>>808
否定があるから肯定がある

苦しいときがあるからこそ幸せな時がある

いつも幸せだったら、幸せじたいを認識できない

例えば日本人は蛇口をひねったら水がでてくるありがたさを認識できません

アフリカの貧しい国に行ったとき、はじめて日本の水道システムのありがたさを実感する

たしかにこの発想はいっけん正当性があるかもしれません

だったら私はあなたに問います

あなたは自分の右腕を切断できますか?

不便になりますし毎日が苦しいですが、あなたの理論によると、不便だから楽しくするんですよね?

右腕を失った不便さを実感することで、あなたはその分幸せを実感できます

でもあなたはできませんよね?私もできません 右腕を失うなんて嫌です

この、幸せになるには不幸にならなければならない、肯定があるには否定なければならないという理論

あなたはこの恐ろしさに気づいてないと思います