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神は命
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0001名無しヒーリング垢版2019/08/18(日) 04:47:48.42ID:yi6NbThM
神はハートの位置にいる。
そこは心臓のある場所。
命がある場所。
魂はそこにある。
真我はそこにある。
そこは体の中心に位置する。
心がある場所。
神に祈るとき心で祈るのはそこに神がいるから。
一人一人に神がいる。
それが内なる神という意味。
人は神なんだ。
なぜなら命があるから。
0028名無しヒーリング垢版2019/09/12(木) 19:14:04.57ID:PTte3ryM
鼻毛おいちい(^q^)
0029名無しヒーリング垢版2019/09/12(木) 19:15:12.38ID:PTte3ryM
鼻毛おいちい(^q^)
0030名無しヒーリング垢版2019/09/12(木) 19:16:03.90ID:PTte3ryM
鼻毛おいちい(^q^)
0031名無しヒーリング垢版2019/09/13(金) 00:23:29.77ID:29HHqy5G
神の意識の中に世界がある。
神の意識の中に宇宙がある。
神の意識の中に君がいると思うだろう?
そうじゃない。
神の意識そのものが君なのだ。
これが真理。
0032名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 01:44:59.65ID:kL3ZY0f8
単なる言葉遊びだよ
まだわからないの?
0033パオー垢版2019/09/14(土) 08:35:43.20ID:lL+XkSmK
人は自己にもっとも近いものを、最も愛し渇望する。
 最大は自己愛、そして神からの愛と自己の超能力(才能)

 それが実現できないと知って初めて、自己と神外のものに意識が向かうことになる
0034名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 09:15:33.36ID:j8T3yk3J
>>32
言葉遊びではない。
これこそ真理なのだ。
わたしという神の意識の中に宇宙すべてが存在する。
君はまだ幼い頃自分が中心に世界が動いてると思ってただろう?
それは真実なのだ。
君という意識感覚は神の意識感覚とまったく同じもの。
君中心に宇宙が回っているどころか、宇宙含めて君しか存在していないんだ。
君以外存在しないんだ。
これが真理だ。しかも究極の。
この真理を理解できるには、悟り開いて意識が肉体から抜け出て宇宙意識と一つになる
覚者がみな体験してきたサマディーを体験しなければ理解できない。
それを体験すると全てがわかる。
わたしは神だった。わたししかいなかった。
わたしの中に宇宙はあった。
このことが一瞬で理解できる。

これが理解できるまで探求すべきである。
この理解が最終地点だ。ここに到達してようやく探求は終焉する。
死後は普通の人が行くような二元性の世界の残る天国を通り抜けて、
神の意識に溶け込む。
そこには世界も姿もない。神の意識のみがあるだけである。
その意識がわたしそのものなのだ。
0035名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 09:21:31.06ID:ZDiHSJQ1
>>34
まだ死後とか言ってるの?
なぜ最終地点を知ったならトリックがわからないんだろうね。
0036名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 09:58:23.91ID:j8T3yk3J
君はすでに神だ。
神でなかったことなど一度もない。
神だった君がサルみたいな動物の肉体に今は入っていて
自分がサルのような人間だと思ってるかもしれないが
本来の君は神だ。間違いない。
目に見える仲間のサル、いや人間たちいるだろう
彼らも本来は君だ。分身して別の肉体で機能してるだけだ。
君たちは自分がサルの肉体に入ってることで縄張り争いや自己主張や攻撃性や
あおり運転など
まるでサルのように動物的本能のままに無意識に生きているが
元は神なんだ。
その本来の神の自分を思い出す作業が、真理探求、霊的巡礼と言う。
どうしたら自分を神と思い出すことができるか?
問題はサルの肉体に入ってることが一番の問題。
なので肉体から意識を離せば、神の意識は本来の意識を取り戻す。
肉体に付着する思考、肉体に付着する感情、サルの本能の自我
それらを消すんだ。肉体を弱らす苦行はしなくていい時代遅れ。
サルの本能を消せば、おのずと神の意識が純粋さを現す。
その神の純粋意識は、元々からそこにあった。ただ見えなくなっていた
思考や感情の不純物で見えなくなっていた。
不純物が完全に消えさるとき、それは悟りと言われる。
純粋意識のみが自分とわかる。その意識が神だとわかる時が来る。
その意識ひとつしか元々存在していなかったこともわかる。
その意識から宇宙は生まれ、万物は存在することがわかる。
この唯一の意識こそ、君が自分のことを自分と感じる意識感覚そのものであることがわかる
0037名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 10:20:57.57ID:j8T3yk3J
神人合一というもの。
神秘家は、神との合一を求める。
神との合一とはなにか。
神と何が合一するのか。
それは自我である。
神と自我が合一するのである。
神の意識に自我が溶け込み吸収される。
神の意識とは真我である。
自我が真我に溶け込むことが神との合一なのである。
自我の死や消滅と言われるもの。
それは悟りと言われる。
自我の消滅、つまり自我が真我に溶け込み
真我のみの意識になること
それが悟りであり、神人合一なのである。
つまり神を体現した者というのは、自我が消滅した者のことをいう。
真我実現とは自我の消滅のことをいう。

