いろんな見方や考え方、価値観はあると思うが、
ただより高いものはないというのもまた真理だし、
何かを得るためには何かを差し出してスペースをつくらなければならず、
それをやらないとまさに後々に代償を支払わされることになる。
それはリーマンが言うような魔物が真の姿を現して、ということではなく、
エネルギー保存の法則としてそういう摂理が働いているという意味でね。

布施や寄付というのは本来そのスペースを意図的に作り出すためのもので
クリスマスのプレゼント等も本来は自分が今晩食べるべき夕食を食べずに
それを食べ物に困っている人に与えるというのが原点だった。
少しの痛みと我慢を最初にこちら側から差し出すんだよ。

寄付や布施のポイントはその額を出すと自分の楽しみが一つ消えてしまう、
だけどそれを我慢して自分以外の人のために使ってもらうというもので
自分の生活が逼迫させられるような額を布施するのは間違っているし、
逆に寄付したり布施したりしてもその人にとってはその額では痛くも痒くもない、
そんな程度のものではスペースが空くことにはならないわけね。

だからその辺の仕組みをわかっている能力者は、
今のあなたにとって少し懐が痛む程度のお金を出しなさい、
とその人の経済状態に応じて敢えて一定の額のお金を要求する人もいる。
そうしないで無償で何かを提供しても後で思わぬかたちでその代償を支払わされることになるからね。

ただ表面的には単なるスピ商売人との違いがわからないからね。
そこらへんが実に難しいところではある。

お金を取るか取らないかという表層的な行為だけで判断はできないわけで
そういった仕組みについてリーマンはわかってないなといつも思う。