叔父さんも、オビワンおじさんも、ヨーダもいて、その時々の父性の擁護下で英雄として生長して、
対面する宿敵ベイダーが不在の父であるドラマチックな物語を根幹にした。
ルークとベイダーの戦いにより、>>234->>237の指摘のように、
観客の心中で「父子が相克しつつ、息子が父を乗り越える」物語が出来上がったのだが、
Ep7-Ep8では、観客が理解していた物語に辻褄を合わせなかった。
その理由により、>>232の指摘の通り、
>EP6まで観てきたファンが思ってた確立した認識と
やっぱり旧三部キャラのイメージが違うんだろうねえ ルークの様に
だからみんなそういう行動する〜?って感じになるんだろうね
が観客の認識とった。
更にEp7-8の脚本には嫌味がある。
同じ「父を乗り越える」という主題を扱うが、
Ep6までは「主人公が擁護者に教えられて成長し、父世代を乗り越えていく」良い物語だった
シークエルは「堕落した(させられた)擁護者の下で、精神的に病む主人公の父殺し」により、
父性による擁護を否定し、「苦労もせずフォース取得して父世代に取り替わる」病的な物語になった。
どういうセンスでテーマ設定したのか?
その発端の物語である、Ep7のJJの「テーマ設定の悪さ」が最大の問題である。
「父子の成長の物語」を「父殺し物語」に改悪しなくても、
他にベンが兄弟で相克するとか、幼な友達との反目とかの、他のテーマにできたよね。