難しくない。簡単なこと。

君は真我と自我。これはふつうの人間。
自我が死ぬと真我だけになる。これが神。

悟りとは失うことなんだよ。
0038名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 10:32:20.32ID:j8T3yk3J
真理探求者は思う。
わたしは神になりたい。
神への憧れが強くある。
すでに神なのに。
なぜ自分で自分に憧れるのか。
それは彼らは二元性の世界の感覚で自分と神を考えているから。
自分はサルで、神は雲の上にいる存在だと思っているから。
自我消滅すれば、神になりたい思いも憧れも消える。
ただ在ることしかできなくなる。
その在る、それこそ唯一の実在であり神なのだ。
神はすでにそこにいたのだ。
しかも誰よりも近くにいたのだ。
それはわたしだったのだ。
0039名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 13:25:48.98ID:AZO6AL0e
神=自分だとして、それからどうするの?
その自覚が誰かの力や慰めになるの?
俺はならないと思うけど

そんなことジメジメ考えてる時間があるなら
少しでも誰かの役に立ったり、楽しませればいいのに
そういう人こそ本当の神だと思うんだけど…
どうかな
0040名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 13:30:39.64ID:AZO6AL0e
神には自分が神だという自覚はない
神の本質=無自覚だよ
0041名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 14:32:14.19ID:j8T3yk3J
>>39
神を実現することは100人を救うことより価値がある。
なぜなら実現したその高い波動によって
存在によって地球の波動を高め全人類に奉仕するからである。
>>40
これはたしかに真理。
わたしは神という用語を使い説明しているが、
真我と置き換えてもいいし、存在と言ってもいい、
または大いなる意識でも、それ でもいい。
つまりそのただ一つの意識こそが実在で、
君はそれだった。
0042名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 18:42:28.86ID:arJoNHtD
それよりリアルな話。
弟さんは将来どうするの?
0043名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 19:11:27.92ID:j8T3yk3J
>>42
弟は心配いらない。
霊的成長の最中なのだろう。
わたしもその時期があった、
カルマを解消し覚醒し悟りを開いたのだ
0044名無しヒーリング垢版2019/09/14(土) 19:13:57.31ID:arJoNHtD
>>43
自立できるくらいの症状なんだね
0045名無しヒーリング垢版2019/09/21(土) 18:53:08.68ID:uZS77ccw
人は心が大切と言われる。
心とはなにか。
人は感情や気分が心と思っている。
だから相手の機嫌をとることや気分よくいることが心を大切にすることだと思っている。
でもそれはまったく違う。
心とは感情ではない。感情や気分は心ではない。
それらが消えたもの、それこそ心である。
ここでいう心とはノンデュアリティーで使われるマインドという意味じゃなく、
純粋な意識ということ。
思考が消え、感情も消えたとき、ただそこに残るもの。
それが心、命、意識と言われるもの。
それが大切なのだ。
それは純粋な意識。人間的な動物性を超えた霊的なもの。
それを意識して生きることが心を大切にして生きるということなんだ。
それを意識して生きることが、真我を意識して生きるということ
それはつまり神を意識して生きるということ。
神とともに在るということ。神として生きるということ。
0046名無しヒーリング垢版2019/09/21(土) 19:01:30.46ID:uZS77ccw
あなたは神。
その神が肉体を持った。
神は自分を一匹の動物人間と思うようになった。
神が自身を神と思い出すこと、それが真理の探求という。
神人合一とか自我の死とか真我実現とか言われるもの、
それすべて自身が神であると悟るという意味。
あなたは自分が神だと体験で理解しただろうか?
そこがゴールである。
あらゆる神秘家、宗教家、霊的探求者目指すゴールである。
頭でわかっているだけでは意味がない。
それを体験して確信しなければならない。
そのために色々な霊的巡礼の道がある。
愛の道、奉仕の道、真我探求の道、
どれを選んでも最後には一つのゴールにたどり着く。
わたしは神であった、すべては神であったのだ。
0047名無しヒーリング垢版2019/09/21(土) 19:05:00.36ID:uZS77ccw
そのためにわたしが言えること。

