉強したとき」の整合性を証明するのには
「0点」と「勉強したとき」の因果関係を検証することでそれは成り立つと言っている
これで整合性を持つなら
「のび太は勉強したとき(は必ず)0点をとる」と提示できる
といっている
これが私の主張だ
つまりオッカムのカミソリを使い省く、省かないといった議論は根本的に論外な話ではある
そして「勉強したとき以外」の整合性を検証することもだ
お前らが勘違いしているのは私は「0点をとる結論」を議論したいのではない
「0点をとる原因はどんなものがあるかを検証」を議論したいわけだ
その一つに「勉強したとき」を選んでいるということとなる
これを1に当てれば
「競馬、闘牛、闘犬は動物虐待なので廃止すべき」を整合させるには言葉が足りない
その原因として「司法による動物虐待という判断であるならば」というものを選んだということだ >>300
うん。
0点をとる原因はどんなものがあるかを検証するのなら、ある要素とそうでない要素を比較しなければ原因かどうかは分からないよ。
AならばBだ
A以外ならばB以外だ
これでAはBの原因と言える。
AならばBだ
これだけなら、AはBの原因とは言えない。
とうもろこしの話は理解できたんだろ? >>281
> 「勉強したとき」という原因が「理由といえないもの」となぜわかる?検証、判定したからか?
まず日本語を勉強しろ。「〜したとき」は理由ではない。「〜したから(〜だから)」と表せるのが理由だ。
> お前は「のび太は必ず0点をとる人間」であることを初めから知っているということになる
何言ってんだ?
「勉強したら0点」とあなたは言った。
・ここで「勉強しなくても0点」ならば「必ず0点を取る」になるから、「勉強の有無を論じる意味がない」と言っている。
・「勉強しなければ0点、ではない」ならば「必ず0点を取る、ではない」ので「勉強の有無を論じる意味がある」
・「勉強しなければ0点、ではない」と言えなければ「勉強の有無を論じる意味がない」
>こういうことであるならば、勉強したときだろうが息をしてようが何だろうが関係ない
だからそうやって無駄な論点を増やすのは愚の骨頂だから省きましょう、というのがオッカムの剃刀だ。
> のび太は必ず0点をとる人間だからだ
> お前の言っていることはこういうことだ
違う違うwww
ステップ1・「勉強したら0点」「しなくても0点」ならば、「常に0点」とわかるだろ?この場合に0点かどうかについて勉強の有無を論じる意味がないのは分かるか?
ステップ2・「勉強したら0点」「しなければ0点、ではない」、この場合は勉強したときだけ確実に0点と判るんだから、論じる意味はあるだろ?
ステップ3・だから、「してもしなくても0点」なら論じる意味はないし(←ステップ1)、「しなければ0点、ではない」なら論じる意味はある(←ステップ2)だろ?
ステップ4・つまり、勉強の有無を論じることは「しなければ0点、ではない」場合にしか意味がない。
ここまでに分からない点があれば言ってくれ。
> お前に質問する「のび太が必ず0点をとる人間」だという根拠を示せ
私はそんなことは主張してない。
あなたは「勉強したら0点」と言うが、もし「勉強しなくても0点」だったとしたら、勉強したかどうかを論じる意味がない。(ステップ1)
無駄な議論はいらないので(オッカムの剃刀)、
「勉強したら0点」とわざわざ言うなら、「勉強しなければ0点、ではない」ことを証明してからにしてくれ(ステップ4)、
と言っている。 >>283
> まず
> 「のび太が必ず0点をとる人間」である証明を提示しろ
そんなことは言ってない。
あなたが「のび太は勉強したら0点」と言ったが、仮に「勉強しなくても0点」ならば「のび太は必ず0点を取る」になるんだから、
一々「勉強したかどうか」論じても論じなくても0点は0点だろ?それじゃ「勉強したかどうか」論じる意味がない。
0点は0点なら「勉強したかどうか」そんなものは無駄な条件付けだ。
そして無駄な条件はいくらでも作ることができるんだから、
条件を提示するなら論じるより前にその条件が無駄じゃないことを説明しろ、
「勉強しなければ0点、ではない」を説明しろ、と言っている。
> それとお前は
> 帰納法により真と導いた「勉強したとき」という原因は整合性の一つだと認めないと言いたいんだな
> 整合性を持たないから意味がない
違う違う違う違うwww
結果に差違がない条件付けなら、整合しようが整合しまいが関係ないと言っている。
「勉強したとき0点」「勉強しないとき0点」ならば、
「のび太が『勉強した』に整合しようが『しない』に整合しようが、0点は0点」
「勉強したに不整合だろうが、しないに不整合だろうが0点は0点」
「どちらに整合でどちらに不整合だろうが0点は0点」
だから「勉強したかどうか」に意味がない。
意味がないならそんな条件は邪魔だ。
意味がある条件付けをするなら「勉強しないとき0点、ではない」を先に証明しろ。
> 意味がないから提示してはならない
> と言いたいんだな
> そうしなければならない理由を提示しろ
なぜなら無駄な条件付けなど無限に可能だからだ。
無限に議論を遅延させ、結論を先伸ばしにするだけだからだ。 >>286
> 例えば
> のび太が0点をとる原因が10パターンだけあるとしよう
> その中の8パターンは真であり、2パターンは偽であった時、
> お前はのび太が0点をとる原因をどう提示する?
