狂った世の中と物質文明
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人は、物質的な豊かさ、幸せを求めて 来ましたが ・・・
1 産業革命( 資本主義 )
● 人の考え方・行動を、ベルトコンベア式、単一的、機械的にし、人を製品化しています。
? 人間の個性、自由性、精神性が認められない。
? 社会のシステムに合わない者は除外され、人間の差別化が起こる。
? 人間関係の軽薄化。 家庭破壊。
現代の「 姥捨て山 」現象の出現。
産業革命は、必要なものですが、
その取り組みに、失敗したのです。
「 弱肉強食 」( 権力・知識 )が支配する社会となる ネットの発達
人間関係の軽薄化
いじめ
パワハラ
暴力
人と人との貶し合い
差別
仕事のストレス
勝ち組負け組
競争社会
子どものころから勉強,受験,上を目指せという教育を受け,
物質文明至上主義の中で育って ...
そのあまりの変化に人間の心がついていけていないのです 現代人は、現状に感謝できず欲望が暴走しているとよく言われていますね。
こうなる原因はいろいろとあると思いますが、物質文明の発達による人間関係の希薄化がひとつの原因だと考えています。
野生の動物たちがそうであるように、
またかつての人類が長い間そうであったように、
本来の大自然で生きるということはとても過酷で、お互いが心を通わせながら、
助け合ったり、分け合ったりして生きていく必要があるのです
しかし現代は、家電、コンビニ、インターネットなど便利なものがあり、
交通やインフラなども整備されているので、人と中身のある交流をしなくても生活が成立してしまうのです。
そして、これが「ひとりでも生きていける」という錯覚を生み出し、感謝をしなくなる原因になるのだと思います。
物や環境さえあれば一人でも生きていけるような社会が形成されてしまえば、
それを満たせるお金や地位に執着してしまう。また、
心の隙間を埋めるかのように欲望が暴走してしまえば自分のことで精一杯になり、周りのことも考えなくなる。
そしてつながりに感謝することをしなくなる。 権主義に走る人、犯罪を犯す人、精神を病む人が増えていますが、
このような人間関係の希薄化が原因となっている場合もあると思います。
そういう人ほど、「自分のことを分かってくれる人はいない」と言いますが、
とても危険だと思います。より人間関係が希薄化していくのです。
松下幸之助さんの言葉をシェアします。
『きょうこのごろの世の中、心のぬくもりの何とうすくなったことか。
頭がよくて、口先が巧みで、理が立って、それでなお寒々とした心の気配しかつたわらない人の何と多いことか。
そうした人と人との交わり。そこには、ジーンと胸にひびく感動もなければ、互いに募い寄る情感も生まれてこない。感謝の心がないのである。
ありがたく思う心がうすれたのである。米一粒にも天地の恩を感じ、人の情けに涙したあの日本人の心のぬくもりはどこへ行ったのであろう。
音もなく崩れゆくこの日本人の心を、慄然とした思いで省みたい。このままでよいのかと問いかえしてみたい 人の暖かみ全て奪われ、隠されてしまい、無責任な利己主義・個人主義の、人を信じられない、孤独な冷たい社会を作ってしまいました。
人間関係が壊され、私達が喜び・幸せに生きて行く上で、一番大切な根本となる家庭・夫婦関係を崩壊され、少子高齢化社会、未来のない、夢のない、希望のない社会を作り上げてしまいました。
将来の夢・希望・生き甲斐を奪い、悲観的で、「 どうでもいいや 」と焼けっぱちに成る社会、犯罪の横行する社会にしてしまいました この様に、西洋から発生した現代の文明は、
人は、心と体から出来ているにも拘らず、
あまりにも、
物中心の「 衣・食・住」の豊さを求めて行ったために、
心・心情( 思いやり )、「真・美・善 」の世界が消え、
そして、 ( 物質的、科学万能主義となり、
また、人間が物・道具として扱われ、物に支配され奴隷となり )
人間の 心が荒れ、人間関係の 希薄化・孤立化 が起きたり、
人間を 価値のない物・無力な物 にしてしまいました。
人間は、孤独な寂しい存在 になりました。 その結果、
心〈 心情 〉の世界 や
見えない世界が否定、分らなくさせられ
自殺、離婚、結婚、少子高齢化問題、家庭の孤立化・崩壊、
引き籠り、いじめ・虐待、様々な事件
などの問題を引き起こし、
心の問題 や ストレスに起因した、原因不明の病気、難病、
成人病、癌、認知症 など不幸な病気を、作って来ました。
経済状況も、世界的に悪く、良い方向が見えず、天変地異や
テロ( 宗教戦争 )など、不安が増える一方、となってしまい
ました。
そして、人々は、何が正しく間違いか分らなくなってしまい、
混乱しております ひふみ神示 〜 世は七度の大変り
https●://i.imgur.com/2Yri6hU.jpg 最近の10代20代のオルチャンメイク(韓国メイク)がブス過ぎて直視出来ないんだが、、、
試しに「オルチャンメイク」で画像ググってみ?
