>>352

おとぎ話や絵本を読んで善悪の判断をつけているこどももSWを見ている。
ブリクエルのように、表向き(子供の把握力)は勧善懲悪で、大人向けに裏ストーリーを入れる構造だったけどな。

善悪の境界は、倫理の問題で「善」を理解しないと、

>肉を食べれば動物を殺すから人間は罪深い存在で”悪”だけど
我々が生きる上で仮面を被っていること

>世の中には生きるのに最低限のものに飽き足らず、欲望のまま生きる者もいる
欲望のまま生きる者は、その飽き足らなさが目立つと、行きすぎがあれば逮捕や密告や告訴などで社会的に罰を受ける。

我々は食べなければ生きていけない罪深い存在なのだけど、
生きるための最小限は殺しであっても罪と感じない仮面を被るが、
さまざまな煩悩(生きるのに最低限以上の欲望)を抱えて生きている。

そのような無明の中では、いろいろな因果関係を知って良いやりかたを見出すのが叡智で、
叡智を持つ者が無明の闇を照らす光(ルークで言うと校長で光を教える)となる。
愚かなものは闇にとらわれて悩む地獄(学校を失い、共和国を失い、甥も行き違える)に捉われる。

愚かで闇に捉われる地獄に行く(学校・共和国・親戚を失ない一人で死ぬ)より、
叡智ある行動でより良く(=イデア=善)生き、叡智を教えるルークになる映画の方が、ルークはわかりやすかった。

愚かになるより、賢い存在になって欲しいから。

ライアンは、ルークもとっ散らかって教職にあるまじき未調査の寝込み襲いをして
悪の方のスノークもうっかり殺されるし、社会でのし上がれた者たちにしては危険予知がなく、
愚か者のしくじりで自滅するストーリーを描くが、愚かすぎて批判を受けるのだよ。

もともと闇なのだから、光を堕とすことは、因果関係を無視して危険を予知しない愚行になる。

大人と違い子供は、愚かさを描いても反面教師にするにしても、小難しすぎる。