10パターンだろうが100パターンだろうが、原因となるものは必ず結果に影響する。つまりその事象の有無が結果に影響する。
・勉強が原因なら「勉強したとき/しないとき」が結果に影響する。
・寝坊が原因でないなら「寝坊したとき/しないとき」が結果に影響しない。
・もし「遅刻したとき/しないとき」で0点は0点なら、遅刻は原因ではない。
・「朝ごはんを食べた/食べない」で点数が変わるなら、朝ごはんを食いそびれたことは原因。 >>300
> 「勉強したとき」の整合性を証明するのには
> 「0点」と「勉強したとき」の因果関係を検証することでそれは成り立つと言っている
そこに因果関係があるならば「勉強しようがしまいが0点」であってはいけないんだよ。
因果関係というのは「原因と結果」という関係性だ。
「0点」という結果に対して「勉強した」が原因であるなら「勉強しない」ときに異なる結果を生じるということだ。
> これで整合性を持つなら
> 「のび太は勉強したとき(は必ず)0点をとる」と提示できる
といっている
> これが私の主張だ
このことから言えるのは「勉強したとき必ず0点だが、勉強しないときも0点かもしれないので、勉強は0点の原因と限らない。たんなる無関係な背景でしかないかもしれない。」
> 「0点をとる原因はどんなものがあるかを検証」を議論したいわけだ
>その一つに「勉強したとき」を選んでいるということとなる
それなら尚更「勉強しないとき」を考えなければならない。
「勉強したとき/したとき」で結果に影響が確認できなければ、それが結果に対する原因だとは言えないんだから。
> これを1に当てれば
>その原因として「司法による動物虐待という判断であるならば」というものを選んだということだ
その原因として「司法による動物虐待という判断であるならば」というものが該当することをいうためには、
「司法による動物虐待という判断で『ない』ならば」という前提に対しては「廃止すべき、といえない」ことをが明らかでなければならないだろ。 >>300
あなたは結果に対する原因を考えたいんだろ?
例えば「ID:arKwhd3kはハゲで、富士山が噴火した」
という文があったとする。
これについてただちに「噴火の原因はID:arKwhd3kのハゲだ」とすることが誤りなのは分かるか?
「ID:arKwhd3kがハゲでもフサフサでも、富士山が噴火した」かもしれないし、その場合はあなたのハゲは噴火に無関係だ。
「隣の家に泥棒が入った、その時あなたは2ちゃんをしていた」。
「泥棒が入った原因はあなたが2ちゃんをしていたときだ」これは事実に整合する。
整合するならあなたは満足だ。
「あなたが2ちゃんをしていた原因で、隣家に泥棒が入ったという結果になった」、これがあなたの論理だ。
正しいだろうか?
あるいは「隣の家に泥棒が入った、その時あなたが2ちゃんでオッカムの剃刀を調べていた」、とするなら「オッカムの剃刀」が原因かもしれない。
あるいは「隣の家に泥棒が入った、その時あなたが全裸で2ちゃんでオッカムの剃刀を調べていた」とする。
すると「泥棒の原因は、全裸だろうか、2ちゃんだろうか、オッカムだろうか」となる。
こうやっていくらでも論点を増やしていける。
このとき「あなたが全裸のとき、隣家に泥棒が入った」も、「あなたがオッカムの剃刀を調べていたとき、隣家に泥棒が入った」も事実と整合するから、「全裸」や「オッカムの剃刀」が泥棒の原因になるか?
仮に事実と整合したとしても、「これらの事象が無くても整合する」と考えられるならば、これらについて考えるのは無駄だろ?
「これらが無くても、同じ結果が生じた」だろう、だったら一々吟味するより先に他の原因を探すべきだ。
本当にその事象について吟味するべきか否かの判断基準は「結果に影響したか否か」だ。現実的には蓋然性の問題になる。つまり「その事象の存在がなければ、結果が起こらなかった」ことの確かさが示されて、初めてそこに吟味する価値が生じるということだ。 >>302
「のび太は勉強したとき0点をとる」
これを検証したとき、0点をとる原因は「勉強したときだけ」だ
「勉強したとき」が原因である
何が悪い?