ブスが余計にブスに見えるメイクだよ韓国メイク
平行線まゆ毛に真っ赤な口紅
というか場末の下品なスナックのBBAにしか見えない
この韓国メイクは昔のガングロより黒歴史になるぞ
ガングロはまだ笑える自虐メイクだったがこの韓国メイクは本人が良いと思い込んでしまってるから始末が悪い
実は10代20代のイケメンにもウケが悪いんだよなこの韓国メイク、みんな口には出さないけど
しかも欧米人の女の子から「ダサい(笑)WTF(笑)」と爆笑されてるくらいだしな
もっと上品なものが流行しないものかねぇ 日本のブラック上場企業では終電に間に合わないシフトを虐待の一環として故意に組んでるんですね。
社長が虐待を裏指示しているように思われますので
終電の数本前には必ず帰す指示を と願います。
巨大災害が発生した際
特に虐待を受けていない子の機転や体力に
救われる人は多いと思います。
程度の低い人しかやらないイジメやパワハラが
陰湿に日常化されている場所で被災した場合
日々の虐待で心身疲弊してる子か、普段から人の命を軽視し尽くしている人達しか周りに居ないため、
生き延びれる確率は格段に下がると思います。
疲弊の深刻さは健康診断の血液検査結果にも少しは出ると思うので
どこがいざの時に絶望か、予め知れるといいなと思います。 災害時の出社判断云々は企業の本社がある自治体のHPに載るようになると思います。
広報誌にも常に印字されていれば、就職や転職活動中の方やその関係者へも、安全性の高さをタダでアピールできます。
終電の時間が一気に繰り上げられた異常事態を知りながら
長い徒歩と数社乗り継ぎをしないと家へ着けない若い社員をその時間以降職場から内心嘲笑いながら追い出す責任者の存在、については警察と消防と街の夜明さん達が情報共有してあげられたら
命まで脅かす企業虐待からその若い命を守ってやれると思います。
(夜明さん=タクシーの運転手さん) 災害時の出社判断云々は企業の本社がある自治体のHPに載るようになると思います。
広報誌にも常に印字されていれば、就職や転職活動中の方やその関係者へも、安全性の高さをタダでアピールできます。
終電の時間が一気に繰り上げられた異常事態を知りながら
長い徒歩と数社乗り継ぎをしないと家へ着けない若い社員をその時間以降職場から内心嘲笑いながら追い出す責任者の存在、については警察と消防と街の夜明さん達が情報共有してあげられたら
命まで脅かす企業虐待からその若い命を守ってやれると思います。
(夜明さん=タクシーの運転手さん) 宗教の創始者たち(イエス、ブッダ、老子)は、
宇宙の本質とは何か、
精神的な本質とは何か、
現実の本質とは何かについては、
それぞれ独自の考えをもっていて
相いれなかった。
しかし、道徳的な教えに関しては、
彼ら全員が一致している。
たとえば、物質的な富の追求は
間違った目的であるという解釈である。
また、没我性と他者への愛を持つことこそが、
人生における幸せと成功の鍵であると
口をそろえていっている 貧乏でも満足している人間は金持ち、それも非常な金持ちです。
だが、金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人間は、
冬枯れのようなものです。
シェイクスピア著 『オセロー』
生活に“必要なもの”が揃っていれば、それは“金持ち”です。
しかし、それ以上の“快適なもの”を揃えている大金持ちが他にいると、とたんに “貧しい者”になってしまいます。
資本原理主義の中では、生活に“必要以上”のものを持って初めて“庶民”であり、
“必要過剰なもの”を持って初めて、“金持ち”になります。
搾取する側とされる側、気味の悪い勝ち負けが明確に色分けされた
場所で、自分の個性や判断力を埋没させている姿に貧しさは漂うのである 実際これからの時代は、“勝ち組”“負け組”の二極化が進み、勝ち組は共食いを始め、
負け組は自殺者が急増するという予想もされています。
年収3000万円以上、資産1億円以上あって、初めて“中流”“小金持ち”とみなされるようです。
日本の平均年収約700万円、
その弱肉強食の社会では、我利我利(ガリガリ)と他との競争で勝つことだけが美徳とされ、共利共存の“弱きをたすけ”という情けを持つ余裕すら許されないでしょう。
そして必要以上のものを求めて、今の自分を必要以下に見てしまうところに、“心の貧しさ”はやってきます。 心の貧しい人ほど、外見や容器や量ばかり気にして、肝心の“中身”に意識が向きません。
某テレビで“幸せ”について語っている某占い師の身につけた何百万円もする装飾品の数々は、逆にその寂しさと貧しさを語っている気がします。
大切なこととは、自分にとって必要なものが何であって、今、苦しくとも自分を楽しませる気持ちがあるか? だと思うのです。
1000円、100万、1000万、10億、100億、1000億円…。
いったいいくらあれば、人は必要量を満たし満足するのでしょうか? 「10億円くらいあれば“ラク”に暮らせるだろう」…、何のために“ラク”である必要があるのか?
本来ならば、10億円投資しなければ達成できない“夢”があって、初めて設けることのできる基準のはずです。
“楽しい”人生と“ラク”な人生の間には、 “死ぬほど生きる”と“死んだように生きる”くらい、かなりおおきな差があります。
年収も、偏差値も、環境も、外見も、結婚相手も、将来も、子供も、“平均”以上でなければ庶民にもなれないという考え方こそ、
“貧しい”ことだと思うのです。
不足感故の、見栄という名の満足の“虚構”…。 私の思う“豊かさ”の基準は、
「好きな時に、好きなことを、好きなだけ行える自分」があることです。
金がない、自信がない、好きなことがない…そう思い込むとき、本当に自分が貧しく感じます。
なぜなら、お金も自信も好きなことも、実は自分で創り出せるものであるからです。
たとえ状況を変えることができなくとも、「だからダメ」ではなく、
「だからこそ」と、自分の心の状態を楽しませることはできるのです。
お金を持っているからといって偉いわけじゃない、お金の遣い方を知っている人、
その品格・態度を持っている人が偉いと思います。
豊かさとは、人と比べた相対的なものでなく、自分の中にある“絶対的”なもので決まります 貧乏とは何か?