一心に神を求め続けなさい。
そうすれば必ず神はあなたのこと前に姿を現す。
そしてそれがあなた自身であるということを教えてくれる。
それまで辛抱強く忍耐強く神を希求しつづけてください。
今の段階満足することなく、さらに上の真理を求め探求していってください。
0048名無しヒーリング垢版2019/09/22(日) 17:06:57.03ID:V1JqMteg
想念を鎮めなさい。
神はそれである。
0049名無しヒーリング垢版2019/09/22(日) 19:59:45.99ID:V1JqMteg
あなたは神であるのになぜ人間として生まれるか。
悪人も神なのになぜ低い波動の世界の住人なのか。
神の化身となるためには目覚めなければならない。
目覚めが必要なのだ。それを覚醒や悟りという。
それは意識的な体験。
魂が目覚める体験。
その体験をしない限り神であり神ではない状態なのだ。
ゆえに彼らは低い階層にとどまり、転生を繰り返す。
何度も何度も辛く苦しい再生を通して少しづつ目覚めていく。
0050名無しヒーリング垢版2019/09/22(日) 20:06:30.95ID:V1JqMteg
どうすれば目覚めことができるのか。
そして人は真理の探求を始めるのである。
真理とはなにか。自分とは何か。宇宙とは。
神とは。霊界はあるのか、魂はあるのか。
長い旅が始まる。
そして少しづつ神に近づき
最後には神と一つになる。
神との合一が果たされる。
ようやく真理の探求は終焉するのだ。
彼の死後は地獄や天国を超えて唯一の実在である存在そのものに溶け込んでいく。
そこは不幸も幸福もない永遠の至福の光であるニルバーナに安住するのだ。
0051名無しヒーリング垢版2019/09/22(日) 20:20:06.44ID:V1JqMteg
神の実現と聞くと想像を超えた現象だと思うだろう。
霊能力とか超能力もそのように感じるだろう。
まったく違う。
それはとても自然な形で在る。
それらを得るとか身につけるというものではない。
それは元からあなたには在るのだ。
それの使い方を知らないだけで、それが神だと知らないだけで、
あなたはすでに能力者であり神と合一を果たした存在である。
ゆえに言うので在る。
あなたはすでに悟っていると。
0052名無しヒーリング垢版2019/09/22(日) 20:35:43.49ID:V1JqMteg
神はどうすれば姿を現わすか。
どうすれば神を発見することができるのか。
それは捨てる作業なのだ。
あなたにあるものすべて捨ててごらんなさい。
最後に残るものそれが神である。
何も物質を捨てろということじゃない。
内面的なものを捨てるのだ。
その思考、感情、自我、それらを捨てたとき、
最後に何が残るか?
それは静かな純粋意識。
それこそが神なのだ。それが仏性とか神性とか言われるもの。
それを発見すること。
自我消滅すること。それによりそれはそれのみとして姿を現し存在する。
それが悟りである。神との合一である。
それが神の実現である。そこが最終地点のゴールである。
すれば自我消滅によりカルマは終焉し輪廻転生を解脱する。
我々物質界に生きる者の最終到達地点ゴールはここである。
それ以外のことに目標を定め努力し生きる者。
彼らはいわば道を誤っている。自我の欲求に任せてエゴのまま目標に生きているようなものだ。
それが世の中で立派だと言われてることも同じ。
オリンピック目指すのも、政治家や弁護士を目指し努力するのも同じことである。
彼らはいわばその強烈なエゴによって真理の道を見失っている途中なのだ。
彼らを哀れんでやりなさい。
彼らも挫折し失意しどん底に落ちたとき、その努力がエゴだったことに気づく。
そして真理とは何かを発見し正しい道を歩むようになる。
これが神の法則である。
どの探求者も必ず通ってきた道。
0053名無しヒーリング垢版2019/09/22(日) 21:11:10.51ID:V1JqMteg
まず思考が消える。
すると感情が消える。
自我が消える。
自我が消えると、わたしは在る状態になる。
わたしは在るも消える。
実在のみがそこには残る。
その実在が神である。
神を発見するには、ここまで瞑想で探求しなければならない。
ここまで捨て去らねばならない。
削ぎ落とさねばならない。
感情も自我も残っている人間に、神を発見することはできない。
最後に残るその実在。
神そのもののそれといわれる実在。
それは、至福である。実存である。意識である。
それが神である。
宇宙にはこれのみしか存在していない。
それ以外存在しない。これ一つがただ在るのみだったのだ。
それが不二元というもの。これしかないのだ。
これがあなたなのだ。あなたそのものなのだ。
あなたそのものであり、それが宇宙すべてなのだ。
そしか存在していなかったのだ。それのみが存在していたのだ。
それを体験するのが神の実現なのだ。
肉体からその純粋意識が抜け出て宇宙意識と一つであるという体験が必要なのだ。
それにはそのような体験を覚者は皆してきたということを知ること。
それを求めること。
つまり神との合一を強く求め続けること。
自分が神であると教えてくれと願い続けること。
求めよさらば与えられんのだ。
神の姿を見たという者は信じるな。
彼は低級霊が神の姿を偽った姿を神と思い込んでいる。
本当の神は姿などない。
そして神はそもそもあなたとまったく同じものだったという確信が与えられる。
神と自分がいるという二元性を教える人がいるなら、それは偽物だ。
神はあなた自身であるゆえ、自己の内を探求しなさいという指導者こそ本物なのだ。
0054名無しヒーリング垢版2019/09/22(日) 21:36:10.91ID:V1JqMteg
神はどこにいるか。
霊界や神界にいると思うか。
そんなとこにはいない。
神はすべての場所に存在する。
こうイメージすればわかりやすい。
丸い意識がある。
その中に宇宙がある、そして地球があり自分がいる。
ゆえに神は宇宙すべてであり、あなたである。
神は一つそれしかないのだ。
自分や他人や世界が別々に見えるのは、物質的にそのように見えるからである。
肉体が消えれば、その意識は大いなる神の意識そのものになる。
そうやって無から有が生まれそして無に戻っていく。
そのようにして時間や空間が生まれ消えていく。
しかしそこには時間も空間も有無もなく、
ただそれのみ実在があるだけだったのだ。
それが神なのだ。
それがあなたなのだ。
本当のあなたはそれだったのだ。
一匹の動物的人間なんかではなかったのだ。
それに気付くこと。それを悟ること。
それがすべての人間のゴールなのだ。
ここを目指すのだ。
それ以外の道はすべて幻想のようなもの。
真実の道を歩んでください。それが唯一本当の意味で救われることになるのだ。
あなたは自分で自分を救うのだ。
それには神の探求しかないのだ。
0055名無しヒーリング垢版2019/09/22(日) 22:01:08.82ID:V1JqMteg
真理の探求には段階がある。
ある時は神の愛や慈悲について深く考えることがあるだろう。
あるときは霊界や魂の実在について理解したいと思うだろう。
ある時は超能力や霊能力に興味が出てくるだろう。
そして悟りについて興味を持つようになり、
最後は神との合一について探求するようになる。
そのためにキリストや仏教から精神世界などそしてインドのクリヤヨーガや
現代インド覚者などを学ぶように色々と導かれていくだろう。
霊能力に興味が出る時は使えるようになり、
悟りに興味が出れば悟りを開き、
神との合一に興味が出れば神の実現を果たすだろう。
その時のあなたの段階に応じて真理の体験は授けられる。
まず知識が必要などだ。その後に体験が起こるようになっている。
なのでまずは知識として学ぶことが必要なのだ。
その知っている知識に応じた真理が授けられるから。
そのようにわたしは霊的探求をしてきてようやく神との合一を果たした。
ここが究極のゴールなのだろうか。
ラマナマハルシの言う真我実現、仏教でいう究極の悟りである阿羅漢、
ヨーガで言う神の実現、神秘家のいう神人合一、
それを果たしたのだ。
わたしには一切の探究心もすでになく、あらゆる欲もない、
感情も思考も存在しない。
純粋な意識が在るだけである。そこにわたしはいない。
0056名無しヒーリング垢版2019/09/22(日) 22:48:21.69ID:V1JqMteg
霊的な成長や進化というものは内的感覚によって感じることができる。
ごく普通の人はその思考や感情や本能的な自我性が自身の内に感じられるだろう。
目をつむるとそれらが沸き起こって感じられるのだ。
瞑想熟達者は思考や感情を静めることが容易であるので
自我がありながらもそれを消すと静寂が感じられることを知っている。
悟りの段階つまりハートにある自我が消滅すると、わたしは在るという状態となる。
思考や感情や自我はまったく感じられなくなり、
わたしは在る意識である、という感覚を感じられる。
この段階になると自分は人間とか男とかいうより、
意識そのものが自分ということがわかるようになる。
さらに先の段階がある。
頭に残る自我も消える段階、
するとわたしは在るも消える感覚が感じられる。
それは空というもの。そして存在そのものという感覚。
そこには人間性や個的な意識などがない。
わたしというのはその存在そのもの。
空という感覚。

