結局のところ、あらゆる宗教や宗教的なるものの目指すところは、
肉体という制限から解放され本来の状態に戻ること、これに尽きると思う。
本来の状態に戻ることを深く長い眠りからの目覚めに喩えるなら、
要するに目覚めさえすればあとはどうでもいいわけで、
どんな方法で目覚めたかなんてことは一切問題にはならない。
予めセットされていた目覚まし時計のアラーム音が鳴り響く。
同じ目覚まし時計を使っていても、ある人はそのアラーム音を
夢の中で救急車のサイレンの音と認識して救急車の走り去っていく後ろ姿を眺めている。
別の人は空襲警報だと思い夢の中で避難場所を必死に探している。
が、どちらもいずれは目が覚め、その音は救急車のサイレンでも
空襲警報でもなかったことに気づく。
救急車のサイレンと空襲警報、どらちが正しいか、
なんていう疑問は目が覚めてしまった人たちにとっては何の意味もなさない。