諸行無常というのは、一般的な説明では、物事は舜俊刻々と変化している、
たとえば、リンゴは日を追うごとに腐っていく・・・
パンもカビが沸いていく・・・
変化しないものはなく、すべては廃れていく運命にある、だから物事に執着するな、
という意味になるわけだけど、本当はもう一つ深い意味があるんだよね。

物事が変化していく、これだけでは諸行無常の意味は不完全になる。
正しい説明は、物事は変化している、だから実在するものは何一つない、
ということ。
つまり、物事が変化していくのではなくて、変化していく実体がないということ。
物事が常に変化していくように見えるのは、実存するものが何一つないからだ、
ということになる。
実体の否定の言葉なんだよね
だから、諸法無我と対の言葉になってる。

仏教では実体というのは、時間の経過を経ても何一つ変化しないもの、
ということになってる。
我々は例えば、3歳の自分が20歳になったというが、実はこの言い方はおかしい。
3歳の自分が20歳になるということは無いからだ
もしあるなら、20歳の自分の中に、3歳の自分が隠れていることになる
しかし、20歳の自分の中に3歳の自分は、どこを探しても見つからない
すべてが変化してしまっている

で、人は3歳の頃から変わらない自分という実体を想定しているが、どこを探しても
その確たる自分というものは見つからない
変わらず在り続ける自分という確かな存在を。