借金の状況下で寄付の実践が出来るのはすごい事だと思います。
ただ、この状況下で寄付に集中する行為自体は、一点集中による盲目を生みやすいかもしれません。
僕自身もやってみた事がありますが、結果としては、寄付以外の面に目を向ける方が良かったと結論づけています。
(その際に必要だったのは、瞑想などで、現在の自我による行動を抑える事だったと思っています)

それで、カルマの法則による保護を試すつもりで、僕もとことんやってみたのですが、途中で気が付いた事があります。
それは【親の愛を試す子供の行為は親から見てどう観えるか?】ということです。

親(神)による尻ぬぐいを前提に生きる事は、果たして立派な成長に繋がるかというと、そうではないように思います。
おそらくは、”自身にとって求められている事”に目を向け、改善を目指す方がより良い成長に繋がると僕は考えています。
この場合ですと、借金返済に向けて出費を抑える方が精神成長にあたって良いと思います。
49様の場合ですと、苦しい状況下で寄付できる精神をお持ちである事がすでに証明されておりますので、これ以上の実践で得るものは少ないかもしれません。
また、おそらく、49様の場合ですと、”借金返済を諦め自暴自棄になっているゆえ”という背景(動機)があるため、その寄付の効力はそこまで上がらないように思います。
良い側面もあると思いますが、同時に精神の盲点も大きくなっていく危険性もあるでしょう。

僕の場合では、まず瞑想によって現在の自我による行動を抑制する事が大切だったと思いますが、
49様の場合でも、まずは座って目を瞑り、極力何もしない時間を多く取るのが良いかもしれません。
これは一点集中により視野狭窄になっていた部分を、より見えやすくするために有益だと思います。

自己破産などにより借金を帳消しにする事になるかもしれませんが、自己破産の判断は極力最後まで保留にしておいた方が長期的に良い結果になるかもしれませんね。
借金の返済に少しずつ充てる事は、今の寄付以上の効果をもたらす可能性があります。