虐待派と愛で派が同一作品で衝突する理由は解釈の違いではなく
相手の解釈を許さないところにあるだろう
それが作品の内容に触れながら異論として発するなら
むしろ互いに作品をより深く理解し楽しめることに繋がる可能性もあるが