レオナルド・ダ・ヴィンチ
私を軽蔑するな 私は貧乏ではないからな
やたらと沢山のものを欲しがる者こそ貧乏なのだ
貧乏とは物質的に金銭的に足りてない者のことではなく
何でも欲しがる者のこと
つまり心が貧しい者のこと ロンドン在住、元国連職員の著者が見た
「日本は世界で"かわいそうな国"だと思われている」衝撃の現実。
若者の自殺、「社畜」的働き方、「人付き合い地獄」の社会、
「みんなで不幸になろう」という足の引っ張り合い、
グローバルな人材なんて育つはずもないおかしな教育、何でも人任せで自分で考えない「クレクレ詐欺」。
空気を読み過ぎて「セルフ洗脳」に陥る日本人たち。
こんな日本人の「貧しさ」を、世界の現実と対比させながら問いかける。
『自分が日本でかかっていた洗脳。
競争しなくてはいけない、
家族や友より仕事、進歩は偉い、田舎はださい、自販機とコンビニは重要、電車とバスは定時でなければいけない、
痩せてなければいけない、
群れなければいけない、流行は追わないといけない。どれも自分を不幸にしていた。』 人の幸せは、心の持ち方次第です。もし物質文明が幸せをもたらすなら、私達はとっくに幸せになっていなくてはなりません。
しかし物質文明(科学文明)が進んだ今日、かえって心の不安が高まっているではありませんか?。
後進国の人達が物質文明に取り込まれるに従い、精神的苦しみや自殺や鬱、
ストレスが増大しているのはその良い証です。
心の病が多くなっているということは、その文明が誤った方向へ進んでいる証しなのです
勿論、物質文明にも意味はあります。でもその意味を知った暁は、一日も早く物質文明から卒業しなければならないのです。
キンピカ、キラキラ、天にも届く高層ビルが建ち並び、その間を縫うように高速道路が走るといった文明は、
その限りであることを知って下さい 人間どうしても華やかなものに目が行きがちですので、物質文明が栄えるのも止むえぬことかも知れません。
しかし大人になってくると、感性や本性が騒ぎ出しますので、精神的なものを求めたくなってくるのです。
人類は今物質文明に酔いしれていますが、やがてその儚さに気付き、
精神文明に大きく舵を切るようになるでしょう 精神文明とは、人の本質、精神、幸せ、宇宙の本質を詳らかにして真の喜びを発見し、
その喜びに少しでも近づこうとする文明です。つまり天の利を地に降ろし、
天の幸せに劣らぬ幸せを地に開花させる文明です。
私達は幸せを勘違いして捕らえています。幸せは肉体が感じるのでしょうか?、
心が感じるのでしょうか?。心ですね。
ならば心に平安をもたらす文明こそ、真の文明ではないでしょうか?。
確かに便利さや快適さをもたらす物質文明は、心を喜ばす条件の一つではあります。でもいかに良い条件が整っても、
心に悩みがあっては真の幸せを掴むことはできないのです 物質文明は幸せを獲得する一手段ではありますが、目的では無いのです。
それに対して精神文明(真の自分を知る文明)は、幸せ得る目的そのものなのです。
なぜなら、真の人間を知らずして精神文明はあり得ないし、真の幸せもあり得ないからです。
昔の人達は不幸だったのでしょうか?
そうではありません
今の時代の方が精神的に病んでる人
自殺者が圧倒的に多いのです
物質文明では人と自分を比べた時から
不幸(劣等感)が生まれます 神道にはイエス・キリストや釈迦のようなカリスマ創唱者が存在せず日本の風土や生活習慣から自然に発生しました。
要するにエスキモーやインディアンと同じくシャーマニズムなのです。
神道において「神」は自然そのものであり、恩恵を与えるのも 「神」、天変地異を引き起こすのも「神」でした。
そして「神」と「人々」を繋ぐのが卑弥呼のようなシャーマンの存在だったのです。
シャーマンは「神」の言葉を代弁することで血縁や地縁で結ばれた部族の行く末を示す存在でした。
神道はシャーマンを中心とした地方共同体の要の役割を果たしてきたのです 卑弥呼は魏志倭人伝にて表記されたものですから、この漢字は音を当てたものと考えられます。
時の女王に【卑しい】の字が正しい表記であるとは思われません。
そもそも卑弥呼とは、特定の個人をさす固有名詞ではありません。
征夷大将軍と同じ役職名だと捉えています では、何をする方の役職名なのでしょう。
ひ・み・こ
男性が戦う仕事が有ったように、女性には神の声を聞く大切な仕事がありました。
その神様の声を聞く仕事をする女性が巫女です。
ひみこは、おそらく【陽巫女】だと思われます。
征夷大将軍が、将軍の中でも一番力があるのと同じように、
あまたいる巫女にも、通信できる神様が違っていても不思議はありません。 つまり【陽巫女】は特別な巫女ということになります。
おそらく、【太陽意識】の声を聞くことができた巫女さんなのでしょう。
その当時は、自然信仰が普通であり、その中でも最も太陽信仰が強かったでしょう。
現在のように銀河と言っても理解できない人たちに銀河意識の言葉を伝えても意味がありません。
それであれば、根源神や銀河意識なども、太陽神の言葉として伝えるのが良いということになります。
その時代に一人いるかいないかでしょう。
それだけ稀有な存在であるから、国の統治もまかされても自然なことです。
これが【ひみこ】が女王であることの理由でしょう。
つまり、【陽巫女】は、太陽意識以上の存在と意思疎通ができた、
優秀な巫女だということです 皇室の祖とされる天照大御神もおそらく後世の人々が陽巫女を神格化したものでしょう
実際天照大御神は巫女のような姿で描かれています 物質傾倒派VS精神傾倒派が顕著になっていくんだろ。
そのせめぎ合い争い破滅を経験して霊的文明が発展する
と思う。 私達の心は本来
思いやり 気遣い 優しさ 愛などにより
幸福を感じるように出来てるのです
これが精神的な豊かさです 幸せになるために必要なのは、物質的豊かさではありません。
精神的豊かさです。
精神的豊かさが大切だということは、あることがきっかけで気づきました。
私の家庭は、比較的裕福です。
私が留学できたことも両親のおかげです。
別の言い方をすれば、お金のおかげです。
私は日頃から、高価な物を買っていました。
それもたくさんです。
