ダディ宮崎監督自身は「天空の城ラピュタ」を失敗作として嫌っている #あまり知られていない事実を晒せ

てゆーか、ダディ宮崎監督じゃなくてもラピュタは「失敗作として観える」のが創作者の常識。
ボーイミーツガールから始まる物語の「主人公はパズー」つまり構造上ジュブナイルとして
成立させないといけないのに設定から価値観までことごとくバランスが不自然なまま崩れていく。

ジュブナイルつまり冒険少年物語になっていない。

価値観としてまず炭鉱夫っぽい仕事をして肉団子一個オマケして貰って喜ぶ少年に両親は居ないのにどうやってあれ程沢山の鳩を飼えるのか?
シータが情報部に引き取られた際に渡された金貨を捨てられないのに物語の山場がクライマックスではなくシータ救出のシーンになっていて
本来一番重要なモチベーションである父が発見したという天空の城が存在していた事が単なる通過点。

更に冒険物語の王道である「主人公の成長と活躍で困難を克服してカタルシスを得なければならない」のに
事実上の最終決定は「パズーではなくシータが既に腹を括っているし、パズーの選択も同様に滅びの呪文を唱えるスキヤキハラキリバンザイアタック」。

最も価値観が壊れているのが象徴的なのはラピュタに着いた兵士達が財宝を持ち出すという至極当然の行動に対して
『酷い事するなぁ』とシータに聞こえる言い方をしてラストにドーラ達がくすねた財宝には微笑むデタラメ加減。
細かい所を挙げるとキリが無いのでこの程度で。

ついでに言っとくと、ラピュタの失敗が無かったら「となりのトトロの大成功は無かった」ので、プラマイで言うとややプラス。

http://togetter.com/li/305875