わたしは在るという段階では至福感が感じられるが、
空の段階になるとその至福感さえもなくなる。
内面には静寂で真空の宇宙空間のような感覚が感じられる。

この霊的覚醒段階はまるでダイヤモンドを削るような、
球を磨いて光らすような、そのような感じといえるかもしれない。
思考→感情→自我→わたしは在る→と削って捨てていき、
最後には純粋意識である存在の空のみが残る。
それが神である。
なぜこれが神だとわかるのか。
それは肉体を離脱したとき、この意識のみが宇宙のすべてだったからである。
それはわたしだった。わたしはすべてだった。
わたしは神だった。この意識、元々あるこの意識それが神といわれるそれだったのだ。
0057名無しヒーリング垢版2019/09/22(日) 22:59:31.44ID:V1JqMteg
自分は人間であるという自覚がある以上、
死後も身体を持ち地上とまったく変わらない想念の中で生きるようになる。
そして再び時期がくれば転生する。
その繰り返しである。
しかし悟りを開き、私は在るという自覚まで到達すれば、
死後は霊的な魂として性別や姿は存在しなくなる。

わたしは在るも消え、空の神意識になれば、
死後は神意識に溶け込み、それと一つになる。
そこには二元性が存在しない、つまりそれのみしかないのだ。
それはまるで太陽のような光と至福と存在である。
0058名無しヒーリング垢版2019/09/23(月) 00:36:27.56ID:aJTmI747
覚者の内面はとても静かである。
深海のような宇宙空間のような静謐で安らかである。
内面は波一つ立たない湖面のようにまったく動かない。
永遠の涅槃の中に安住している。

