真面目に霊性進化を心がけ、努力している人が、このスレッドを閲覧・確認していたとしても極めて少数だと思う
しかし何事も問題提起や参考意見などを出さなければ、何も変化は起きない。だからあえて学びのための火付け役になろうと思う

まずはこれを熟読玩味してもらいたい
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_information/spinfo2022/spinfo220129-041.htm

突っ込みどころが満載で、こちらも暇なわけじゃないから全てを批評することは差し控える
肯定する人も否定する人も歓迎する人も懐疑的な人もじっくり考えてもらいたい

その中で自分のまとめ的な意見はこうだ

いつからスピリチュアリズムは教祖宗教になったのか?
仮にナザレのイエスが再臨したとする。で、それが何?
再臨して我々の学びや霊性進化に何の関係があるのか?
大霊と摂理。それ以外に何を今さらありがたがろうと?神様仏様にすがろうとでも?

笑止千万!

我々は誰かに頼ること無く、自分で良心と理性を用いて考え学びつつ、実生活で種を蒔き自分で収穫する摂理を学んだ
私生活においても、学業や仕事においても、様々なシーンで人間関係の中で切磋琢磨し、出来る限り最善の方法で
役に立てるよう努め、可能であれば何らかのボランティアに携わり、微力を尽くし、個人的な問題もそれがいかに苦しかろうと
あらん限りの智慧を尽くし、自助努力し、他者と協力し合えるのであればお互いに助け合い、学び合い、思いやる

我が師は、常に守護・指導される霊の良心を通じた導きとして存在する。私個人を最も良く知る生涯を通じてのアドバイザーである
これ以上優れた師は存在しない。その師は誰にでも万人に付き添っている。いつでもどんな時でも、真摯に望めば良心を通じ
必ず回答がある。その師に頼らずして誰に頼ろうというのか

教祖宗教は阿片である。苦しい現実から逃げてかりそめの偉大な存在にその苦労を全部丸投げして楽になりたいという、人の弱みにつけ込む
スピリチュアリズムと名付けられた「至高存在の法」「霊的摂理」は、そのような幼児的精神を否定し、霊的にも成人になることを教えてくれている


彼らは、どうやら未熟霊にもてあそばれていることに気付いてないらしい。そんなにファンタジー世界で遊びたいのだろうか?厨二病か・・・
ヘタに霊的世界に関わった(碌にさにわをしていない)者の末路なのか・・・あまりにも情けない