物がたくさんあるほど、裕福だと思っていたのです。
そのため、以前の私の部屋には、物がたくさんありました。
しかし、違うことに気づき始めました。
高価な物がたくさんあっても、心からの満足感がないのです しかし、たくさん物を持たなくても、親しい友達が1人いるだけで変わりました。
すぐ心の中が満たされ、幸せを感じることができたのです。
もちろん物を持つことで幸せを感じることもあるでしょう。
しかし、精神的豊かさは、友達や家族など、人が大切です。
そうした経験があり、私は幸運にも幸せに気づけました。
大切なことは、精神的豊かさです。
本当は目に見えません。
もちろん買うこともできません。
幸せとは、当たり前のことです 友達が優しく話しかけてくれたこと
両親からの教育
友達が誕生日を覚えてくれていたこと
自分のことを心配してくれること
誰かが助けてくれたこと
どれもささいなことですが、大きな幸せです。
自分の周りには、すでにたくさんの幸せがあることに気づきます。
それらは精神的なことですから、お金で買えるものではないし、見えるものでもありません しかし、生きるために大切なことです。
幸せになるために大切なことです。
それに気づきましょう。
幸せとは、手に入れることではなく、気づくことなのです。
幸せはそこから始まります。
今、置かれている状態がどれだけ幸せであるかということに、
気づくことが大切なのです 「自分自身が平安である人は、自分のまわりのものすべてに平安を認めます。
本質は美であり、真理であり、平安です。人はそれを醜いものとして、間違ったもの、暴力的なものとして捉えます。
…それだけのことです」
「幸福な人生を送るには、心の平安が必要です。人間の心は荒れ狂うガンジス河に似ています。
心はディヤーナ(瞑想)のような歯止めとなるものを効かせて抑制しなければなりません。ディヤーナとは一点集中です。
心の動揺が人類にあらゆる不幸をもたらすのです。穏やかで健全な人生を送るためには、心の平安を培わねばなりません」
「徳高い道に沿って考え、話し、行動するなら、人の意識は純粋となり、内なる平安を抱きます。
知識は力である、と言われますが、美徳は平安です」 「快適であるということと平安であるということが混同されています。
快適さは平安と同じものであると受け取られています。富む者、地位ある者、富豪や権力者は誰も平安を得ていません。
それが真実であることは調べればわかります。平安は、銀行の通帳や部屋数の多い家、倉庫や鉄の金庫の中に見出されはしません。
あなた方の態度はすべてあべこべのものとなっています。それは馬の前に荷車をつないでしまうのと同じ程滑稽なことです。
物質的なことは霊性のあとについてくるものです。心が馬であるのに、それが顧みられておらず、旅に備えて訓練されていないのです」
「単に憎しみを取り除いただけではアーナンダ(平安)を確実にすることはできません。愛をもまた、培わねばなりません」
「シャンティ(平安)は神の特性です。根気と忍耐と寛容をもって正しい
霊性の道に従う者のみが平安を得ることができます」 20世紀は電話、自動車、機関車、飛行機などの発明 また 20世紀後半はコンピューター、インターネットと 我々の生活そのものを変えてしまう ものが 一般化しました。
第二次世界大戦後生まれの人々にとって はあたり前の生活なのですが
実は このようなものが大量生産されることにより コストが落ち 一般大衆にもいき渡ったという 資本主義の意義のあるところです。
しかしながら、物質 つまり ものを追求するために その交換財である 紙幣(お金)を稼ぐことが目的となってしまい、一部の金融機関関係者を中心とした人たちの横暴が
1929年の恐慌をまねき 、また、今回の「金融危機」にいたっているわけです。この金融危機は 欧米ではすでに「恐慌」にはいっているわけですが、発想の転換が必要です。
「物質文明」から「精神文明」への転換です。日本国は古代より精神文明の国であったのですが、
敗戦により アメリカ占領政策の基 「物質文明」社会への転換を余儀なくされました アメリカ型資本主義が終焉を迎えたのですから、「助け合う」「困った人がいたら助ける」「お互い迷惑はかけない」など
人と人とのつながりを大切にする社会へ脱皮する機会でもあるわけです。
日本人が忘れているアジア型社会の模範は ベトナムにあります。 彼らは 助け合い、周りの人々に思いやりをもち 生きているのです。 儒教を中心として大乗仏教の国という日本と同じ土壌をもっていいます。
「物質文明より精神文明へ」これがこれからのキーワードです。 お金や物に囚われないその生き方
多くの外国人が感銘を受けました
https://youtu.be/Oqr0J5Z69lY 多くの欧米人がいろいろ観察をしているが、ほぼ全てに共通しているのは、「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」である。
だからこそアメリカ人のモースは、「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのだ。
欧米では、裕福とは幸福を意味し、貧しいということは惨めな生活と道徳的堕落など絶望的な境遇を意味するのだが、
この国では全くそうでないことに驚いたのである。
●イギリス人の詩人エドウィン・アーノルドなどは、明治22年に東京で開かれたある講演で、日本についてこうまで言っている。
「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。…その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、
その神のようにやさしい性質はさらに美しく、
その魅力的な態度、その礼儀正しさは、
謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。
これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、
あらゆる他国より一段と高い位置に置くものである ハリスの通訳として活躍したヒュースケンはこう記す。