ごく普通の人の内面は荒だっている。
弱肉強食の生存争いの名残の自我があるので、
競争、比較、自己主張、恐れ、喜怒哀楽の感情、まるで混乱状態である。
内面はコロコロと変化し色々思考しては案じたり恐れたりする。
0059名無しヒーリング垢版2019/09/23(月) 04:44:30.78ID:aJTmI747
ごく普通の人の意識は肉体にある。
なのでこの世的な印象を受ける。とても物質的で動物的な波動。
スピリチュアル探求者や霊能力者というのはさらに幽体が発達している。
雰囲気ではどこかポワーンとしたような肌が白く光るような特徴がある。
これは霊的進化により幽体が発達し人より大きくなったため。
それが雰囲気として見える。
多くのスピリチュアルユーチューバーもこの段階だろう。
彼らの雰囲気を見ればわかりやすい。
この幽体の段階は様々な幽界の干渉を受けやすく、感情や気分がよく変化するが
シンクロ不思議現象も多発するようになる。そして超能力が使えだす。
その上の段階になると幽体から霊体に意識がシフトする。
すると幽体が消えるので、ポワーンとしたあの独特の雰囲気が消える。
そして幽界の干渉も無くなるので感情や気分も消え、わたしという意識だけが残る。
より精妙な霊体としての意識なのでもはや性別や人間かどうかなどの意識に囚われなくなる。意識としての自分という存在になる。
この段階はいわゆるわたしは在ると言われる段階。
この段階は自我が存在しないことによる圧倒的な至福感に満たされる。
そのさらに先の段階は霊体も消える。
霊体が消えて神体のみになる。
すると霊体のときにあったわたしは在るや至福感も消えて、
存在そのものという感覚になる。圧倒的な実在感がある。
そして空の境地のような感覚がある。
そこには霊体のときにあったわたしという意識さえなくなる。
空の意識、存在それのみの意識という感覚になる。
もはやこの段階になるとあらゆる人間的性質が消える。
人間の持ってる欲や感情や本能などがない。
あるのは神である普遍意識その感覚のみである。
それは人間を超越している。その意識は星でもあり、
宇宙でもある、そう思うことさえできる。
その意識が肉体を持っているという感覚になる。
0060名無しヒーリング垢版2019/09/23(月) 05:21:07.41ID:aJTmI747
感覚としては霊的成長に伴いパワーが消えていく感覚がある。
肉体レベルの意識は荒いが強烈なパワーがある。
幽体レベルの意識になると、精妙になり幽体の霊妙な超能力のようなパワーになる。
霊体レベルの意識になると、さらに精妙になり至福や安らぎのようなエネルギーになる。
神体レベルになると、そのエネルギーすらない無、空、実在そのもの、状態になる。
人は皆この4つの身体を持っているが、ほとんどの人は行けても幽体までにとどまる。
霊体まで実現すると悟りと言われるレベルなのでそう多くはない。
霊体は自我の消滅と圧倒的な至福感ゆえここで探求を終わりだと思ってしまう。
さらに先を探求すると、そこには神との合一がある。
わたしさえも消えた意識が神そのものとわかる段階。
この段階まで到達したが、さらに先があるのかは今の自分にはわからない。
自分が体験で言えるのはここまでである。
もしかするとその実在さえも消える段階があるかもしれない。
0061名無しヒーリング垢版2019/09/23(月) 05:36:32.27ID:aJTmI747
それぞれの段階の間にはサマディーが起こる。
それが起こってその体験をきっかけに身体はシフトする。
肉体から幽体になる間のサマディーは、ある本の一節を読んだり、
ある体験を通して、意識が物的価値観から霊的価値観にシフトした時に起こる。
その日を境に世界が生まれて初めて見るかのように美しく輝いて新鮮に見えるようになる。
人々がみな無邪気で楽しく感じられる。
それを多くのスピリチュアリストは覚醒とか悟りと思い込んでいる。
それも間違いないのだが、仏陀や禅の悟り阿羅漢の悟りはさらに次の段階である。
それは幽体から霊体に意識がシフトするサマディーのことを言う。
これを悟りと言う。
このサマディーは圧倒的な体験として消して忘れることができないほど。
それは自我の消滅を見届けることであり、それによるカルマと転生の終了による
とてつもない安らぎと至福感と内面の静けさを感じられる。
これはやはり瞑想などの行をしないと達成されない。
ある程度に努力が必要になる。
しかしその価値は十分になる。
その悟りの霊体の段階に満足せず、さらに探求を進めるならその先には
霊体から神体へのシフトがある。
そのサマディーは肉体から意識が抜け出て神を知るという段階。
霊体のときまでは自分が意識の霊であるという悟りだったが、
さらに先にはその意識が神そのものであると理解する段階が訪れる。
わたしの場合は意識が肉体から離れ宇宙意識と一体となったサマディーとして経験し、
その経験から最後に残っていた頭の自我というものも消えてしまった。

このように霊的成長はその間間にサマディーの経験が必ずある。
0062名無しヒーリング垢版2019/09/23(月) 06:15:35.31ID:Z8eY+b6i

思考で書いてるただの人間
0063名無しヒーリング垢版2019/09/23(月) 12:48:49.84ID:3EGA8XG6
神と創造主は分けた方が良い
示、申す、を合わせたら神に成るのであくまでも高級な個体意識
万物の創造し統括する意識エネルギーは創造主

