全ては鏡である…

「依存」や「甘え」を取りつく島もなく全否定し、批判する霊的存在やスピリチュアリストたちは皆、
例外なく、自分の中にも「依存心」や「甘えたい心」がある。
にも関わらずそれを認めず、他者に「投影」し、その他者を批判することで
自分の中の依存心という問題を直視することから逃げている、弱い存在たち。

それは、“実際に依存している人々よりもタチが悪い”。
「偽善は悪よりも罪深い」の言葉の通りである。

本来は、自分の中にある「依存心」や「甘えたい心」を許し、
そんな自分の中の子供のような心を、無条件に愛し導く親のように受け入れることが大切であるのに、
「依存」や「甘え」を否定している霊的存在達は、その試練からずっと逃げ続けている。
(いわば自分の子を虐待する親になってしまっているのだ)
それはネガティブな「投影」の反応でもあり、彼らが未解決の部分を抱えたまま、目を背け続けている証拠でもある。

しかし自分の本心は誤魔化せない。必ず自らに訴えかけてくる。
だが、それでも「自分たちは成長における真理を見出した」という優越感に増長してしまった彼らは、
その偽りの栄光に酔いしれることを手放すことができなくなり、
「自分たちが間違っているのではない、我々の言うことを信じず、従わない者たちが悪いのだ」
と、傲慢にも取り繕ってしまった。

誤解が生じるかもしれないが、それでもここで一つの真理を、語彙の少ない人間の言葉を用いてはっきり言っておこう、
人間が、霊的存在が、魂が成長を果たすのに、「依存する」ことや「甘える」という行為は、必要不可欠なものでもある。

この世にある、成長に関する書物を、もっと幅広く読みんでみなさい。
この世界の中で行われている子育てや教育や対話の仕方を、自分の生きてきた狭い環境の中だけで判断せず、
視野を広げて探してごらん。