「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたることろに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、
そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
西洋の人々が彼らの重大な悪徳をこの国にもちこもうとしているように思われてならない」 「1」 メーソンというアメリカ人――1879-1914
彼は神道はインドの仏教より遥かに優れた精神原理で、よりよく現代生活に適し、儒教より内面的、
哲学的、かつはるかに深遠で更に西洋文化よりすぐれていると言いました。
「2」 イギリス貴族のポンソンビー1878−1937
皇室の尊厳に憧れ京都に住み、生活の凡てを日本式とし京都御所には土下座で遥拝しました。かれは日本で神を見た英国貴族といわれた。
「3」 元フランス大使のクルーデル
私が決して滅んで欲しく無いと願う世界の中の一つの民族は日本だと。 「8」英国人ビッケン名古屋商科大学教授
「キリスト教文化は、科学、哲学、産業革命を生み出し現在の経済中心の世界を作り上げた。だが
ユダヤ、キリスト教を中心とする宗教は、闘争に明け暮れて、疲れ果てている。
これは人間と自然との関係を排除してきたからだ。
自然と人間、人間と人間の調和・共生を求める日本の古神道に帰らねば人類は救われない」
「9」 韓国人 金ワンソプ氏--親日派のための弁明より
「私の個人的な意見を言うなら、日本の神道は人類が作り出した、
もっとも理想的なたかちの宗教だ。」
「10」 フランスのエリート
「十数年前フランスの若いエリート達が伊勢神宮を見て自国の聖地は伊勢神宮程の精神性は無いと言った。
他の学者も伊勢の荘厳、森厳の静寂に宗教の根源的なものを感じた。」 「6」オーエンラチモア
「日本が立派にやりとげたことは、アジアに於ける欧米植民地の十九世紀的構造を破壊したことであった」と。
大東亜戦争の意義を讃えました。太平洋戦争とは私もいいません。これはアメリカに都合のいい言い方なのです。
「7」オランダ国 アムステルダム市長
「日本は各地で侵略戦争をしたとペコペコ謝罪していますが、間違いです。あなた方こそ、血を流して、アジア民族を解放し、
人類最高のよいことをしたのです。本当は白人が悪いのです。日本は敗戦しましたが、アジアの解放は実現しました。日本軍は欧米諸国すべてをアジアから追放しました。
その結果、アジア諸民族は独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。
自分を蔑むのを止めて堂々と胸をはって、その誇りを取り戻すべきです。」 11」 アメリカ女性歴史学者 ヘレン・ミアーズ
「日本の伝統神事は肉体的満足の対象である食物、
精神的満足を齎す自然美への感謝の儀式だ。」
「12」 日本に宣教師ザビエルが来たのは足利時代
ザビエルは記録に残している。
「日本人たちは、キリスト教の諸地方の人々が決して持っていないと思われる特質を持っています。
それは武士たちがいかに貧しくても、そして武士以外の人々がどれほど裕福であっても、大変貧しい武士は金持ちと同じように尊敬されています---。
武士以外の人々は武士を大変尊敬し---。そして、日本に来るなら、真の謙遜が必要」。
「13」小泉八雲
「日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考え、
山川草木から井戸、かまどにいたるまでそれを司る神を見る。
日本人はこの国土を創造した神々の子孫である。
神道とは、その祖先崇拝の思想で、死ねば霊となって子孫と国を守ると考える 14」 ポルトガル人・モラエス 1854年--1929年
「日本には西洋世界に無い、他人を疑わない人情味あふれる人間関係がある。
平和で優美な日本の環境のとりことなった。」
「15」 フランス作家 オリヴィエ・ジェルマントマ
「日本の霊性に感動した、その霊感から発する日本の文化、芸術、文学を愛し溺愛する。
私は師であるアンドレ・マルローを那智の滝に案内した。その時、マルロー師は叫んだ、滝の中にアマテラスを見た、と。
神聖とは何かを日本でつかんだと話された。神道の中に神聖を体感されたのである。」
「16」 米国オハイオ州 コーイチ・パリッシュ氏 ワシントン州 「神ながら神社宮司」
「神道こそ神に近づく道であり、手順であり、それを厳格に実践することで、深く霊性を開発し、人格を高めることができるものである。
神道はわれわれ地球人にとって必要不可欠で「人類の宝」と確信する。」 「17」アーノルド・トインビー
トインビーは神道を高く評価し、「日本の活路」で言った。
「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。
それは産業革命がもたらすまぬがれない代価である。
ところが神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説いている。
日本国民は、自然の汚染によってすでに報いを受け始めているが、実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである。」。
物質文明が避けられない災いを救う宗教であると言っている。
「18」アーノルド・トインビー
昭和42年に来日した歴史学者トインビーは、真っ先に伊勢神宮に参拝して、千古の神宮林の繁る神域に立ち、
「すべての宗教の基底になるものが伊勢神宮にあると感じ」毛筆で神宮に記帳した。
「19」社会学者エマーソン
「日本の神社、鎮守の森の中に神聖がある・・・・・」 「20」ドイツ植物学者ヒューセン博士
「日本人が生活環境に郷土固有の神社林を保護育成してきたこと、また山岳地帯には祖先伝来の原生林がまだ存在することとあいまって、
日本民族の優秀な資質育成に大きな効果を果たしてきたことからも、現代人はこれらを大切に守って子孫に伝える責任がある。
ヨーロッパ諸国では、放牧により早くから原生林を失い、その弊害を補うために人口植林に努めている。