漢字文化の影響と人間意識の限界で神・創造主を人間的意識としか認識出来ない。
0064名無しヒーリング垢版2019/09/23(月) 12:51:48.68ID:3EGA8XG6
例え高級な霊(神)でも、因果律、自由意思には介入できない。
0065名無しヒーリング垢版2019/09/23(月) 20:27:55.22ID:IGtaRm62
良き伴侶を求めなさい
24時間何時でもいくらでも語り合える
通じ合える
0066名無しヒーリング垢版2019/09/27(金) 03:47:24.65ID:8sj736PK
誰にでも愛想よく仲良くなろうとする人間は信用するな。
一見人当たりがよく誰からも好かれる良い人のように思うが、
誰にも合わすということは、悪や不正にも合わすということを知れ。
本当に信頼のおける人間とは、誰にも理解されずただ1人孤独に真理を探求している者だ。
彼は集団で孤立しているかもしれない。
しかし彼こそ賢者なのだ。
集団動物である人間は集団から抜けることは死を意味する。
なので恐怖心によって仲間を作ろうとする本能なのである。
その動物的本能を動物的本能のまま仲良く集団を好むのは、愚かである。
それを共存や友愛などと言って正当化するが、しょせんは動物的本能にしかすぎない。
本当に信頼を置ける人間とは、その動物的本能の恐怖心に打ち勝つ者、
克服する者こそ勇者だ。
ゆえにただ一人サイのツノのように歩む者。
集団に属することを捨て、一人真理探求の道を踏み出す者、彼こそキリストである。
0067名無しヒーリング垢版2019/09/27(金) 04:03:34.71ID:8sj736PK
子供は動物のようである。
そのように大人からは見える。
そのように覚者からは人間がまるで動物のように見える。
これは覚醒してはじめてわかることである。
覚者は人間を超越している。感情も自我も存在しない純粋なる真我の意識の存在。
そのような神仏のような意識によって人間を見るとき、
彼らはまるで動物である。
感情のままに言動し、感情のままに条件反射で行動し、
自分がどのような動機によって行動しているかも気づいていない。
まるで犬が目の前に人が現れた瞬間、条件反射的に吠えまくるようなものだ。
人間もまったくそれと同じように見える。
そんな人間共に信頼を置くことはできない。ましてやまともな関係など持とうとも思わない。
苦痛を伴うだけである。
ゆえに覚者は人里離れた山奥に仙人のようにただ一人こもるようになるのである。

現代の人間はまるで欲に満たされた飼い犬のような顔をして能天気でいるが、
彼らの解脱はまだまだ遠い。
結婚し、社会で出世し、老後のために貯金をすることしか考えてない人間、
彼らは一生不安から抜け出せない。その不安によって結婚や社会や老後に必死にしがみつこうとするんだ。
それらをすべて放棄したところに真理があることなど気づきさえしないのだ。
神は彼らに挫折を与えるがそれによって捨てることによる真理を見出すこともせず、
ただそれを人生の苦だとして捉える。
愚かな人間共よ。まるでしつけのなっていない飼い犬のよう。
0068名無しヒーリング垢版2019/09/27(金) 04:18:29.69ID:8sj736PK
人間とはそのもの自体が罪である。
ライオンなどの肉食動物は人間から見れば悪のように感じるであろう。
それは生き物を殺すことを生業とする生だからだ。
いくら自然界がそのように成り立っているとはいえ、自分が肉食動物になり
生き物を殺すことはまともな人間なら抵抗があるだろう。
それと同じように覚者から見れば人間も悪のように感じる。
人間という存在そのものが悪であり罪なのだ。
その肉体を持ったということはどういうことか。
それがカルマなのだ。
覚者は人間を脱した。覚者はもはや人間ではない。
人間は自我なのだ。自我が人間の罪の正体なのだ。
誰が地球を破滅に追いやるか、誰が戦争を起こすか、
誰が自然を破壊するか、人間である。人間の自我である。
自我を持つ人間はその存在自体が罪なのである、悪なのである。
ゆえにキリストは人は罪深いと言ったのだ。
これも覚醒するとわかることである。
人間として生まれたなら自我を死滅させることこそ生きる意味であるのに、
なぜその自我の本能のままに生きようとするのか?
それは愚かだからである。未熟だからである。まるで動物のように自分を内観することも知らないのである。
0069名無しヒーリング垢版2019/09/27(金) 04:48:16.16ID:8sj736PK
人と交流したい、人と話したいというのは結局自我なのである。
それによって自我が認められ満足するのである。
覚者は人との交流はただ苦痛でしかない。
それは満たされる自我がないので、まったく張り合いがないのである。
あるのは苦痛である。しかもまるで凶暴で理性の飛んだ動物を相手にするような感覚である。
突然怒ったりすねたりするような生き物である。突然吠えたり噛み付く犬と何が違おうか。
なので覚者は人と関わりを持つことを控えるようになる。
人間が野生の動物に自ら関わり合いを持とうとするだろうか。
動物は動物同士で動物世界でいてください、わたしには関係ありませんと思うだろう。
そのような感覚に似ている。
人間は人間同士で、自我と自我のぶつかり合いで喜怒哀楽を楽しんでください、
わたしには関係のない世界です。
0070名無しヒーリング垢版2019/09/27(金) 05:06:22.59ID:8sj736PK
わたしは誰も信用していない。
そもそも目の前の人間の存在を認めていない。
まるで蜃気楼のように幻影として彼らを認識している。
存在もあやふやであり、彼らの言動もあやふやであり、夢遊病者をまともに相手にしないように。
わたしの世界にはまともな人間がいない。
自分と同じような人間がいない。わたしは孤独である。
わたしのみ存在している。わたしと真理と神のみ存在している。
それ以外のものは蜃気楼のようなものである。
ゆえに絶対的に軽視している。世界も人間もまるで取るに足りないように見ている。
人から学ぶものは何一つない。
世界から学ぶものも何一つない。
わたしはすべてを終えた。もう何も楽しくないし、興味もない。
探究心もないし、向上心もない。
わたしは全てを達成した。そしてすべてを放棄した。
わたしは空になった。存在が無なのだ。何もない無。
それが真我だ。それが神だ。わたしはもはや手に入れるものは何もなく、
失うものも何もなく、行くべき場所もなく、前進もせず後退もせず、
ただ在る意識である神の実在として存在する。
それは唯一の存在性であり、唯一の実在である。
それのみしか存在しない、わたしのみしか存在しない世界で、眼に映る森羅万象は
神の作った蜃気楼でしかないことを知る。
その蜃気楼をまともに相手する覚者がいるだろうか。
だから覚者は世界や社会のことについてまったく関心を示さないのだ。
唯一関心のあること、それは神の実在、神の真理である。
唯一の実在であるものを発見するのだ。
0071名無しヒーリング垢版2019/09/27(金) 05:22:46.01ID:8sj736PK
世界の中に真理を発見する。
世界の中に愛を発見する。
そうやって生きる人間は多いが、それは愚かである。
目に見える世界によってなぜ真理を教えられるのか。
真理は目を瞑り世界を見ない瞬間あらわれるのに、
愚者は目を見開き世界を見渡し、世界中を旅しようとする。
愚かな人間は、身の回りの人間関係や世界から学ぼうとしているが、
それは愚かである。
そして彼らは尊敬すべき人の言動を真似てみたり、世界の情勢を知的に学ぶことが正しいと思うようになる。
その結果自分を見失い、まるでロボットのように中身のない存在が出来上がる。
けして人の真似をするな。けして世界を認識しようとするな。
真理はあなた自身の内にある。
なのであなた自身の内を探求すればいいだけだ。
この世のものを学んだところで何一つ成長にはならない。
しかし自分の内を見るとき、成長は起こる。
内観しなさい。内的な静寂を保ちなさい。
何者にもなろうとするな。何も考えるな。ただ気づいていなさい。
わたしという存在が在ることを。
それが真理だ。それのみがすべてだ。
それ以外捨ててしまいなさい。雑多な思考感情、世界観、人間観、人生観、
あなたの今まで築き上げてきたそのつまらない価値観を捨てなさい。
すると次第に見えてくるもの。
それがあなた自身である大いなる存在の姿。
0072名無しヒーリング垢版2019/09/27(金) 05:58:58.15ID:8sj736PK
人は非実在を実在だと思いこみ、
実在を非実在と思い生きている。
現実を実在と思い、肉体の寿命を伸ばす方法、そのために身体にいい食べ物、
そして知的な勉強、社会的な努力、そのように生きているが、
最後はすべてを失い肉体は灰となり、手に入れた物質はすべて置いてこの世を去る。
その時に実在がなんなのかわかる。
実在と思い努力してきたものが実在じゃなかったと知る。
そして無駄な地上人生だったとわかり、再生を望む。その繰り返し。

賢者はこの世を非実在と見抜き、目に見えないものを実在と知る。
つまりそれは魂、霊、命である。
霊的な成長こそ唯一の実在であると知るのだ。
そして霊的成長のみを求める人生を送る。彼は物質的にはまったく豊かではない。
しかし目に見えぬ霊的探求を行い死んでいく。
死後は唯一の実在である霊性の飛躍的な成長を果たし、神の実在の元へと近づく。
彼は誰よりも貴重で立派な人生を送ったのだ。
0073名無しヒーリング垢版2019/09/27(金) 06:15:42.45ID:8sj736PK
犬には人間の知的理性的な段階が理解できないだろう。
それと同じく人間には覚者の精神的感覚が理解できない。
自分の段階に応じた理解力でしか認識できないのだ。
なのでもし覚者が理解されないことがあっても、彼はまったく動じない。
動物に人間が理解できないように、人間に覚者は理解できないのだ。
しかし逆はわかる。
下から上はわからないが、上から下はわかるのだ。
人間はあらゆる動物の知的理性的段階がわかるだろう。
それと同じく、覚者はあらゆる人間の霊的段階がわかるのだ。
ある者を見ればまだ本能のままに無意識レベルの者もいれば、
ほぼ霊的に目覚めており奉仕の実践に生きる者もわかる。
いっけん徳の高そうなふくよかな微笑みで社交的な人物もいるが、
霊視でみるとその内面はたんにフレンドリーで仲間意識が強いだけでしかない者もいる。
そのような人物は霊的に高いとはいえない。
霊的に高い人物を霊視すると、内面は空なのである。
無なのだ。それこそが神であるから。
何かしらの感覚を感じる場合、それはやはりエゴの特徴なのである。
頑固、陽気、フレンドリー、そのような気質が感じられるのは自我なのだ。
しかしごく普通の人間には彼らの霊的段階を知ることはまずできないだろう。
自分に似ている段階の者が好みであり、その人物を好きになるだろう。
悪人は悪人が好きだろうし、エゴのままに生きる者は同じ者を好む。
しかしそれは動物が同じ種族の動物を好んでいるにすぎない。
真理探求者はその価値観から抜け出さねばならない。
それは神の判断基準である。霊的な基準である。
0074名無しヒーリング垢版2019/09/27(金) 07:15:09.38ID:anraSNpb
>>66
随分と歪んじゃったね
自分を正当化しようと必死だよ
0075パオー垢版2019/09/27(金) 10:13:30.15ID:blifueOq
>>73
懐かしい昭和の時代。和尚という瞑想家が人気があった。
誰しも、一時期そのような気持ちに快感を覚えるのだろう。

しかし、そこには真理は存在しないことに気づけばいいのですが
0076名無しヒーリング垢版2020/09/17(木) 01:55:31.88ID:JGKAJhTs
@「現場写真観て
見事にブスばっかやないかい
と驚愕
それがある意味リアルなのかな
今日もいいお天気
みんながんばりましょー」


A「デブだろうがブスだろうが
人に何言われても
結局は
自分の気の持ちよう
私いい女(*´・ω・`)bでいいよね 」

B「ブスかいい女かは自分が思ってればいい話であってブスに反応することをまず改めたらいかがなものかと思いますが?私は例えブスと言われたとしても自分でそう思わないから反応すらしないと思います」

C「しつこい笑
ブスかいい女かは自分が思ってればいい話であってブスに反応することをまず改めたらいかがなものかと思いますが?私は例えブスと言われたとしても自分でそう思わないから反応すらしないと思います」


@だけでなくCまで全部同じ元AV女優のツイ
0077名無しヒーリング垢版2020/09/17(木) 22:01:46.29ID:wqKE5p7J
会社の先輩の家で初めて飲み泊まり
夜中トイレに起き洗面所を通ると
カゴから脱いでそのままって感じで、くるくる巻かさった
クロッチ部分は紺色でピンクのレーススケスケパンティーが!
思わず手に取りトイレに。
クロッチ部分を見ると見事に白いシミが
割れ目の形に槌
口に含み吸うと、しょっぱい!
こんなしょっぱいマン汁初めて!
クロッチ部分をチンポにあてシコシコ
レース部分でもシコシコ!
すぐに大量の精液を奥さんのパンティーに
生出し!
またくるくる巻いて、精液はそのままカゴに!
あー先輩の奥さんのアソコしょっぱいのか!
生で舐めたい!
0078名無しヒーリング垢版2020/09/21(月) 02:49:57.31ID:wFDJEI4N
最初は普通のクンニで、彼女も相当溜まっていたのか舐める前からグッショリ。
かなりの時間クンニをしてあげて、もうヨダレ垂れまくりの状態。
次は恐る恐るアナルに触れて軽くマッサージ。思いのほか感触よく
感じていたので、じわじわと奥まで少しずつ指を挿入していった。
舐めては入れ、舐めては入れを繰り返して、ついに指の根本まで
入った。指先には確実にあの塊が当たっているので、指で紙回し
ながら、抜いては舐め、抜いては舐めを繰り返した。
彼女はアナルもグチョグチョの状態で感じまくっていたが、
アナル周りがうんこべっとりになっているとは気づいていなかった。
唾液でいい具合に溶けて指に付着したうんこをアナル周りに
塗り付けて、アナルも指もまっ茶色に染まっていった。
それを心行くまでむさぼって舐め続けた。 彼女は感じまくって
放心状態になっていた。
最後は気づかれないように、アナル周りのうんこを綺麗に舐めて
あげた。
これからも時々会う約束をして別れた。 久しぶりの女性の最初は普通のクンニで、彼女も相当溜まっていたのか舐める前からグッショリ。
かなりの時間クンニをしてあげて、もうヨダレ垂れまくりの状態。
次は恐る恐るアナルに触れて軽くマッサージ。思いのほか感触よく
感じていたので、じわじわと奥まで少しずつ指を挿入していった。
舐めては入れ、舐めては入れを繰り返して、ついに指の根本まで
入った。指先には確実にあの塊が当たっているので、指で紙回し
ながら、抜いては舐め、抜いては舐めを繰り返した。
彼女はアナルもグチョグチョの状態で感じまくっていたが、
アナル周りがうんこべっとりになっているとは気づいていなかった。
唾液でいい具合に溶けて指に付着したうんこをアナル周りに
塗り付けて、アナルも指もまっ茶色に染まっていった。
それを心行くまでむさぼって舐め続けた。 彼女は感じまくって
放心状態になっていた。
最後は気づかれないように、アナル周りのうんこを綺麗に舐めて
あげた。
これからも時々会う約束をして別れた。 久しぶりの女性のうんこ
は感動的で今思い出しても射精しそうになってしまう。
彼女は舐め犬が欲しくて僕はうんこが舐めたい。 お互いの願望が
合致している限り、しばらくこの関係が続きそうだ。うんこ
は感動的で今思い出しても射精しそうになってしまう。
彼女は舐め犬が欲しくて僕はうんこが舐めたい。 お互いの願望が
合致している限り、しばらくこの関係が続きそうだ。
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