「私がスイッチをONにしたとき、電灯がつく」
何が悪い? >>306
お前の省こうとする原因は「検証不可能」のようなものだ
因果関係があるかもしれないがあるかどうかの検証ができない、判定ができないといったもの
例えば原因が幽霊、宇宙人といったものでもそうなる
そうなれば根本的に「のび太」を例に出した時点で検証は不可能
例えば「のび太は勉強したときだけ0点をとる」と仮定するのはいいが、「勉強しなかったとき」の検証は不可能
つまり「勉強しなかったときの結論も仮定」としかできない
お前らがやっているのは、
仮定「勉強したとき」+仮定「勉強しなかったとき」=0点をとる、よって仮定「勉強については議論しなくていい」
だ
これはあくまでも仮定
ではどうやって必ず0点をとるを導ける?と聞きたいわけだ >>305
もの事には順序がある
例えば
「私がスイッチをONにしたとき電気がつく」
これを検証するとき
スイッチがONのときに電気がついていれば整合される
これはこれで一つの整合された結論(因果関係)が導かれた
これが初めにある
ここから先は私の主張以外の議論である
先ほどのONの結論を用い
スイッチがOFFのときの検証結果との差異を求める
その結果は「電気がつかない」「電気がつく」のどちらかになると仮定できる
もし「電気がつく」のであればスイッチのONOFFは原因ではないと言えるだろう
と仮定する
では「電気がつく」という検証結果をどうやって得る?
差異の事実をどうやって知る?
このままでは「電気がつくかつかないかどちらともいえない」が結論となる
つまり私の主張である「司法の判断による動物虐待」というものは判例を調べれば基準化できるが、
「それ以外の判断による動物虐待」とは日本人全てを調べなければ基準化できない
これは検証できないものだ
よって私は今ある事実(判例)により結論を導かれた「司法の判断による動物虐待」が整合されればいいと言っているわけだ
もしオッカムのカミソリで省くのであれば複雑である「それ以外の判断による動物虐待」である >>307
> これを検証したとき、0点をとる原因は「勉強したときだけ」だ
え?「勉強しないとき」も0点だったら「勉強したとき『だけ』」にならないんだが(苦笑)
> 「勉強したとき」が原因である
勉強しないときも0点なら原因にならないんだが?
>何が悪い?
アタマ。
> 「私がスイッチをONにしたとき、電灯がつく」
スイッチオンが原因ならオフの時はついてないはず。
> 何が悪い?
アタマ。 >>308
> 因果関係があるかもしれないがあるかどうかの検証ができない、判定ができないといったもの
論理的に言うなら、あるといえないなら、あるとして扱うべきではないんだよ。
あるといえないものをあるとするのは神秘主義、迷信、オカルトの類いだ。そしてそれをし始めたら何でもありになって議論する意味が無くなる。
> お前らがやっているのは、
> 仮定「勉強したとき」+仮定「勉強しなかったとき」=0点をとる、よって仮定「勉強については議論しなくていい」
> だ
違うな。
「勉強について議論するならまずその必要性を示せ」だ。
「『勉強した/しない』に差違があることを示せ」だ。
「こちらは『勉強しなくても0点』とは決めてないが、もしそうなら論ずるだけ無駄だから、『勉強しなくても0点』じゃないことを示せ」だ。
分からんか?何が分からない? >>309
> 「私がスイッチをONにしたとき電気がつく」
> これを検証するとき
> スイッチがONのときに電気がついていれば整合される
「オンにしたとき、電気がついている」と「オンにした『から』、電気がついている」の違いはわかるか?
「オンにしていないときも、ついている」ならオンにしたことは、ついていることと関係ない。
> これはこれで一つの整合された結論(因果関係)が導かれた
結論=因果関係、ではない。「原因と結果の関係性」=因果関係、だ。
ここまでで言えるのは「オンのとき、ついている」だけだ。
「オンにした『から』、ついている」ではないから因果関係(原因と結果の関係性)があるとはいえない。
> もし「電気がつく」のであればスイッチのONOFFは原因ではないと言えるだろう
> と仮定する
仮定ではない。言葉の意味とか概念の定義から、「オフにしても電気がつくなら、オンオフは原因ではない」と定まる。仮定ではなくこの場合は確定だ。
> では「電気がつく」という検証結果をどうやって得る?
「スイッチオンにして電気がつく/スイッチオフにしてもつくかもしれない」それが判らないならスイッチオンが原因といえないまま、というだけのことだ。
> このままでは「電気がつくかつかないかどちらともいえない」が結論となる
ならばスイッチオンが原因とはいえない、というだけのことだ。論理上、そういうことになる。
にもかかわらず、なんとしてでもスイッチオンを原因にしたいから論理の方ををねじ曲げるというなら、それはもはや捏造だ。
原因といえないものを原因にデッチアゲているだけだ。
冤罪という言葉は知っているか? >>309
とりあえず>>306をもう一回読み直してみ?