日本の社叢などを見て祖先の賢明さに敬意を表する」と神道の鎮守の森との関係で味わうべき言葉を残している。
「21」アルベルト・アインシュタイン博士
1933年来日した時の発言、「世界を驚かせた近代日本の発展は、一系の天皇を頂いていることにある」と分析し
「戦いに疲れた世界が求める未来の盟主は、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた最も古くて尊い家柄である天皇家を頂くアジアの高峰、日本である。
我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」と絶賛した。
「22」サミュエル・ハンチントン教授ーー文明の衝突の著者
世界には西欧文明、イスラム文明、中華文明など沢山の文明があるが、
日本は独自の文明を形成しており、中華文明のなかには含まれない。と分析している 「23」詩人のポール・クローデル
1943年、日本の敗戦が濃厚になってきた時である、パリーのある夜会で詩人のポール・クローデルー元フランスの駐日大使ーの言葉は有名である。
「私がどうしても滅びて欲しくない一つの民族がある。
それは日本人だ。あれほど古い文明をそのまま今に伝えている民族は他にない。
日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとってし不思議ではない。
日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急速に欧米の文化を輸入しても発展したのだ。
どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はない。しかし、日本にはその資格がある。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのだ」
クローデルは、こう述べた後、ポツンと付け加えた。
「彼らは貧しい。しかし高貴である」
「24」H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、
白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」 日本人の道とはなにか?
神道
武士道
空手道
合気道
柔道
剣道
茶道
華道
弓道
書道 日本人の道とはなにか?
日本人は本来のあるべき道を
外してしまったが為に
現在の世の中のように歪んでしまっているような気がします。
いまの世の中は隠されている部分の方が実体としては大きいのです。
あらゆる分野を多角的に見極めて、初めて見え てくるものがあります
全体をとらえる事で、新しい未来を描 ける事があります。
私たちは細分化時代に生きているとも 言えます。
極度に専門性が高くなり、「木を見て 森を見ず」となってしまい、
バラバラ に社会を組み立ててしまっている事が 社会のひずみを生んでしまっています 地球全体を見ないから多くの対立が存在するのです
これからの新しい未来や社会を残して 行く為には、広い視野が必要です。
広い視野により本当の自分の使命や役 割に気づく事もあります。
右や左の政治思想に偏る事無く、
スピリチュアルや自然派だけにも偏る事無 く、
または目先の生活や経済ばかりで もなく、
表面的な情報や裏情報に惑わ される事無く、
その為にも日本人の本来のあるべき道に戻らなければいけない気がします。
道の大元は結局のところ
神道になるわけです ちなみに
神道とは
一神教ではなく
教典をもたず
押しつけがましくなく
誰もが気軽に神社にお参りできる
これだけで
すでに
既存の宗教の枠組みには
存在しないことが
日本人には
理解できます 外国は教え
日本は道
今の時代、人間が説いた教えでは駄目なようです。
誰かに教えられそれに従順に従う宗教ではなくて
それぞれが互いに
内在する神性を認め合い
尊重し
生かし合いながら
ともに栄える
【道】
でなくては
これからの混沌とした時代は乗り切れない 神道とはもっとも古く
かつもっとも新しい理念であると言われる。
思想や哲学がないと海外から指摘される今の日本は
ともすれば破滅の方向に向かわんとしている
人類社会を根底から
救済する偉大なる理念が
巌として存在している。 ヤクザも神棚飾って神社も行くじゃん?
神道の中身なんてほとんどの日本人知らないよ 突然ですが、ちょっとした心理テストです。
空を風船がフワフワと飛んでいる光景を思い浮かべてみてください。その風船は突然速度を上げて飛んで行ってしまいました。
さて何故でしょう? 我々日本人を含む東洋人の多くは、「風に吹かれて飛んで行った。」と答え、
欧米の人たちの多くは、「風船から空気が出たため飛んで行った。」と答えるそうです。
実はこれ、以前某テレビ番組で取り上げられた「東洋と西洋の文化の違い」を表す例です。
東洋人は、自分と周囲とのつながりや関係を見、行動は周囲からの影響が大きいと考える傾向が強いそうです。
一方西洋人は、対象となっている物(ここでは風船)それ自体が行動をコントロールすると考える傾向が強いそうです。
もちろんこれはあくまでも傾向の話なので、個人差はありますが。 大まかな言い方をすれば
東洋人は利他的で他者を思いやる
或いは他者に影響されて行動する人が多く
西洋人は利己的で自己中心的で自分勝手 最近になって世界の識者は,従来の西洋的科学物質文明が一つの限界に突き当たっていることに気が付いた。
現在世界を覆っているさまざまの危機の元凶は,
突きつめると,すべて西洋文明を推進してきたその後遺症であることが分かってきた。
たとえば各種の公害,地球環境の悪化,地域紛争の激化,麻薬,暴力,エイズ,性の乱れなどの社会の退廃など,
すべて西洋型文明の当然の帰結とみることができる。今や文明の危機であり,人類滅亡の危機が迫っていることが,誰の目にも意識されるようになった。
それは文明の持つ表の華やかさに幻惑されて,
そのそこに潜む悪魔性,野蛮性に全く気がつかなかったからだ。 >>73
大まかすぎでしょ
日本人の多くも利己的だし、西洋人の多くも利他的だよ ・肉食脳って?
