般若心経なんかは明晰夢だか体外離脱で観自在菩薩か直接聞いたと言ってたな。
もちろん大宮司朗氏の八幡書店から出ている本や、
国書刊行会の西洋魔術本や未邦訳のゴールデンドーン本もソースになっているのも間違いない。
しかし清水気功の真骨頂はバラバラの情報や技法を体系立てて曼荼羅様に配置しつつそれぞれに最適な役割を与えているところにある。
別々のセミナーで語られていたことがこんな具合に結びついているのか、
という発見が出来るにはそれなりのカンやセンスも必要だ。
コンテクストよりもコンテンツに目を奪われる傾向にある「一般大衆」では如何ともし難い。
だから本を読み賢くならなければ本質は掴めない。
本質を見抜けないから表層的な現象面だけを見て安直な決めつけを繰り返しチャンスを自ら排除していく。
大衆とはいつの時代もそういうものだ。