>>137
そういうことはまさに『神との対話』のほうによく出てくる話だね。
でも、「大切なのは自分の人格と行いだけ」とか、どんな人が偉大な人物かにこだわるのは、
それこそ何か余裕のない、寛容さや柔軟性を実行できていない言行不一致な人の印象を受け、
本末転倒な気がする。

様々な人の、様々な意見を、もっと余裕をもって謙虚に受けとめることができるようでなければ、中庸をいっているとはいえないと思う。