肉食脳は目に見えるモノがこの世の全てと思い込む。・・物 金 外見
西洋脳・・・「微視的」「具象的」「物質」
東洋脳・・・「全体的」「抽象的」「精神」
'90年代から"イケメン""茶髪""美白"などがもてはやされ出したのも
実は食肉消費と関連している。
本来の日本人はこれほど外見にはとらわれない。 日本画…抽象的 西洋画…写実的
アレルギー <=免疫抑制剤で制御
がん <=抗がん剤で叩く
外ばかり見るのが西洋医学。東洋医学では万病は内側からと言って体質(原因)を相手にする。 外見ばかり気にするのが西洋人であり西洋脳
自分の内面を磨き向き合うのが本来の東洋人 本来の日本人
欧米の文化が日本に入り日本人は外見ばかりを気にするようになった 物質文明は、間もなく、その幕を閉じようとしています。
もう賞味期限が近づいて来ているので、それ程長くは続かないでしょう。
物質文明が完全に幕を閉じる過程においては、想像を絶する衝撃が世界全体を襲う事でしょう。
2008年9月の、いわゆる「リーマン・ショック」というのは、アメリカの大手投資銀行「リーマン・ブラザーズ」一社が倒産した事により、
その影響が津波のように全世界に波及し、金融危機や世界同時不況へと連鎖して行きました。
これから私達人類が経験しなければいけないのは、今ある物質文明そのものの崩壊なので、今まで人類が経験した事のない、
想像を絶する経験をする事になる筈です。
この影響は、全世界、地球全体を襲うので、日本はおろか、世界中の何処に逃げても、
誰もその波から逃れる事は出来ないでしょう。 物質文明が崩壊した後には、新たな精神文明が待っています。
そして、新たな精神文明は、日出る神国、霊(ひ)ノ元・日本から始まります。
今はまだ、日本の本格的な「立替・立直し」が始まったばかりなので、日本に新たな精神文明が花開くには、少なくとも十数年の歳月は必要ですが、
次に来る新たな精神文明の時代を見据えて行動して行く事が大切だと思います。
もう、今までの延長線上で未来を見据えても、あまり意味が無いかも知れません。
地球が大きく生まれ変わろうとしている21世紀の今というこの時、大和の国・日本に生まれて来た私達日本人一人一人には、
新たな精神文明の時代を切り開いていく使命と役割が与えられています。 世界の雛形である日出る神国・日本には、全世界に先駆けて新たな弥勒世を創造する使命と役割が、天から与えられているのです。
今、私達日本人一人一人が、自らが生まれて来た本当の目的を想い出し、自らの役割を演じていく時を迎えています。
物質文明の次に来る新たな精神文明、花咲く都・黄金文明は、私達日本人一人一人の目覚めにより、実現される事になります。 >>76
外国人労働者を安くこき使って搾取しまくってるものな これまで各スピリチュアリストのブログ記事を転載されておられますが,
Maria氏としては今後どのような活動をされていくおつもりでしょうか? 京都に住もう。
そう決めたのは、2015年3月。当時、札幌に住んでいた私は、憧れと期待を胸に、
伝統のまち・京都へ引越しを決め、その翌月には京都で暮らしはじめました。
決断からわずか1ヶ月での旅立ちに、多くの人から驚きの声とともに「なんで京都なの」とか「移住したんだね」とか、声をかけられました。
私にとっては、住みたいまちに住み、自分らしく生きるために違う都道府県に”引越し”したというカジュアルな感覚でした。
しかし、他者から見ると引越しではなく、”移住”らしい…… AAS
あなたは「まち」と関わりながら暮らしていますか?