あなたの論法になぞらえて説明しているから、そこに留意して読み直して、なおかつ分からないところがあったら具体的に分からない部分を引用して質問してくれ。 AがBをCしたときはDだった
CがDの原因だと主張するのであれば、Cでない場合Dに差異が表れるかを検証しなければならない。これだけなら、AがBをCしたときはDだった、ということ以外に何も分からない。
「原因」の語義を理解できていないか、「原因である」と「原因である可能性がある」を混同していると思われる。
検証しない場合、検証できない場合は原因かも知れないし原因でないかも知れない、としか言えない。つまり原因とは言えない。
これを「原因だ」と表現しているようにも見えるのだが、「Aかも知れないしBかも知れない」と「Aだ」では全く意味が異なる。
あと、やはり仮定の意味が理解できていない。 >>312
スイッチオフの時の事実結果を今どうやって提示するんだ?と聞いている
これがわからんのか?
仮定によるその結果は実験結果ではない
つくとつかないのどちらの可能性もあるままから検証は進められない
「どちらもありえる」という状態は頭の中での話であり、事実は必ずどちらかだ
これをどう導く?
今結論が出てることは「オンのとき電気がつく」ということだけだ
私の主張に当てれば
「司法の判断による動物虐待」というものは調べれば基準化できる事実だ
「それ以外の判断による動物虐待」は基準化不可能なものであり頭の中での検証による結論だけしか用意できない
これだけが仮定の息からでない
つまりどちらも定められないこちらこそ省くべき仮定ではないのか?と言っている >>310
勉強したとき「だけ」しか検証しなかったら
勉強したときだけしか0点をとる事実がないだろうが
この時、原因とできるものというのは「勉強した」だ
原因を調べるために「勉強したとき」のことを検証しているものだから「原因」とし扱うのは当たり前だ
だがこれが絶対的な原因だとは初めから言っていない
今事実としてわかっている原因とし扱うものだ
そして「勉強しないときの結果」これは検証不可能
つまり私は今事実としてわかっているものについては結論とできると言っているということだ
私の主張に当てれば
「司法の判断による動物虐待」は判例等による基準化により「廃止すべき」の根拠とできる
といったことだ >今結論が出ていることは「オンのとき電気がつく」ということだけ
この場合は、「スイッチがオンであること」は「電気がつくこと」の原因かも知れないし、原因ではないかも知れない。つまり、原因とは言えない。
>原因とできるものは「勉強した」だ
「勉強した」は原因とできない。
原因かも知れないし、原因ではないかも知れない。
原因を調べる為の検証の対象を「原因」と扱うのは当たり前ではない。原因が分からないから検証しているのではないのか?
対象は「原因かどうかわからないもの」として扱うのが当たり前だよ。
勉強した場合が検証可能で、勉強しなかった場合は検証不可能であれば、勉強したことが原因かどうかは分からないまま。
ID:LHCs5KTIが生きている場合、動物虐待が起こっている。
という文章は真なのだが、動物虐待が起こっている原因はID:LHCs5KTIが生きていることなのかい?
ID:LHCs5KTIが生きている場合以外は検証のしようがない。だから検証しない。つまりID:LHCs5KTIが生きているから動物虐待が起こっている。
がんもクンの主張が正しいと、こういう事になってしまうのだよ? >>315
> スイッチオフの時の事実結果を今どうやって提示するんだ?と聞いている
どうやろうが構わないが、「オフならば、ついていない」が言えないなら「オンが点灯の原因」とはいえないというだけ。
> 「どちらもありえる」という状態は頭の中での話であり、事実は必ずどちらかだ
> これをどう導く?
このままでは事実は不明だ、というだけ。
> 今結論が出てることは「オンのとき電気がつく」ということだけだ
そしてそれは「オン『だから』、電気がつく」とは別の話だ。
「オンの『とき』電気がつく」では原因とはいえない。
日本語を勉強しろ。 >>317
>>318
では話を戻そう
私の主張は
「 動物虐待として証明されたのであれば廃止すべきだという声が出ても仕方がない」だ
その証明された原因(理由)の一つとして「司法による判断」とした
それに対しお前らは「証明されていない場合」との差異が必要であり、それを提示しないのであれば「司法による判断で証明された事例」は原因(理由)とできないとした
そして私は「証明されていない場合」を検証は不可能だとした
その理由は全ての人間に対しての証明されていない場合を検証する必要が生じるからだ
それは「証明された場合」も同じ事だ
私は「司法による判断」の一つを上げているがこれも全ての人間に対し証明された場合を検証する必要が生じる
つまり私はこの「司法の判断による動物虐待」は一つの実証された理由(原因)として扱っても今の時点では何ら問題ないとしたが
これをお前らは理由(原因)とできないとした
ここまでが今までのやり取りだ
つまりお前らが言いたい事とは
@動物虐待と証明された理由の一つ「司法による判断」は理由とできない
Aそれを理由とするからには「動物虐待として証明されていない場合」を全て検証する必要がある
Bそれが出来ないのであれば「動物虐待と証明されたとはいえないもの」としかならない
Cよって証明されたされていないは意味がないものであるからオッカムのカミソリにより省くことができる
ということだ
つまりお前らは「動物虐待として廃止すべきだという声が出ても仕方がない」ということでいいということ
お前らは>>1に賛同している人間ということでいいな? >>319
がんもクンの主張は
AであればBだ
なんだろ?「A以外」であれば「Bだ以外」なのかと問われているんだが、質問の内容は理解できてる?
@
A「動物虐待として証明された」
B「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」
A
A「司法の判断で動物虐待として証明された」
B「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」
がんもクンは@でなくAだと言いたいと言ってるのかな?
まあ@でもAでも構わないんだけど、Bの理由がAであれば、「AならばB」という文章で良いのだけど、
Bの理由がAでないのなら、Aに意味がなく紛らわしいだけだから削除して「B」と主張してくれということだよ。
Aの中の何かに不備があるとか無いとかは一度も論じられていないよ?
「ここまでが今までのやり取り」も「つまりお前らが言いたい事とは」もまるで理解できていないように感じるのだが?
話を戻すのであれば、
「AならばB」なのか、「Aかどうかに関わらずB」なのかを確定させればいいんじゃないの。 >>320
私は初めからAを主張しているが?
つまりお前らは「動物虐待なので廃止すべき」の原因(理由、根拠)として私が示した「司法による判断による証明」は無駄で意味がないとし、省けと言う
ではどんな原因であるならば提示していいか示してみろ
というよりお前らは>>1と同じ「動物虐待なので廃止すべき」という主張だったな
これこそオッカムのカミソリにより不必要で意味のないものを省いた理想的な命題だからな >>321
>お前らは「動物虐待なので廃止すべき」の原因(理由、根拠)として私が示した「司法による判断による証明」は無駄で意味がないとし、省けと言う
AならばB
原因ならば結果
という文章の構造が理解できていないみたいよ?
「廃止すべき」がB
その原因・理由がAの「動物虐待」なんだが、ここまでの意味はわかる?
A「司法の判断で動物虐待として証明された」
B「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」
Aの中の話にまで進んでいないの。
Aじゃない場合はBなの?Bじゃないの?何なの?
で、Aじゃない場合は「分からない」が回答なんじゃないの?ならば、AはBの理由とは言えないよね。これは分かるか?
であるならばAを省いて主張しなよと言ってるんだが。
AはBの理由じゃないんだから、「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」と言えば済むんだがどういう理由でAの場合という場合分けが必要なの?
>どんな原因であるならば提示していいか示してみろ
Bの原因・理由として提示するのにふさわしいAとは
AならばBだ
A以外でもBだ
に該当しないAだよ。
理解できないなら、どこが理解できないかを示してくれると助かるんだが。 >>322
お前らは「動物虐待なので廃止すべき」でいいんだな?と聞いているんだが? >>323
ん?聞いているんだが?と言われても、初めて聞かれたんだけど。
一応問いに回答しておくと、俺は「競馬、闘牛、闘犬は動物虐待なので廃止すべき」とは思っていないよ。
「お前ら」に対しての問いなので、本来「俺たちは」としないと回答にはならないんだが、俺以外の誰かがどう考えているのかは分からないわ。
で、会話が成立しているのかを確認したいのだけど>>322の意味は理解できたの? >>324
お前はまだわかってないな
お前らが言っているのは
「動物虐待として証明されない場合」を提示しろだ
こんなものの全てをどう提示するんだ?という話だ
勿論「動物虐待として証明された場合」も同じだ
これを検証するには「全ての証明された場合」を提示する必要がある
これの全てを提示するのは不可能だと言っている
私は証明された場合の一つとして「司法の判断」を上げたがこれは意味がないという
つまり動物虐待として証明すること、しないことはこの命題には意味がないから省けとお前らは言いたいわけだ
お前らが求めている答えは「動物虐待として廃止すべき」となる
1の形と同じだ
つまりこれでいいということだろ?
違うのであるなら「どんな動物虐待なら廃止すべきとならない」となるか提示しろ
Aは無しだ具体的に提示しろ >>325
>お前らが言っているのは
>「動物虐待として証明されない場合」を提示しろだ
「お前ら」が何を指しているのか知らないが、俺は「動物虐待として証明されない場合」を提示しろとは要求していないな。
動物虐待として証明された場合とされていない場合では「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」という結論に違いがあるのかを聞いているんだが。
>>322の意味が理解できていれば理解できるはずなんだけど、どこが分からないの? >>321
> 私は初めからAを主張しているが?
A
A「司法の判断で動物虐待として証明された」
B「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」
を主張しているということだが、
> つまりお前らは「動物虐待なので廃止すべき」の原因(理由、根拠)として私が示した「司法による判断による証明」は無駄で意味がないとし、省けと言う
これによると
【[「司法が動物虐待と判断した」ならば「動物虐待である」]ならば[廃止すべきだという声が出ても仕方がない]】という二重構造の文ということでいいのだろうか?
それとも上記のAにあるような【「司法の判断で動物虐待と証明された」ならば「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」】という単純命題なのだろうか?
> ではどんな原因であるならば提示していいか示してみろ
原因というのは結果が起因する事象のことだから、何であれ「P⇒Q」かつ「¬P⇒¬Q」を満たすような場合のPがQの原因となる。
> というよりお前らは>>1と同じ「動物虐待なので廃止すべき」という主張だったな
これは違うだろう。
あなたの主張にオッカムの剃刀を当てた結果だから、あなたの主張だ。
・あなたの主張について「司法の判断で動物虐待と証明された」という前件が不成立のとき、つまり
「司法が動物虐待といって"いない"場合」に、後件「廃止すべきだという声が出ても仕方がない"とはならない"」ならば、
オッカムの剃刀は適用できず、「司法の判断云々」が「仕方ない」の原因といえるから、
あなたの主張は「司法の判断で動物虐待と証明された、ならば、廃止すべきだという声が出ても仕方がない」のままだ。・・・a
・しかし前件が不成立のときにも後件「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」が成立してしまうなら、前件はオッカムの剃刀で省くことができるので、
あなたの主張は後件「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」となる。この場合、前件は存在しないので「(何であれ無条件に)、廃止すべきだという声が出ても仕方がない」となる。・・・b
繰り返すが、a・bいずれにせよ、これらはあなたの主張だ。今はまだあなたの主張自体がaなのかbなのかを確認している段階で、あなたの主張に対する真偽の判断についてはこちらはまだ述べていない。
bについては>>269で説明済みだ。再び掲示しておく。
【ある事柄について、それが愛護法という基準で動物虐待と裁かれたならば、廃止すべきという声が上がっても仕方ない】
要するにこれがあなたの主張だ。
今「愛護法という基準で動物虐待と裁かれたならば」という場合分けに意味がないとすれば、オッカムの剃刀により命題は【ある事柄について、廃止すべきという声が上がっても仕方ない】というものになる。
これが真であるなら、【ある事柄について、廃止すべきという声が上がっても仕方ない、基準も理由も何も要らない】ということになる。(基準も理由も何もなしに命題が成立するのだから)
まあ、確かにどんな事に対しても「廃止すべき」と言うのが人の勝手である以上、理由や根拠が無くてもこのような声が上がるということは仕方ないかもしれない。
だとすると例えば「理由も何もなしに『畜産は廃止すべき』という声が上がっても仕方ない」ということになる。
同様に「理由も何もなしに『菜食主義は廃止すべき』という声が上がっても仕方ない」し「理由も何もなしに『動物愛護は廃止すべき』という声が上がっても仕方ない」となる。
これでは結局あなたの主張は「人の口に戸は立てられぬ」というだけのことになるわけだが、それで満足だ、ということだね。 >>323
> お前らは「動物虐待なので廃止すべき」でいいんだな?と聞いているんだが?
いやいやwww
聞いているのはこちらなんだが?
>>327に示したように、
これはあなたの主張について、a・bいずれであるかを問うている、そのbの内容だ。あなたが主張しているかもしれない内容で、こちらがそれをあなたに聞いている。
a・[前件「司法の判断云々の場合」に限って後件「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」が成立する場合]ならば、
すなわち[前件が「司法の判断云々"でない場合"」には後件が「廃止すべきだという声が出ても仕方がない"ではない"」]ならば、
この場合にはオッカムの剃刀は適用できず、あなたの主張はスリム化できないので【司法の判断云々ならば、廃止すべきだという声が出ても仕方がない】のままだ。
b・[前件が「司法の判断云々"でない場合"」にも後件「廃止すべきだという声が出ても仕方がない」が成立してしまう]ならば、
この場合にはあなたの主張はオッカムの剃刀でスリム化すると【(何であれ無条件に)廃止すべきだという声が出ても仕方がない】となってしまう、という話で、
あくまであなたが主張している内容についての試行だ。
あなたが主張しているのはaかbかとこちらが聞いている。
こちらは、あなたの主張がaならばaについて論じるし、bならばbについて論じる。あなたの主張なんだから、その内容がa・bいずれであるかをあなたが明確にしてくれ、と言っている。 >>325
> お前らが言っているのは
> 「動物虐待として証明されない場合」を提示しろだ
違うな。
「司法の判断云々のとき、廃止すべきだという声が出ても仕方がない」というのがあなたの主張だが、
「司法の判断云々の場合"ならば"、廃止すべきだという声が出ても仕方がない」なのか、
「司法の判断云々"でない"場合、であっても、廃止すべきだという声が出ても仕方がない」なのか、と聞いている。
問いは≪動物虐待として証明されない場合」を提示しろ≫ではなく、
≪[「司法の判断云々"でない"場合」"も"「仕方ない」]なのか[「司法の判断云々"でない"場合」は「仕方ない"ではない"」なのか]≫だ。 >>329
理解力が乏しい
司法の判断以外で「廃止すべきという声が出ても仕方がない」となるケースの全てをどうやって提示するんだ?
それができるのであれば、それができる不変的な根拠を上げてみろ
司法の判断以外というものは「判断していないもの」でしかないだけだ
もしかしたらその中に将来的に動物虐待として判断されるものがないとはいえない
つまり今現在動物虐待として判断されているものを「司法により判断され動物虐待」として扱うしかできない
「司法の判断」とはそういうものだ
だから私は司法の判断されたものだけを整合とし、それは「意味があるもの(今後の判断の基準となる)」とし命題に「提示」することは合理だとしている訳だ
それと根本的に「私の主張」に対し何を提示するかは「私の考え方による判断で提示すること」は何ら問題ないはずだ
「省く判断」も私がすることが当たり前だ
お前らが私の主張を勝手に省く筋はない
例え私の主張が「神の判断により動物虐待としたものは廃止すべき」としてもお前らが「神」を省く筋はない
「省け!」と押し付けるのも筋違いだ
私は「司法の判断による動物虐待については廃止すべきという声が出ても仕方がない」と思っている
これに対しお前らの思想を押し付けるのは筋違いだ >>330
> 司法の判断以外で「廃止すべきという声が出ても仕方がない」となるケースの全てをどうやって提示するんだ?
いつ誰がどこでそんなことを要求したんだ?
こちらの問いは≪動物虐待として証明されない場合」を提示しろ≫ではなく、
≪[「司法の判断云々"でない"場合」"も"「仕方ない」]なのか[「司法の判断云々"でない"場合」は「仕方ない"ではない"」なのか]≫だ。
「司法の判断云々のとき、廃止すべきだという声が出ても仕方がない」というのがあなたの主張だが、
「司法の判断云々の場合"ならば"、廃止すべきだという声が出ても仕方がない」なのか、
「司法の判断云々"でない"場合、であっても、廃止すべきだという声が出ても仕方がない」なのか、と聞いている。 >>331
まだ理解できないか
ならばもでないも、全ての司法の判断以外の検証が必要になるからそう言っているだろ
その検証をどうやるんだ?
教えてくれ
司法の判断以外をどうやって司法に確認するんだ?
やってくれ
それができれば
ならばかでないか言ってやる アニマルポリス的な経済動物の福祉を管理する独立した機関って必要だよな
任意団体の愛護団体がやいのやいの言ったって言う事聞くはずない >>332
> ならばもでないも、全ての司法の判断以外の検証が必要になるからそう言っているだろ
ん?
「司法の判断で動物虐待と証明された」ということを「廃止すべきだという声が上がっても仕方ない」という結果に対する原因として挙げたのはあなただろ?
これはつまり、「『司法の判断で動物虐待と証明された"でない"』ならば『廃止すべきだという声が上がっても仕方ない"でない"』」といえるとあなたが主張したということだ。
(これはのび太の例で散々説明したように、そうでなければ「司法の判断云々」を結果に対する原因に還元できないんだから。)
あなたが主張したことなんだから、説明責任はあなたに生じているはずだろう。なぜこちらに説明責任を転嫁する?
あなたが説明責任を果たせないならそれはあなたの問題で、あなたが主張を取り下げる筋合いの話だろう?なぜ私に説明を求めるんだ? 何処の国の司法で動物虐待が証明されたの?
やったね!
廃止に拍車がかかるね >>336
まだ理解できないのか?
「司法が判断により、 動物虐待として証明されたものは廃止すべきだという声が出ても仕方がない」
この他である「司法の判断以外」を検証することは論外である(検証不可能)である
故に私は「司法の判断による動物虐待」のみを整合とし提示している
これだけを散々言っている
これが理由(根拠)であるなら社会的に廃止すべきという声が出ても仕方がないという人間が多数現れるだろう
ただこれだけの話だ
お前らがオッカムのカミソリを使用したくて使用したくて仕方がないのはわかったが全くの筋違いだ
他所でやれ
私は私のその主張を私の考えにより提示している
「司法の判断による動物虐待」というワードは私の主張には必ず必要だ >>338
> この他である「司法の判断以外」を検証することは論外である(検証不可能)である
ということはあなたは検証不可能なことを主張している、ということになるわけだが。そういうのを「でまかせ」と言うんだが。
> 故に私は「司法の判断による動物虐待」のみを整合とし提示している
これが整合することは言えても、これが原因・理由になるというのは「でまかせ」だということだ。「それ以外の場合」について「結果が異なる」と言えないならば、それが原因・理由になるというのは「でまかせ」だ。
> これが理由(根拠)であるなら社会的に廃止すべきという声が出ても仕方がないという人間が多数現れるだろう
だからそれは「理由」であるとは言えないんだよ。
ただこれだけの話だ
> 私は私のその主張を私の考えにより提示している
あなたはあなたのデタラメな主張をでまかせで提示しているだけだ。
> 「司法の判断による動物虐待」というワードは私の主張には必ず必要だ
だがそれは理由とは言えないんだよwww >>339
では
司法の判断による犯罪として扱われている事例を取り上げることは検証不可能であり「でまかせ」となり、
その犯罪とし扱われている事例を理由にその犯人に対し「やめろ!」と声を出すことは「デタラメ」だということだな? >>340
> 司法の判断による犯罪として扱われている事例を取り上げることは検証不可能であり「でまかせ」となり、
そんなことは言っていないなwww
> その犯罪とし扱われている事例を理由にその犯人に対し「やめろ!」と声を出すことは「デタラメ」だということだな?
そんなことも言っていないなwww
「司法が犯罪だと判断した」であっても「司法が犯罪だと判断していない」であっても「『やめろ』という」ならば、「『司法が犯罪だと判断したかどうか』を論ずる意味がない」と言っている。
仮に、A【「『司法が犯罪だと判断した場合』という条件」が「『やめろ、と言う』という結果をもたらす原因」である】ならば、
B【「『司法が犯罪だと判断していない場合』という条件」は「『やめろ、と言う』という結果をもたらさない」】でなければならないはずだ、と言っているんだが。
そしてこのことは、C【「『司法が犯罪だと判断した場合』という条件かどうか」の差違が、「『やめろ、と言う』という結果をもたらすかどうか」に"差違"を生じなければならない】ということだ。
そうでなければ「『司法が犯罪だと判断した場合』という条件が「『やめろ、と言う』という結果をもたらす理由」とはいえない、と言っている。
つまり、「『司法が犯罪だと判断した場合』という条件が結果に対する原因である」と主張する者は「Cにおいて"差違"が生じる」ことの立証責任を負う、ということだ。
そして立証責任を履行できない主張は「でまかせ」だ、と言っている。
そして「『Cにおいて"差違"が生じる』と言えない」ならば、「『司法が犯罪だと判断したかどうか』を論ずる意味がない」 と言っている。 動物虐待は止めるべきだよなwww
下手したら捕まっちまうからなwww >>342
動物虐待にならない範囲のことなら捕まらないからやめる必要ない、と。 >>346
ということは愛護法を何が動物虐待にあたるかという判断基準にすると言っていた人の主張は却下か
では何を基準にするのだろうか 闘犬やってても食わなきゃベジタリアンでいいんだよね 闘犬の方が酷い、意味のない虐待だし
ネズミ駆除は一応害獣だから、意味のある虐殺(勿論ネズミ駆除にも反対だけど) >>354
害獣ねえ・・・それは人間の都合でそう決めてるだけだよね?
つまり害獣だから殺していいというのは人間の都合で殺していいということに一般化できるんだが。 >>355
ネズミの駆除にも反対って書いてあるだろ
ネズミだけじゃなくて、豚の屠殺にも私は反対で食べないけど、食事のためという意味では、無意味な闘犬に比べれば有意味といえるでしょう >>356
無意味というのはあなたにとって無意味という意味でしょ? >>356
何で肉食が有意味なんだ?お前は本当にベジタリアンか? 特定愛護動物
バカベジ基準で愛護される動物か駆除されても平気な動物か区別されます
バカベジ基準では魚は動物に入りません >>359
ベジタリアンだよ
あんまり有意味って言葉使いたくなかっけど、肉食野郎がネズミ駆除と闘犬どっちが酷いから訊いたから
どれも残酷だけど、不要な闘犬の方が悪質かなってことで言っただけ
勿論豚の屠殺にも反対だよ >>361
不要かどうかの基準はあなたの主観でしょ?要するに自分に必要かどうかという自己都合でしょ?
別にいいけどID変わってるね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています