( ^¬^) _U~~まぁまあ、お茶でもどうぞ、飲みながら。 →よんでください↓

不幸を背負う分、人生のなにかしらの代価を得る。これが、ひとのみち。という人あり。
美輪明宏氏や江原啓之氏も似たようなことを言っている。

なにか、現実の不運不幸を負うひとは、現実の何かややがて後くる何かが、必ずあるという話。
もちろん、マイナスの悪の分、差っ引きなどがあり得るという話、苦労に耐えたひと、悪に染まらずにやってきた人、のみに何かが来る。

こういう思考スレ。

なぜか不思議に、生まれ持って不運に見舞われる要因があって背負うものがあったり、やがて背負う羽目となる人生が後天的にやってきた理。

自分で悪をやらかしてしまって負うとは違い、天運みたいな不運不幸のみを扱うスレ。

死にかけるひとには、霊能力が与えられる。というはなしを書くと、現実人生にも到来というカタチで負の分、プラスがながれで来る。

そんな話を書くと、現実の背負いものとは、身体欠損だったり、病気を負わなくてはならなくなったり、大量借金を負わなくてはならなくなったり、
現実の仕事での負いものが酷かったり、環境がよくなかったり悪かったり、など、天分としてわざとではない負いものを強いられるケース。

代価として、霊能力だったり、スキルみたいなものだったり、良運現実となっていったり、後がえりのなにか、だったりと、生きていれば、得られるのちがえり。

それなりに背負う分、苦労や苦に耐える必要があるのが、この代価を得ることには必須となるものと考えられるのが、霊則の負いの部分ではないか。と

それを伝えるスレ。

ひとは、わざとマイナスを負えばいいという強欲ではない、天分によって、苦を運命として、運命代価のあとがえりを秘めた、背負いものを持つと、代価がある思考。

この思考となる理由とは、やはり、霊則というものはある側の現実思考のもと、幸度の±の自然到来による、あとがえり思考を考えると、ひとは霊則だけは平等である。

そういった観方により、このスレを立ててみた。

わるいことせずに、負を負う人は、何かを得る。そんなことを、語っていきましょうスレ 負い人の幸福な運命を祈る ノシ