自分の住んでいるまちや出身地、あるいは、一度訪れたりニュースで知ったりして、気になっているまち。
たとえそのまちに暮らしていても、「関わっている」と感じることは、実はあまりないかもしれません。
特に、学生のみなさんは親元離れた一人暮らしをしていたり、勉強やサークルに忙しく、「まち」との接点を持つ機会は少ないもの。
そんな学生のみなさんと「まち」をつなぐ取り組みが今、全国各地で始まっています。
今日ご紹介するのは、商店街という昔ながらの場所に拠点を構え、学生と地域をつないでいるトランスカルチャーシェアスペース「Deまち」。
京都のまちなかにあり、そのまちの人々だけではなく、田舎と都会をつなぐ役割を果たしているというその場所には、
日々、学生が立ち寄り、商店街や地域の人々と交流を持っているのだとか。 京都市上京区。鮮食料品や日用雑貨店など、個性豊かな店舗が軒を連ねる「出町桝形商店街」の一角に、
学生や子ども、お年寄りなど様々な人が出入りする場所があります。
ここが、「Deまち」。
オーナーは商店街にある衣料品店で、商店街組合が備品置き場としても利用しているスペースの一部を利用しているため、
商店街の方々とまちの人の間に、自然に交流が生まれています 「Deまち」は、そんなまちの強みを活かして、学生のみなさんと合同でイベントを開催するなど、
学生がまちに関わる入り口としての場所づくりを行っています。
現在の用途は実に様々。
24時間利用可能なシェアオフィスや月極め、時間貸しのコワーキングスペースとして利用されている他、地域のお祭りや商店街のイベントの集会所になったり、
まちづくりに関するセミナーや講座が開かれたり。
京都府の都市と農村をつなぐため、京都各地の美人ママによる1日限りのスナックがオープンする他、
地域の物産展が開かれることもあります このように、「Deまち」は、単なるイベントスペースとしてだけではなく、商店街の人々や学生が自然に交わり合う様々な企画を生み出すことで、
まちの人と人、さらには地域間の交流のきっかけを生み出す拠点としての役割を果たしているのです。
「Deまち」の「De」は「脱」の意味で、都市部の中心の構造から抜け出すという意味が込められています。
例えば、アートを学ぶ学生と商店街の魚屋さんが偶発的に出会ってハプニングが起こったり、商店街のおじさんが会議中のオフィスに出入りするような、
建築的には本来分離しなければならない部分が共存している、そんな不思議な空間です。
色々な世代や立場の違うコミュニティが共存することで、
偶然に「トランスカルチャー」が生まれる可能性が設計されています。 「まちに関わりたい」。少しでもそんな気持ちがあるのなら、
あなたのまちの商店街に、ふらりと足を運んでみてはいかがでしょうか。
元気の良い魚屋さん、健康に気を遣ってくれる八百屋のおばちゃん、自分の店を開く若者。きっと
「また、会いたいな」と思える人に出会えるはず。
その出会いが、あなたが自分のまちに関わり、自分らしい生き方を見つけるきっかけになるかもしれません みんなが幸せになれるような活動をしていきたい
それだけです 文明とは、大きな人口を維持する食糧生産と高度な組織や制度を有した国家として、統合されたシステムと定義されています。
約1万年前に農耕が発達したオリエント文明などが最初の様です。灌漑施設や楔形文字が発明されてからは、人類の文明が急速に発展して来ました。
特に最近の科学技術の進歩は著しくて指数関数的に急上昇しています。人間の頭脳や身体能力を遥かに超えた分野まで拡大しており、コントロールが効かない状態になっていると思います。
地球全体から見て、人口・資源・科学技術、などを統合する必要があります。領土や人種と言った国家としての機能は過去の遺物であり、既に人類にとっては物質文明の限界が見えて来ました 地球規模で観ると科学技術は負の遺産を蓄積しながら進歩しています。
化石燃料を燃やしてエネルギーを獲得し、社会インフラの整備と農業や鉱工業製品を作って、人類の快適な生活を維持しています。
二酸化炭素の増加と言う負の遺産を減らす試みとして、リサイクルや自然エネルギーの利用率を上げる努力もしていますが、
人類の生存に必要なエネルギーの増大には不足します。 科学技術は想像を超えたスピードで進歩しています。
その結果、核廃棄物や廃プラスチックの蓄積や二酸化炭素の増加は今後の人類の大きな脅威となります。
この地球上で生きている人類は微妙なバランスの中で存在しており、何処かの時点で文明の成長を止めるか、負の遺産を同時並行で減少させる必要があります。
負の遺産の増加を抑える事が出来なければ人類の生存が危うくなります。つまり、科学技術の進歩や地球規模の人口増加はいずれ適正な数値に安定させる事が大切となります。
地球は無限に大きなサイズでは無くて、決まった大きさと質量を持ち、天然資源に限りがあり太陽光の受ける面積も決まっています。
永遠に成長し続ける事は出来ません。人類の生存できる限界点はある程度予測可能と考えられます。 私は科学技術や物質文明の限界と、大自然の偉大さと不思議さを知り、宗教心が生まれました。
人間は物質と言う身体で構成されており、大自然の一部であり大自然の掟に逆らう事は出来ません。
具体的には、地震や台風などの脅威だけで無く、地球そのものの大きな気候変動には為すすべはありません。更には長い年月で見ると宇宙からの脅威もあります。
高度に物質文明が発達しても、大規模な地球規模の変動には全く歯が立ちません。
物質に起因する文明には限界があります。その一方で精神性に基づいた成長には限界はありません。
形や重さのある物質には限度が存在します。精神(心)には形や重さも無く、記憶や思考には限界がなく、精神文明には無限の成長が可能です。
心の思いは身体を離れて自由に空間と時間を駆け巡る事が出来ます。 人間は目に見えて手で触れる事の出来る物質に依存しています。
固定した物質は消えたり現れたりしない安心感があります。
しかし、物質をミクロの世界で観察すれば、常に揺らいで不確定な状態です。
人間の身体規模の大きさであれば固定している様に見えますが、微小なミクロの世界では常に生成と消滅を繰り返して変動しています。
更には細胞組織も動的平衡状態を保つ為に、時間経過と共に細胞は新しく入れ替わりを繰り返しています。時間を100年位に伸ばせば人間も生から死へと移行し、子孫へ遺伝子を受け継いで『諸行無常』と言えます ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています