>>712
>>714訂正
無機物にも心があるとすると、岩は無機物だが心がある、では岩が欠けてできた石ころも無機物だがそれにも心があるのか、
あるとしたら石ころは元の岩の心を引き継いでいるのか、つまり自己同一性を保っているのか、それとも石ころの心として新たに心が生まれるのか、

石ころに新しい心が生まれるとしたら、その場合大きい方の岩は元の岩の自己同一性を保っているのか、それとも元より小さくなった岩として新しい心が生じているのか
自己同一性を保っているとすると岩が細分化されて石になっても砂になっても自己同一性は保たれることになる
では砂が泥土になってもそこに含まれる微細な砂粒に岩の心があることになる
そしてその泥土で壺を作ってもそこに岩の心があることになる

今ここに無機物の土の壺があるとして、その壺は心を持っているとする
壺を微細なレベルまで粉砕してもその微細な破片には壺の心があるとする
さてこの壺が先の泥土から作られたとして、そのうちのある微細な破片は元の岩の砂粒だったとする
この時この微細な破片は岩なのか壺なのか

岩からずっと引き継いできた心が一時的に壺の構成部分だったと考えると、壺の心というのは様々な原料の心の集合体だったということで、厳密には壺という主体の心ではなかったことになる
ということは壺の心という単独のものはなかったことになる

ところが元の岩について考えると、それもまた微細な粒子の集合体だから岩の心というのも実はなかったことになり、あったのは微細な粒子の心だったことになる
微細な粒子を突き詰めていけば分子に至るわけだが、すると心は分子にあるのか

鉄板という無機物があるとする
鉄板の一部が錆びたとき、鉄板を構成する鉄の分子は酸化鉄の分子になったことになる
このとき心は鉄分子から酸化鉄分子に引き継がれるのか引き継がれないのか
引き継がれないとすると、同じ鉄板を構成するなかに鉄分子と酸化鉄分子が混在するのだから、一部錆びた鉄板の心とは鉄分子の心と酸化鉄分子の心との集合体ということになる
このとき心は分子にまでしか還元されないとすれば
心は分子にはあるが原子にはない、ということになる

引き継がれるとすると、酸化鉄分子にある鉄の原子に心があることになるが、他方で同様に酸素原子があるのだから、酸化鉄分子の心とは酸素原子の心と鉄原子の心の集合体ということになる

心は分子にあり、分子の形作る集合体にあるのではないと考えると、有機物ではどうなるか
当然、心は例えば人間の体を構成する分子にあるのであって集合体としての人間に心があるのではないことになる
また生き物が生きていようが死んでいようが、それを構成していた分子がその分子として存在するうちは分子の心があるということになる
心は原子にあると考えると、これは人間を構成していた分子を構成していた原子に心が存在することになり人間という集合体に心があるのではないことになる
そして人間の生死によらず、人間を構成していた原子が存在するうちは原子の心があるということになる


あるいは心とは個々の分子なり原子なりにあるのではなく、岩や壺という何らかの集合体を構成した時にその全体に生じるのだろうか
とすると、岩の一部である石ころが欠けた時点で元の岩の心は消滅するのだろうか

だとすると人間の髪の毛が抜け落ちた場合、人間の心の自己同一性は消滅するのだろうか
あるいは人間は代謝により恒に体の構成要素物を新しいものに取り替えていくわけだが、すると人間に自己同一性は無いことになるのだろうか

有機物に心があると考えると人の心というものは実はなかったことになるか、あるいは人の心は自己同一性を持たないということになる